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2022年9月21日

祓/12 奥の細道

蕪村「奥の細道図上巻」那須野

    ばつ

 からびたるも、えんなるも、たくましきも、はかなげなるも、おくのほそ道もてゆくに、おぼえずちて手たたき、伏して村肝むらきもを刻む。一般ひとたびみのる着るかゝる旅せまほしと思ひ立ち、一度たびは坐してまのあたり奇景をあまんず。かくて百般ももたびの情に鮫人かうじんが玉をふでにしめしたり。旅なるかな、うつはものなるかな。ただなげかしきは、かうやうの人のいとかよわげにて、まゆの霜のおきそふぞ。

  元禄七年初夏       素竜書



「からびたる」は、枯淡なおもむき。村肝は「深く心に感動をおぼえるさま」と補注にあり、「伏して村肝むらきもを刻む」を、「こうべを垂れて心肝しんかんを切り刻むごとき深い感銘に誘われる」と評釈にありました。でね「村肝むらきも」は万葉集だとこころにかかる枕詞です。

巻四 大伴宿禰家持贈娘子歌

720 村肝の心砕けてかくばかり
  わが恋ふらくを 知らずかあるらむ

村肝之むらきもの 情揣而こころくだけて 如此許かくばかり 余戀良苦乎あがこふらくを 不知香安類良武しらずかあるらむ


 また一冊、ぼろぼろにしちゃいました。書き始める前に撮っとかないとね。が、幸い、ウェブ検索したらいくつかヒットしました。息の長い古典ならではかと… モチパクで表紙だけあげました。でね、カバーは義仲寺蔵の「那須野の図」芭蕉翁絵詞伝からのようです。義仲寺には芭蕉の墓もあるとか。で、奥の細道図から那須野の辺りを貼っといて…

 ちひさき者ふたり、馬の跡したひて走る。ひとりは小姫こひめにて、名を「かさね」といふ。聞きなれぬ名のやさしかりければ、


  かさねとは八重撫子やえなでしこの名なるべし 曾良


おくのほそ道 頴原退蔵・尾形仂 角川ソフィア文庫

2022年9月20日

福井 ~ 大垣/11 奥の細道

奥の細道図

福井

 福井は三里ばかりなれば、夕飯ゆうめししたためて出づるに、黄昏たそがれの道たどたどし。ここに等栽とうさいといふ古き隠士あり。いづれの年にや江戸に来たりて予を尋ぬ。はる十年ととせ余りなり。いかにいさらばひてあるにや、はたにけるにやと、人に尋ねはべれば、いまだ存命してそこそことおしふ。市中ひそかに引き入りて、あやしの小家こいへ夕顔ゆうがお・へちまのへかかりて、鶏頭けいとう箒木はゝきゞに戸ぼそを隠す。さてはこの内にこそと、かどをたたけば、わびしげなる女のでて、「いづくよりわたりたまふ道心どうしん御坊ごぼうにや。あるじはこのあたり何某なにがしといふもののかたに行きぬ。もし用あらば尋ねたまへ」といふ。かれが妻なるべしと知しらる。昔物語ものがたりにこそかかる風情ふぜいははべれと、やがて尋ね会ひて、その家に二夜ふたよ泊まりて、名月は敦賀つるがみなとにと旅立つ。等栽もともに送らんと、すそをかしうからげて、道の枝折しおりかれつ。


敦賀

 やうやう白根しらねだけかくれて、比那ひなだけあらはる。あさむづの橋をわたりて、玉江たまえあしでにけり。うぐいすせきぎて、湯尾ゆのを峠をゆれば、ひうちじやう帰山かへるやま初鴈はつかりを聞きて、十四日の夕れ、敦賀つるがの津に宿をもとむ。

 その夜、月ことに晴れたり。「明日あすの夜もかくあるべきにや」といへば、「越路こしぢの習ひ、なほ明夜めいやの陰晴はかりがたし」と、あるじに酒すすめられて、気比けい明神みやうじんに夜参す。仲哀ちゆうあい天皇の御廟ごべうなり。社頭かんさびて、松のに月のり入りたる。御前おまへ白砂はくさ、霜を敷けるがごとし。往昔そのかみ遊行ゆぎやう二世の上人しやうにん大願発起たいぐわんほつきのことありて、みづから草をり、土石をになひ、泥渟でいていをかわかせて、参詣往来おうらいわずらひなし。古例今にえず。神前に真砂まさごになひたまふ。「これを遊行の砂持ちと申しはべる」と、亭主のかたりける。

  月清し遊行のてる砂の上

 十五日、亭主のことばにたがはずあめ降る。

  名月や北国ほくこく日和びより定めなき


種の浜

 十六日、空れたれば、ますほの小貝ひろはんと、いろはまに舟を走す。海上かいしやう七里あり。天屋てんや何某なにがしといふ者、破籠わりご小竹筒ささえなどこまやかにしたためさせ、しもべあまた舟にとりせて、追ひ風、時のきぬ。浜はわづかなる海士あま小家こいへにて、わびしき法華寺ほつけでらあり。ここに茶を飲み、酒をあたゝめて、夕暮れのさびしさ、感にへたり。


  さびしさや須磨すまちたる浜の秋


  波のや小貝にまじるはぎちり


その日のあらまし、等栽とうさいに筆をとらせて寺に残す。


大垣

 露通ろつうもこのみなとまでむかひて、美濃みのの国へとともなふ。こまたすけられて大垣おおがきの庄に入れば、曽良も伊勢いせより来たり合ひ、越人えつじんも馬をばせて、如行じよこうが家に入り集まる。前川子ぜんせんし荊口けいこう父子、その外したしき人々、日夜とぶらひて、蘇生そせいの者に会ふがごとく、かつよろこび、かついたはる。旅のものうさもいまだやまざるに、長月ながつき六日むいかになれば、伊勢いせ遷宮せんぐうおがまんと、また舟にりて、


