2021年9月12日

尾花沢 ~ 出羽三山/7 奥の細道

奥の細道図

尾花沢

 尾花沢おばねざわにて清風せいふうといふ者をたづぬ。かれはめるものなれども、こころざしいやしからず。都にも折々をりをりかよひて、さすがに旅のなさけをも知りたれば、日ごろとどめて、長途ちょうどのいたはり、さまざまにもてなしはべる。


  すずしさをわが宿にしてねまるなり


  でよ飼屋かひやしたひきの声


  まゆきをおもかげにして紅粉べにの花


  蚕飼こがひする人は古代の姿すがたかな  曽良


立石寺

 山形領やまがたりょう立石寺りゅうしゃくじといふ山寺あり。慈覚大師じかくだいしの開基にして、ことに清閑の地なり。一見すべきよし、人々のすゝむるによりて、尾花沢よりとつて返し、そのかん七里ばかりなり。日いまだ暮れず。ふもとの坊に宿借り置て、山上の堂に登る。岩にいはほかさねて山とし、松栢しょうはく年旧としふり、土石いてこけなめらかに、岩上がんじょうの院々とびらを閉ぢて物の音きこえず。岸をめぐり、岩をひて仏閣ぶっかくを拝し、佳景かけい寂寞じゃくまくとして心みゆくのみおぼゆ。

  しずかさや岩にしみ入るせみの声


最上川

 最上川もがみがわらんと、大石田おおいしだといふ所に日和ひよりを待つ。ここに古き誹諧の種落ちこぼれて、忘れぬ花の昔を慕ひ、芦角ろかく一声いっせいの心をやはらげ、この道にさぐりあしして、新古しんこふた道にまよふといへども、みちしるべする人しなければと、わりなき一巻ひとまきを残しぬ。このたびの風流ここにいたれり。

 最上川は陸奥みちのくよりでて、山形を水上みなかみとす。碁点ごてんはやぶさなどいふ、おそろしき難所なんじょあり。板敷山いたじきやまの北を流れて、果ては酒田さかたの海にる。左右山おほひ、茂みの中に船をくだす。これに稲みたるをや、稲船いなぶねといふならし。白糸の滝は青葉の隙々ひまひまに落ちて、仙人堂、岸にのぞみて立つ。水みなぎつて舟あやふし。

  五月雨さみだれあつめてはや最上川もがみがわ


出羽三山

 六月三日、羽黒山はぐろさんに登る。図司左吉ずしさきちといふ者を尋ねて、別当代べっとうだい会覚阿闍利えがくあじゃりえつす。南谷みなみだにの別院にやどりして、憐愍れんみんの情こまやかにあるじせらる。
 四日、本坊にをゐて誹諧はいかい興行こうぎょう

  ありがたや雪をかほらす南谷みなみだに


 五日、権現ごんげんまうづ。当山開闢かいびゃく能除大師のうじょだいしはいづれのの人といふことをらず。延喜式えんぎしきに「羽州うしゅう里山の神社」とあり。書写、「黒」の字を「里山」となせるにや、羽州黒山を中略して羽黒山といふにや。出羽といへるは、「鳥の毛羽をこの国のみつぎものたてまつる」と、風土記ふどきにはべるとやらん。月山がっさん湯殿ゆどのを合はせて三山とす。当寺、武江東叡ぶこうとうえいに属して、天台止観てんだいしかんの月明らかに、円頓融通えんどんゆずうのりともしびかかげそひて、僧坊むねを並べ、修験行法しゅげんぎょうほうを励まし、霊山霊地の験効げんかう、人たふとびかつ恐る。繁栄とこしなえにして、めでたき御山おやまつつべし。

 八日、月山にのぼる。木綿ゆふしめ身に引きかけ、宝冠にかしらを包み、強力ごうりきといふものに導かれて、雲霧山気うんむさんきの中に氷雪を踏みて登ること八里、さらに日月にちぐわち行道ぎょうどう雲関うんかんに入るかとあやしまれ、息え身こごえて、頂上に至れば、日ぼっして月あらはる。笹を敷き、しのまくらとして、して明くるを待つ。日でて雲消ゆれば、湯殿に下る。

 谷のかたはら鍛治小屋かじごやといふあり。この国の鍛治だんや、霊水をえらびて、ここに潔斎してつるぎを打ち、つひに月山と銘を切って世に賞せらる。かの龍泉りようせんつるぎにらぐとかや、干将かんしやう莫耶ばくやむかししたふ。道に堪能かんのうしふあさからぬこと知られたり。岩に腰けてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばに開けるあり。降り積む雪の下にうづもれて、春を忘れぬおそざくらの花の心わりなし。炎天えんてんの梅花ここにかをるがごとし。行尊ぎょうそん僧正のうたここに思ひでて、なほあはれも、、、、まさりておぼゆ。総じてこの山中さんちゅう微細みさい、行者の法式として他言することを禁ず。よりて筆をとどめてしるさず。
 坊に帰れば、阿闍利あじゃりの求めによりて、三山巡礼の句々、短冊たんじゃくに書く。


  涼しさやほの三日月みかづき羽黒山はぐろさん


  雲の峰いくつくづれて月の山


  語られぬ湯殿にぬらすたもとかな


  湯殿山銭む道の涙かな  曽良


出羽三山 最上川 立石寺 尾花沢

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