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2024年7月5日

ワスレグサと甘草/植物一日一題

ヤブカンゾウ

ワスレグサと甘草

 雑誌などによくワスレグサ「ヤブカンゾウ」のことを甘草と書いている人があるが、これは全く非で、このカンゾウに対してこの字を使うのはじつは間違いであることを知っていなければならない。これは萱草カンゾウと書かねばその名にはなり得ない。ワスレグサの苗を食ってみると、根元に多少甘味があるから、それで甘草だというのでない。

 萱は元来忘れるという意味の字で、それでその和名がワスレグサすなわち忘レ草となっている。このワスレグサの名は元来日本にはなかったが、萱草の漢名が伝ってから初めて出来た称呼だ。書物によれば中国の風習では何か心配事があって心が憂鬱なとき、この花に対すれば、その憂いを忘れるというので、この草を萱草と呼んだもんだ。そこでまた一つにこれを忘憂草とも称えまた療愁ともいわれる、すなわち療愁とは憂いを癒やす義である。

 中国の萱草は一重咲のものが主品である、すなわち学名でいえば Hemerocallis fulva L. である。この種名の fulva は褐黄色の意で、これはその花色に基づいたものである。この品は絶て日本には産しなく、ただ中国のみの特産である。それでこれをシナカンゾウともホンカンゾウともいわれる。上に書いたヤブカンゾウ「一名鬼カンゾウ」はその一変種で八重咲の花を開くが、面白いことにこれは中国ばかりでなく日本にも産する。つまり母種の一重咲のものはひとり中国のみに産し、その変種の八重咲のものが中国と日本とに産する。地質時代の昔の日本がまだアジア大陸に地続きになっていた時分にこの八重咲品のみが日本へ拡がっていて、その後中国と日本との間へ海が出来た後ち今にいたるまでこの八重咲品のみが日本の土地へ遺され、親子生き別れをしたものだ。中国の『救荒本草きゅうこうほんぞう』という書物にこの八重咲品の図が載っている。

 萱草を食用にすることは、日本よりも中国の方が盛んであるようだ。中国の本に「今人多 ク採 リ 二其嫩苗及花跗、葅 ト食 フ」と出て、また「人家園圃 二多 ク種 ユ」とも書いてある。また「花、葉芽倶ニ嘉蔬ナリ」ともある。また中国では「京師ノ人食フ 二其土中ノ嫩芽ヲ一名ク二扁穿ト 一」と述べてあるが、これはすなわち冬中に採る極めて初期の小さい嫩芽である。いつであったか数年前、東京の料理屋でこれを食膳に出したと聞いたことがあったがどこから仕入れたものか。これは通人の口に味う趣味的の珍らしい食品であって、多分少々舌に甘味を感ずるのであろう。おそらく扁穿とは扁ひらたき芽が土を穿って出るとの意味ではないかと思う。

 憂さを忘れるなら何にもワスレグサに限ったことはなく、綺麗な花なら何んでもよい筈だが、中国でたまたま草が乏しい場所であったのか、この大きな萱草の花を撰んで打ち眺めたものであろう。

美しき花を眺むる憂さ晴らし
思い余りし吾れの行く末

美しい花をながめりや憂ひを忘る
それがせめての心やり

忘れぐさ忘れたいもの山々あれど
忘れちゃならない人もある

ヤブカンゾウ

2020年7月19日

一重咲きの忘れ草

大伴宿祢家持贈坂上家大嬢歌

727忘草わすれぐさわが下紐に着つけたれど
醜しこの醜草しこくさ 言ことにしありけり

憂いを忘れるという忘草を下着の紐につけたけれど何の役にも立たないバカ草め、名ばかりだ

3060忘草わすれぐさわが紐につく
時となく思ひ渡れば 生いけりともなし

忘草を私の紐につける。いつという時なく恋しく思いつづけていると生きた心地もしない…

3062忘草わすれぐさ垣もしみみに植うゑたれど
醜しこの醜草しこくさ なほ恋ひにけり

忘草を垣根いっぱいに植えたけれど、このバカな草め、何の効き目もなく、やはり恋しい…

牧野富太郎「ワスレグサと甘草」
…中国の萱草は一重咲きのものが主品である。この品は絶て日本には産しなく、ただ中国のみの特産である。それでこれをシナカンゾウともホンカンゾウともいわれる。ヤブカンゾウ(一名鬼萱草)はその一変種で八重咲きの花を開くが面白いことにこれは中国ばかりでなく日本にも産する。つまり母種の一重咲きのものは、ひとり中国のみに産しその変種の八重咲きのものが中国と日本とに産する


本州〜沖縄の田のあぜや溝のふちなど、やや湿ったところに一重咲きの野萱草ノカンゾウが自生しています。これも忘れ草とよんでみました。平成15年に植栽された野萱草、2020.07.19 のパチリです。
青空文庫 牧野富太郎「植物一日一題」XML版をリンクしておきます。(^-^)

2020年7月17日

忘れ草

2475わが宿やどの軒のきのしだ草生おひたれど
恋忘草わすれぐさ見るにいまだ生おひず

巻第十一 柿本朝臣人麻呂之歌集出

わが家の軒のシダクサは生えているけれど、恋の苦しみを忘れるという忘れ草は見てもまだ生えていないことだ

帥そち大伴卿おおとものまえつきみの歌

334わすれ草ぐさわが紐ひもに付く
香具山の古ふりにし里を忘れむがため

植物一日一題「ワスレグサと甘草」より抜粋引用
…これは萱草カンゾウと書かねばその名にはなり得ない。ワスレグサの苗を食ってみると、根元に多少甘味があるから、それで甘草だというのでない。萱は元来忘れるという意味の字で、それでその和名がワスレグサすなわち忘れ草となっている。このワスレグサの名は元来日本にはなかったが、萱草の漢名が伝ってから初めて出来た称呼だ。書物によれば中国の風習では何か心配事があって心が憂鬱なとき、この花に対すれば、その憂いを忘れるというので、この草を萱草と呼んだもんだ。そこでまた一つにこれを忘憂草とも称えまた療愁ともいわれる、すなわち療愁とは憂いを癒やす義である


あっ、3枚ともヤブカンゾウです。青空文庫 牧野富太郎「植物一日一題」をリンクしておきます。