  はまぐり
ふたみに
別れ行く秋ぞ


2022年9月18日

別離 ~ 永平寺/10 奥の細道

奥の細道図

別離

 曽良は腹を病みて、伊勢いせの国長島ながしまといふ所にゆかりあれば、先立ちて行くに、

  行き行きてたふすともはぎの原  曽良

と書き置きたり。くもののかなしみ、のこるもののうらみ、隻鳧せきふの別れて雲にまよふがごとし。予もまた、

  今日よりや書付かきつけ消さんかさの露


全昌寺

 大聖寺だいしやうじの城外、全昌寺ぜんしやうじといふ寺にまる。なほ加賀かがの地なり。曽良も前の夜この寺にまりて、

  よもすがら秋風聞くやうらの山

と残す。一夜いちやの隔て、千里に同じ。われも秋風を聞きて衆寮しゅりょうせば、あけぼのの空ちこう、読経どきょうむままに、鐘板しょうばん鳴りて食堂じきどうに入る。今日けふ越前えちぜんの国へと、心早卒そうそつにして堂下に下るを、若き僧どもかみすゞりをかかへて、きざはしもとまで追ひ来たる。をりふし庭中ていちゅうの柳れば、

  庭掃きてでばや寺にる柳

とりあへぬさまして、草鞋わらぢながら書き捨つ。


汐越の松

越前のさかい吉崎よしさきの入江を舟にさおさして汐越しおごしの松を尋ぬ。


  よもすがらあらしに波をはこばせて
    月をれたる汐越の松  西行


この一首にて数景すけい尽きたり。もし一辧を加ふるものは、無用の指を立つるがごとし。


天龍寺・永平寺

 丸岡まるおか天龍寺てんりゅうじの長老、古きちなみあれば尋ぬ。また、金沢の北枝ほくしといふもの、かりそめに見送りて、この所までしたひ来る。ところどころの風景ぐさず思ひつゞけて、をりふしあはれなる作意など聞こゆ。今すでにわかれにのぞみて、

  物書きて扇引きさくなごりかな

 五十町山に入りて永平寺えいへいじらいす。道元禅師どうげんぜんじ御寺みてらなり。邦機ほうき千里を避けて、かかる山陰やまかげに跡を残したまふも、たふときゆゑありとかや。


永平寺・天龍寺 汐越の松 金昌寺 別離

2022年9月15日

市振 ~ 山中/9 奥の細道

奥の細道図

市振

 今日けふは親知らず・子知らず・犬もどり・駒がえしなどいふ北国一ほっこくいち難所なんじょえてつかれはべれば、まくら引きよせてたるに、一間ひとまへだてておもてのかたに若き女の声ふたりばかりと聞こゆ。年老としおいたるおのこの声もまじり物語ものがたりするを聞けば、越後えちごの国新潟にいがたといふところ遊女ゆうじょなりし。伊勢いせ参宮さんぐうするとて、このせきまでおのこおくりて、あすは古郷ふるさとに返すふみしたため、はかなき言伝ことづてなどしやるなり。「白浪しらなみのよするみぎわをはふらかし、海士あまのこの世をあさましうくだりて、さだめなきちぎり、日々ひび業因ごういんいかにつたなし」と、ものいふを聞く聞く寝入ねいりて、あした旅立たびだつに、我々われわれかひて、「行方ゆくえらぬ旅路たびぢさ、あまり覚束おぼつかなう悲しくはべれば、見えがくれにも御跡おんあとしたひはべらん。ころもの上の御情おんなさけに、大慈だいじめぐみをれて、結縁けちえんせさせたまへ」となみだを落とす。不便ふびんのことには思ひはべれども、「われわれは所々ところどころにてとどまるかたおほし。ただ人のくにまかせてくべし。神明しんめい加護かごかならつつがなかるべし」といひすてでつつ、あはれさしばらくやまざりけらし。


  一家ひとつや遊女ゆうじょも寝たりはぎと月


曽良にかたれば、きとどめはべる。


越中路

 黒部くろべ四十八ヶ瀬しじゅうはちがせとかや。数らぬ川をわたりて、那古なごといふうらづ。担籠たご藤浪ふじなみは、春ならずとも、初秋はつあきのあはれふべきものをと、人に尋ぬれば「これより五里いそ伝ひして、かふの山陰にり、あま苫葺とまぶきかすかなれば、あし一夜ひとよの宿すものあるまじ」と、いひをどされて、加賀かがの国にる。

  早稲わせる右は有磯海ありそうみ


金沢

 の花山・倶利伽羅くりからが谷をえて、金沢かなざわは七月なかの五日なり。ここに大坂おおざかより通ふ商人あきんど何処かしょといふ者あり。それが旅宿をともにす。
 一笑いつせうといふ者は、この道にける名のほのぼの聞えて、世に知る人もはべりしに、去年こぞの冬早世そうせいしたりとて、その兄追善ついぜんもよおすに、


  つかも動けわが泣く声は秋の風


   ある草庵そうあんにいざなはれて


  秋涼し手ごとにむけやうり茄子なすび


   途中吟


  あかあかと日はつれなくも秋の風


   小松こまつといふ所にて


  しをらしき名や小松吹くはぎすゝき


多太神社

 この所多太太田の神社にもうづ。実盛さねもりかぶとにしきの切れあり。往昔そのむかし源氏に属せし時、義朝よしとも公よりたまはらせたまふとかや。げにも平士ひらさぶらいのものにあらず。目庇まびさしより吹返ふきがへしまで、菊唐草きくからくさりものこがねをちりばめ、龍頭たつがしら鍬形くわがた打つたり。実盛討死うちじにのち木曽義仲きそよしなか願状がんじょうに添へて、このやしろにこめられはべるよし、樋口ひぐち次郎じろうが使ひせしことども、まのあたり縁記えんぎに見えたり。

 むざんやなかぶとの下のきりぎりす


那谷

 山中やまなか温泉いでゆに行くほど、白根しらねだけ跡になしてあゆむ。左の山際やまぎはに観音堂あり。花山くわざんの法皇、三十三所の巡礼とげさせたまひてのち、大慈大悲の像を安置あんちしたまひて、那谷なたと名付たまふとなり。那智なち谷汲たにぐみの二字をかちはべりしとぞ。奇石きせきさまざまに、古松こしょう植ゑならべて、萱葺かやぶきの小堂しょうどう、岩の上に造りかけて、殊勝の土地なり。

  石山いしやまの石より白し秋の風


山中

 温泉いでゆに浴す。その功有間ありまに次ぐといふ。

  山中やまなかや菊はたをらぬ湯のにほ

 あるじとするものは久米之助くめのすけとて、いまだ小童せうどうなり。かれが父、誹諧を好きて、らく貞室ていしつ若輩の昔、ここに来たりしころ、風雅にはづかしめられて、洛に帰りて貞徳ていとくの門人となつて世に知らる。功名ののち、この一村いっそん判詞はんしの料をけずといふ。今更いまさらむかしがたりとはなりぬ。


山中 那谷 多太神社 金沢 越中路 市振

2022年4月17日

スミレ/04.17 上州藤岡

スミレ 04.17/清明 上州藤岡緑埜 スミレ 04.17/清明 上州藤岡緑埜 スミレ 04.17/清明 上州藤岡緑埜

13日に金井で、16日は緑埜と、ようやくスミレを見る季節になりました。野だとよく目立っていて、あっ、スミレだ、と飛び込んできます。まず、花をパチリ。紫条も側弁基部の毛もあります。明神ミョウジン若衆ワカシュウもつきません。ちょっぴり退いて葉を3枚入れてパチリ。柱頭が見づらいけど1枚貼りできる写りです。ただ、距のあたりも撮っとかないと後で悩むことになります。(^-^)

『野ざらし紀行』芭蕉

大津に出づる道、山路を越えて

山路やまぢ来て
何やらゆかし
すみれぐさ

名句です。で、俳句の鑑賞とは関係ないけど「すみれ草」って、なにすみれ…

すみれ草との出逢いは京と大津の間の山路ですね。五月は江戸に居た芭蕉です。三月弥生に山路に咲くすみれ…
それに「ゆかし」とあります
伊賀でも江戸でも、あちこちで見た覚えのあるすみれ…

◎立坪スミレ、○小スミレ、▲スミレ、これでどうね ^-^
山路です。野路スミレはいないと思うんで…

2021年9月25日

酒田 ~ 越後路/8 奥の細道

奥の細道図

酒田

 羽黒を立ちて、つるをかの城下、長山氏重行ながやまうじじゅうかうといふ武士もののふの家にむかへられて、誹諧一巻ひとまきあり。左吉もともに送りぬ。川舟に乗つて酒田の港に下る。淵庵不玉えんあんふぎょくといふ医師くすしもとを宿とす。


  あつみ山や吹浦ふくうらかけて夕すゞ


  暑き日を海にれたり最上川


象潟

 江山こうざん水陸の風光かずくして、今象潟きさがた方寸ほうすんむ。酒田の港より東北のかた、山を越えいそを伝ひ、いさごをみて、そのさい十里、日影ややかたぶくころ、汐風真砂まさごを吹き上げ、雨朦朧もうろうとして鳥海ちょうかいの山かくる。闇中あんちゅうに模索して、「雨もまた奇なり」とせば、雨後の晴色せいしょくまたたのもしきと、あま苫屋とまやひざを入れて、雨の晴るるを待つ。そのあした、天よく晴れて、朝日はなやかにさしづるほどに、象潟きさかたに舟をかぶ。まづ能因嶋のういんじまに船をせて、三年幽居の跡をとぶらひ、かうのきしに舟をあがれば、「花の上ぐ」とよまれし桜の西行さいぎょう法師の記念かたみのこす。江上かうしゃう御陵みささぎあり、神功后宮じんぐうこうぐう御墓みはかといふ。寺を干満珠寺かんまんじゅじといふ。このところに行幸みゆきありしこといまだ聞かず。いかなることにや。この寺の方丈ほうぢょうに座してすだれけば、風景一眼のうちに尽きて、南に鳥海、天をささへ、その影うつりて江にあり。西はむやむやの関、みちかぎり、東に堤をきづきて、秋田にかよふ道はるかに、海北にかまへて、波うち入るる所を汐越しほごしといふ。江の縦横じゅうおう一里ばかり、おもかげ松島にかよひて、またことなり。松島は笑ふがごとく、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しびをくはへて、地勢たましひなやますに似たり。


  象潟や雨に西施せいしがねぶの花


  汐越やつるはぎぬれて海涼し


    祭礼


  象潟や料理何ふ神祭      曽良


美濃の国の商人

  あまや戸板を敷きて夕涼ゆうすゞみ   低耳ていじ


    岩上がんじやう雎鳩みさごの巣を


  波へぬちぎりありてや雎鳩みさごの巣  曽良


越後路

 酒田さかた余波なごり日をかさねて、北陸道ほくろくどうの雲にのぞむ、遙々ようようおもむねをいたましめて加賀かがまで百卅里ひゃくさんじゅうりと聞く。ねずの関をゆれば、越後えちごの地に歩行あゆみあらためて、越中えっちゅうの国市振いちぶりせきいたる。このかん九日ここのか暑湿しょしつろうしんなやまし、やまいおこりてことをしるさず。


  文月ふみづき六日むいかつねの夜には


  荒海あらうみや佐渡さどによこたふあまがわ


2021年9月12日

尾花沢 ~ 出羽三山/7 奥の細道

奥の細道図

尾花沢

 尾花沢おばねざわにて清風せいふうといふ者をたづぬ。かれはめるものなれども、こころざしいやしからず。都にも折々をりをりかよひて、さすがに旅のなさけをも知りたれば、日ごろとどめて、長途ちょうどのいたはり、さまざまにもてなしはべる。


  すずしさをわが宿にしてねまるなり


  でよ飼屋かひやしたひきの声


  まゆきをおもかげにして紅粉べにの花


  蚕飼こがひする人は古代の姿すがたかな  曽良


立石寺

 山形領やまがたりょう立石寺りゅうしゃくじといふ山寺あり。慈覚大師じかくだいしの開基にして、ことに清閑の地なり。一見すべきよし、人々のすゝむるによりて、尾花沢よりとつて返し、そのかん七里ばかりなり。日いまだ暮れず。ふもとの坊に宿借り置て、山上の堂に登る。岩にいはほかさねて山とし、松栢しょうはく年旧としふり、土石いてこけなめらかに、岩上がんじょうの院々とびらを閉ぢて物の音きこえず。岸をめぐり、岩をひて仏閣ぶっかくを拝し、佳景かけい寂寞じゃくまくとして心みゆくのみおぼゆ。

  しずかさや岩にしみ入るせみの声


最上川

 最上川もがみがわらんと、大石田おおいしだといふ所に日和ひよりを待つ。ここに古き誹諧の種落ちこぼれて、忘れぬ花の昔を慕ひ、芦角ろかく一声いっせいの心をやはらげ、この道にさぐりあしして、新古しんこふた道にまよふといへども、みちしるべする人しなければと、わりなき一巻ひとまきを残しぬ。このたびの風流ここにいたれり。

 最上川は陸奥みちのくよりでて、山形を水上みなかみとす。碁点ごてんはやぶさなどいふ、おそろしき難所なんじょあり。板敷山いたじきやまの北を流れて、果ては酒田さかたの海にる。左右山おほひ、茂みの中に船をくだす。これに稲みたるをや、稲船いなぶねといふならし。白糸の滝は青葉の隙々ひまひまに落ちて、仙人堂、岸にのぞみて立つ。水みなぎつて舟あやふし。

  五月雨さみだれあつめてはや最上川もがみがわ


出羽三山

 六月三日、羽黒山はぐろさんに登る。図司左吉ずしさきちといふ者を尋ねて、別当代べっとうだい会覚阿闍利えがくあじゃりえつす。南谷みなみだにの別院にやどりして、憐愍れんみんの情こまやかにあるじせらる。
 四日、本坊にをゐて誹諧はいかい興行こうぎょう

  ありがたや雪をかほらす南谷みなみだに


 五日、権現ごんげんまうづ。当山開闢かいびゃく能除大師のうじょだいしはいづれのの人といふことをらず。延喜式えんぎしきに「羽州うしゅう里山の神社」とあり。書写、「黒」の字を「里山」となせるにや、羽州黒山を中略して羽黒山といふにや。出羽といへるは、「鳥の毛羽をこの国のみつぎものたてまつる」と、風土記ふどきにはべるとやらん。月山がっさん湯殿ゆどのを合はせて三山とす。当寺、武江東叡ぶこうとうえいに属して、天台止観てんだいしかんの月明らかに、円頓融通えんどんゆずうのりともしびかかげそひて、僧坊むねを並べ、修験行法しゅげんぎょうほうを励まし、霊山霊地の験効げんかう、人たふとびかつ恐る。繁栄とこしなえにして、めでたき御山おやまつつべし。

 八日、月山にのぼる。木綿ゆふしめ身に引きかけ、宝冠にかしらを包み、強力ごうりきといふものに導かれて、雲霧山気うんむさんきの中に氷雪を踏みて登ること八里、さらに日月にちぐわち行道ぎょうどう雲関うんかんに入るかとあやしまれ、息え身こごえて、頂上に至れば、日ぼっして月あらはる。笹を敷き、しのまくらとして、して明くるを待つ。日でて雲消ゆれば、湯殿に下る。

 谷のかたはら鍛治小屋かじごやといふあり。この国の鍛治だんや、霊水をえらびて、ここに潔斎してつるぎを打ち、つひに月山と銘を切って世に賞せらる。かの龍泉りようせんつるぎにらぐとかや、干将かんしやう莫耶ばくやむかししたふ。道に堪能かんのうしふあさからぬこと知られたり。岩に腰けてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばに開けるあり。降り積む雪の下にうづもれて、春を忘れぬおそざくらの花の心わりなし。炎天えんてんの梅花ここにかをるがごとし。行尊ぎょうそん僧正のうたここに思ひでて、なほあはれも、、、、まさりておぼゆ。総じてこの山中さんちゅう微細みさい、行者の法式として他言することを禁ず。よりて筆をとどめてしるさず。
 坊に帰れば、阿闍利あじゃりの求めによりて、三山巡礼の句々、短冊たんじゃくに書く。


  涼しさやほの三日月みかづき羽黒山はぐろさん


  雲の峰いくつくづれて月の山


  語られぬ湯殿にぬらすたもとかな


  湯殿山銭む道の涙かな  曽良


出羽三山 最上川 立石寺 尾花沢

2021年9月8日

瑞巌寺 ~ 尿前の関/6 奥の細道

奥の細道図

瑞巌寺

 十一日、瑞巌寺ずいがんじまうづ。当寺とうじ三十二世の昔、真壁まかべ平四郎へいしろう、出家して入唐にっとう、帰朝ののち開山かいざんす。そののち雲居うんご禅師の徳化とくげによりて、七堂いらか改まりて、金壁こんぺき荘厳しょうごん光をかかやかし、仏土ぶつど成就じょうじゅ大伽藍だいがらんとはなれりける。かの見仏聖けんぶつひじりの寺はいづくにやとしたはる。


石巻

 十二日、平泉ひらいづみと心ざし、姉歯あねはの松・緒絶をだえの橋など聞き伝へて、人跡じんせきまれに、雉兎蒭蕘すうぜうの行きかふ道そこともかず、つひに道みたがへて、石巻いしのまきといふみなとづ。「こがね花く」とよみてたてまつりたる金華山きんかさん海上かいしやうに見わたし、数百の廻船くわいせん入江につどひ、人家じんか地をあらそひて、かまどけぶり立ち続けたり。思ひがけずかかる所にもたれるかなと、宿らんとすれど、さらに宿す人なし。やうやうまどしき小家こいへ一夜いちやかして、あくればまたらぬ道まよひ行く。袖のわたり・ぶちの牧・真野まのかや原などよそ目に見て、はるかなるつつみを行く。心細き長沼にふて、戸伊摩といまといふ所に一宿いっしゅくして、平泉にいたる。その間廿余里にじゅうよりほどとおぼゆ。


平泉

 三代の栄耀えとう一睡のうちにして、大門だいもんの跡は一里こなたにあり。秀衡ひでひらが跡は田野でんやになりて、金鶏山きんけいざんのみ形を残す。まづ高館たかだちのぼれば、北上川きたかみがわ、南部より流るる大河なり。衣川ころもがはは、和泉いづみじょうめぐりて、高館のもとにて大河に落ち入る。泰衡やすひららが旧跡は、ころもせきを隔てて、南部口をさしかため、えぞふせぐと見えたり。さても、義臣すぐってこの城にこもり、功名こうみょう一時いちじくさむらとなる。「国破れて山河あり、しろ春にしてくさあおみたり」と、かさうち敷きて、時の移るまでなみだを落としはべりぬ。


  夏草やつわものどもが夢の跡


  の花に兼房かねふさ見ゆる白毛しらがかな   曽良


 かねて耳おどろかしたる二堂にどう開帳す。経堂きょうどうは三将の像を残し、光堂ひかりどうは三代のひつぎを納め、三尊さんぞんほとけを安置す。七宝せて、珠のとびら風に破れ、こがねの柱霜雪そうせつに朽ちて、すでに頽廃たいはい空虚のくさむらとなるべきを、四面あらたに囲みて、いらかを覆ひて雨風をしのぎ、しばらく千載せんざい記念かたみとはなれり。


  五月雨さみだれの降りのこしてや光堂


尿前の関

 南部道はるかに見やりて、岩手いわでの里に泊まる。小黒崎をぐろさき・みづの小島こじまを過ぎて、鳴子なるごの湯より尿前しとまえせきにかかりて、出羽ではの国に越えんとす。この道旅人たびびとまれなる所なれば、関守せきもりあやしめられて、やうやうとして関をす。大山たいざんを登って日すでに暮れければ、封人ほうじんの家を見かけてやどりを求む。三日風雨荒れて、よしなき山中に逗留とうりゅうす。

  のみしらみ馬の尿ばりするまくらもと

 あるじのいはく、これより出羽でわくに大山おほやまを隔てて、道さだかならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべきよしをもうす。「さらば」といひて人を頼みはべれば、究境くっきゃうの若者、反脇指そりわきざしよこたへ、かしつえたずさへて、われわれが先に立ちて行く。今日こそ必ずあやふきめにもあふべき日なれと、からき思ひをなしてあとについて行く。あるじのふにたがはず、高山かうざん森々しんしんとして一鳥いっちょう声きかず、下闇したやみ茂りあひてる行くがごとし。雲端うんたんにつちふる心地ここちして、しのの中踏み分け踏み分け、水をわたり、岩につまづいて、はだつめたき汗を流して、最上もがみしやうづ。かの案内あないせし男子をのこふやう、「この道かならず不用ぶようのことあり。つつがなうをくりまゐいらせて、仕合しあはせしたり」と、よろこびてわかれぬ。あとに聞きてさへ、胸とどろくのみなり。


2021年5月24日

壷の碑 ~ 松島/5 奥の細道

奥の細道図

壷の碑

壷碑つぼのいしぶみ    市川村多賀城たがじやうにあり。

 つぼの石ぶみは、高サ六尺余、横三尺ばかりか。こけ穿うがちて文字かすかなり。四維しゆい国界こくかいの数里をしるす。「この城、神亀じんき元年、按察使あぜつし鎮守府ちんじゅふ将軍大野朝臣東人おおののあそんあずまうとのおくところなり。天平てんぴゃう宝字六年、参議東海東山とうせん節度使おなじく将軍恵美朝臣えみのあそん朝獦あさかり修造しゆぞう而、十二月朔日ついたち」とあり。聖武しやうむ皇帝の御時おほんときに当たれり。昔よりよみ置ける歌枕、多く語り伝ふといへども、山くづれ、川流れて、道あらたまり、石はうづもれて土に隠れ、木は老て若木わかぎに代はれば、時移り、変じて、その跡たしかならぬことのみを、ここにいたりて疑ひなき千歳せんざい記念かたみ、今眼前に古人の心をけみす。行脚あんぎやの一徳、存命の悦び、羈旅きりょろうを忘れて、涙も落つるばかりなり。


末の松山・塩竈

 それより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。末の松山は、寺を造りて末松山まつしょうざんといふ。松のあひあひみな墓原にて、はねはし枝を連ぬる契りの末も、ついにはかくのごときと、悲しさもまさりて、塩竈しおがまの浦に入相いりあひの鐘を聞く。五月雨さみだれの空いささか晴れて、夕月夜ゆうづくよかすかに、まがきが島もほど近し。あま小舟おぶねれて、さかなかつ声々こえごえに「つなでかなしも」とよみけん心もられて、いとどあはれなり。その夜、目盲めくら法師の、琵琶びはらして、おく浄瑠璃じょうるりといふものをかたる。平家にもあらず、まひにもあらず、ひなびたる調子うちげて、まくらちかうかしましけれど、さすがに辺国の遺風忘れざるものから、殊勝しゆしやうにおぼえらる。

 早朝、塩竃しほがま明神みやうじんまうづ。国守再興せられて、宮柱みやばしらふとしく、彩椽さいてんきらびやかに、石のきざはし九仞きうじんに重なり、朝日あけの玉垣をかかやかす。かかる道の果て、塵土ぢんどの境まで、神霊あらたにましますこそわが国の風俗なれと、いとたうとけれ。神前に古き宝燈あり。かねびらのおもてに「文治三年和泉いづみの三郎さぶろう寄進」とあり。五百年来のおもかげ、今目の前にかびて、そぞろに珍し。かれは勇義忠孝の士なり。佳命かめい今にいたりてしたはずといふことなし。まことに「人よく道を勤め、義を守るべし。名もまたこれにしたがふ」といへり。日すでにに近し。船を借りて松島にわたる。そのかん二里余り、雄島をじまいそく。


松島

 そもそも、ことふりにたれど、松島は扶桑ふそう第一の好風にして、およそ洞庭どうてい西湖せいこを恥ぢず。東南より海を入れて、江のうち三里、浙江せつかううしほたゝふ。島々の数を尽くして、そばだつものは天をゆびさし、すふすものは波に匍匐はらばふ。あるは二重ふたへにかさなり、三重みへたたみて、左に分かれ右に連なる。負へるあり、いだけるあり。児孫じそん愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉しえふ汐風に吹きたはめて、屈曲おのづからめためたるがごとし。その気色けしきようぜんとして美人のかんばせよそほふ。ちはやふる神のむかし大山祗おおやまづみのなせるわざにや。造化ぞうくわの天工、いづれの人か筆をふるひ、ことばを尽くさむ

 雄島が磯は、地続きて海に成出なりいでたる島なり。雲居禅師うんごぜんじの別室の跡、坐禅石ざぜんせきなどあり。はた、松の木陰こかげに世をいとふ人も稀々まれまれ見えはべりて、落穂おちぼ松笠まつかさなどうちけふりたる草のいおりしずかに住すみなし、いかなる人とはしられずながら、まづなつかしく立ち寄るほどに、月、海にうつりて、昼のながめまたあらたむ。 江上こうしょうに帰りて宿を求むれば、窓をひらき二階を作りて、風雲のうち旅寝たびねするこそ、あやしきまでたえなる心地ここちはせらるれ

  松島やつるに身をれほととぎす  曽良

予は口をとぢてねむらんとしていねられず。旧庵をわかるる時、素堂そどう松島の詩あり。原安適はらあんてき、松が浦島うらしまの和歌を贈らる。袋をきてこよひの友とす。かつ、杉風さんぷう濁子じょくし発句ほっくあり。


2021年3月19日

飯塚の里 〜 宮城野/4 奥の細道

奥の細道図

飯塚の里

 月の輪のわたしを越えて、うへといふ宿しゅくづ。佐藤さとう庄司しょうじが旧跡は、左の山際やまぎは一里半ばかりにあり。飯塚いひづかの里鯖野さばのと聞きて尋ねたづね行くに、丸山といふに尋ねあたる。これ、庄司しょうじが旧館なり。ふもと大手おほての跡など、人のおしふるにまかせて涙を落とし、またかたはらの古寺に一家いっけの石碑を残す。中にも、ふたりの嫁がしるし、まづあはれなり。女なれどもかひがひしき名の世に聞こえつるものかなと、たもとをぬらしぬ。堕涙だるいの石碑も遠きにあらず。寺に入りて茶をへば、ここに義経よしつね太刀たち弁慶べんけいおひをとどめて什物じふもつとす。

  おひ太刀たち五月さつきかざ帋幟かみのぼり

五月さつき朔日ついたちのことにや。

 その、飯塚にまる。温泉いでゆあれば湯に入りて宿をるに、土坐どざむしろを敷きて、あやしき貧家ひんかなり。ともしびもなければ、囲炉裏ゐろりかげに寝所ねどころまうけてす。に入りて雷鳴かみなり、雨しきりに降りて、せる上よりり、のみにせせられてねぶらず、持病さへおこりて、消え入るばかりになん。短夜みじかよの空もやうやう明くれば、また旅立ちぬ。なほよるのなごり、心すゝまず。馬りて桑折こをりの駅にづる。はるかなる行末ゆくすえをかかへて、かかるやまひおぼつかなしといへど、羇旅きりょ辺土の行脚あんぎゃ捨身しゃしん無常の観念、道路どうろに死なん、これ天のめいなりと、気力いささかとりなほし、道縦横じゅうおうんで伊達だての大木戸を越す。


笠島

 鐙摺あぶみずり白石しろいしじょうを過ぎ、笠島かさしまこほりれば、とうの中将実方さねかたつかはいづくのほどならんと人に問へば「これよりはるか右に見ゆる山際やまぎはの里を、蓑輪みのわ笠島かさしまといひ、道祖神だうそじんやしろ形見かたみすすき今にあり」と教ふ。このごろの五月雨さみだれに道いとあしく、身疲れはべれば、よそながらながめやりてぐるに、蓑輪・笠島も五月雨さみだれのをりにれたりと、

  笠島はいづこ五月さつきのぬかり道


武隈の松

   岩沼宿いはぬまにしゅくす

 武隈たけくまの松にこそ目さむる心地ここちはすれ。根は土際つちぎはより二木ふたきに分かれて、昔の姿うしなはずと知らる。まづ能因のういん法師思ひづ。往昔そのかみ陸奥守むつのかみにて下りし人、この木をりて、名取川なとりがわ橋杭はしぐひにせられたることなどあればにや、「松はこのたび跡もなし」とはみたり。代々よよ、あるはり、あるひは植ゑ継ぎなどせしと聞くに、今はた、千歳ちとせかたちととのひて、めでたき松の気色けしきになんはべりし。

  武隈たけくまの松見せ申せ遅桜おそざくら

と、挙白きょはくといふ者の餞別したりければ、

  桜より松は二木ふたき三月みつき越し


宮城野

 名取川を渡つて仙台にる。あやめふく日なり。旅宿をもとめて四五日逗留とうりうす。ここに画工加右衛門かえもんといふものあり。いささか心ある者と聞きて知る人になる。この者、「年ごろ定かならぬ名どころを考へ置きはべれば」とて、一日ひとひ案内す。宮城野みやぎのはぎ茂りあひて、秋の気色思ひやらるる。玉田・横野よこの躑躅つゝじおかはあせび咲くころなり。日影も漏らぬ松の林に入りて、ここをしたといふとぞ。昔もかく露ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。薬師堂・天神の御社みやしろなど拝みて、その日は暮れぬ。なお、松島・塩竃しほがま所々ところどころに書きて贈る。かつ、紺の染緒そめをつけたる草鞋わらじ二足はなむけす。さればこそ、風流のしれ者、ここに至りてそのまことあらはす。

  あやめ草足に結ばん草鞋わらじ

 かの画図ゑづにまかせてたどり行けば、おくの細道の山際やまぎはに、十符とふすげあり。今も年々としどし十符の菅菰すがごも調ととのへて国守こくしゅに献ずといへり。


2021年2月22日

雲巌寺 〜 信夫の里/3 奥の細道

奥の細道図

雲巖寺

 当国雲巌寺うんがんじおく仏頂和尚ぶつちゃうをしやう山居さんきょの跡あり。
竪横たてよこの五尺にたらぬ草のいお
むすぶもくやし雨なかりせば
と、松の炭して岩に書き付けはべり」と、いつぞや聞こえたまふ。その跡見んと、雲岸寺に杖をけば、人々すすんでともにいざなひ、若き人おほく道のほどうちさわぎて、おぼえずかの麓に到る。山は奥ある景色にて、谷道はるかに、松・杉黒く、苔したゞりて、卯月うづきてん今なほ寒し。十景くる所、橋を渡つて山門に入る。

 さて、かの跡はいづくのほどにやと、後ろの山によぢ登れば、石上せきしやう小庵せうあん岩窟がんくつむすけたり。妙禅師めうぜんじ死関しくわん法雲ほううん法師の石室せきしつを見るがごとし。

  木啄きつつきいほやぶらず夏木立なつこだち

と、とりあへぬ一句柱に残しはべりし。


殺生石・遊行柳

 これより殺生石せつしやうせきに行く。館代くわんだいより馬にて送らる。この口付くちづきのをのこ短冊たんじゃく得させよ」と乞ふ。やさしきことを望みはべるものかなと、

  野を横に馬けよほとゝぎす

 殺生石せつしやうせき温泉いでゆづる山陰やまかげにあり。石の毒気いまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ、真砂まさごの色の見えぬほどかさなり死す。

 また、清水しみづながるゝの柳は、蘆野あしのの里にありて、田のくろに残る。この所の郡守戸部こほうなにがしの「この柳見せばや」など、をりをりにのたまひ聞こえたまふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日けふこの柳のかげにこそ立ち寄りはべりつれ。

  田一枚植ゑて立ち去る柳かな


白河の関

 心もとなき日かず重なるままに、白河の関にかかりて旅心たびごころ定まりぬ。「いかで都へ」と便たよもとめしもことわりなり。なかにもこの関は三関さんくわんいつにして、風騒ふうそうの人、心をとどむ。秋風あきかぜを耳に残し、紅葉もみぢおもかげにして、青葉のこずゑなおあはれなり。の花の白妙しろたへに、むばらの花の咲きひて、雪にもゆる心地ここちぞする。古人こじん冠をただし、衣装をあらためしことなど、清輔きよすけの筆にもとどめ置かれしとぞ。

  卯の花をかざしに関の晴れ着かな 曾良


須賀川

 とかくして越え行ゆくままに、阿武隈あふくま川を渡る。左に会津根あひづね高く、右に岩城いわき相馬さうま三春みはるしゃう常陸ひたち下野しもつけの地をさかひて山つらなる。かげ沼といふ所を行くに、今日けふは空曇りて物影うつらず。

 須賀川すかがはの駅に等窮とうきゅうといふものを尋ねて、四、五日とどめらる。まづ「白河の関いかにえつるにや」とふ。「長途ちょうどのくるしみ、身心しんじんつかれ、かつは風景に魂うばはれ、懐旧かいきゅうはらわたを断ちて、はかばかしう思ひめぐらさず。

  風流ふうりゅうの初めや奥の田植歌たうゑうた

むげにこえんもさすがに」と語れば、わき第三だいさんとつづけて、三巻みまきとなしぬ。

 この宿しゅくのかたはらに、大きなるくり木陰こかげを頼みて、世をいとふ僧あり。とちひろふ太山みやまもかくやとしづかに覚えられて、ものに書き付けはべる。そのことば

栗といふ文字もんじは、西の木と書きて、
西方浄土に便りありと、行基ぎょうき菩薩
の一生つゑにもはしらにもこの木を用ゐ
たまふとかや。

  世の人の見付けぬ花や軒の栗


浅香山・信夫の里

 等窮が宅をでて五里ばかり、檜皮ひはだ宿しゅくを離れて浅香山あさかやまあり。道より近し。このあたり沼多し。かつみ刈るころもややちこうなれば、「いづれの草を花がつみとはいふぞ」と、人々に尋ねはべれども、さらに知る人なし。沼を尋ね、人にひ、「かつみかつみ」と尋ねありきて、日は山のにかかりぬ。二本松より右にきれて、黒塚くろづかの岩屋一見し、福島に泊まる。

 くれば、しのぶもぢりの石を尋ねて、信夫しのぶさとに行く。はる山陰やまかげの小里に、石なかば土にうづもれてあり。里のわらべの来たりて教へける。「昔はこの山の上にはべりしを、往来ゆききの人の麦草むぎくさらして、この石をこころみはべるをにくみて、この谷にき落とせば、石のおもてしたざまにしたり」といふ。さもあるべきことにや。

  早苗さなへとる手もとやむかししのぶ


信夫の里・浅香山 須賀川 白河の関 遊行柳・殺生石 雲巖寺

2021年2月15日

日光 ~ 黒羽/2 奥の細道

奥の細道図

日光

 卅日みそか、日光山のふもとに泊まる。あるじのいひけるやう、「わが名を仏五左衛門ほとけござえもんといふ。よろづ正直を旨とするゆゑに、人かくは申しはべるまま、一夜いちやの草のまくらもうちけて休みたまへ」といふ。いかなる仏の濁世塵土ぢょくせぢんど示現じげんして、かかる桑門そうもん乞食順礼こつじきじゅんれいごときの人を助けたまふにやと、あるじのなすことに心をとどめてみるに、ただ無智無分別にして、正直偏固へんこものなり。剛毅木訥ごうきぼくとつの仁に近きたぐひ、気禀きひん清質せいしつもっとも尊ぶべし。

 卯月うづき朔日ついたち御山おやま詣拝けいはいす。往昔そのむかし、この御山を「二荒山ふたらさん」と書きしを、空海大師開基かいきの時、「日光」とあらためたまふ。千歳未来せんざいみらいさとりたまふにや、今この御光みひかり一天にかかやきて、恩沢八荒おんたくはつくわうにあふれ、四民安堵しみんあんどすみか穏やかなり。なほはばかり多くて、筆をさし置きぬ。

  あらたふと青葉あおば若葉わかばの日の光

 黒髪山くろかみやまは、かすみかゝりて、雪いまだ白し。

  てて黒髪山に更衣ころもがへ     曾良そら

 曾良は河合かはひ氏にして、惣五郎そうごろうといへり。芭蕉の下葉したばに軒をならべて、薪水しんすいの労をたすく。このたび、松島・象潟きさがたながめともにせんことをよろこび、かつは羈旅きりょの難をいたはらんと、旅立つあかつき、髪を剃りて、墨染すみぞめにさまをへ、惣五を改めて宗悟そうごとす。よって黒髪山の句あり。「衣更ころもがへ」の二字、ちからありて聞こゆ。

 廿余丁にじゅうよちょう山を登つて、滝あり。岩洞がんとういただきより飛流して百尺はくせき、千岩の碧潭へきたんに落ちたり。岩窟がんくつに身をひそめ入りて滝の裏より見れば、裏見うらみの滝と申し伝えはべるなり。

  しばらくは滝にもるやはじ


那須野

 那須なす黒羽くろばねといふ所にる人あれば、これより野越のごえにかゝりて、直道すぐみちかんとす。はるかに一村いっそんを見かけてくに、雨降り日るる。農夫の家に一夜いちやりて、明くればまた野中のなかく。そこに野飼のがひの馬あり。草刈るをのこなげれば、野夫やぷといへどもさすがになさけらぬにはあらず。「いかゞすべきや。されどもこの野は東西縦横じゅうわうかれて、うゐうひしき旅人の道みたがえん、あやしうはべれば、この馬のとどまる所にて馬を返したまへ」と、しはべりぬ。ちひさき者ふたり、馬の跡したひて走る。ひとりは小姫こひめにて、名を「かさね」といふ。聞きなれぬ名のやさしかりければ、

  かさねとは八重撫子やえなでしこの名なるべし 曾良

やがて人里にいたれば、あたひくらつぼに結び付けて馬を返しぬ。


黒羽

 黒羽くろばね館代くわんだい浄坊寺じょうぼうじなにがしかたにおとづる。思ひがけぬあるじの喜び、日夜語り続けて、その弟桃翠たうすいなどいふが、朝夕ちょうせきつととぶらひ、みずからの家にも伴ひて、親族のかたにもまねかれ、日をふるままに、一日ひとひ郊外に逍遙せうえうして、犬追物いぬおふものの跡を一見いっけんし、那須なす篠原しのはらけて、玉藻たまもまへの古墳をふ。それより八幡宮はちまんぐうまうづ。与一よいち宗高むねたか扇のまとし時、「べつしてはわが国の氏神正八幡しやうはちまん」とちかひしも、この神社にてはべると聞けば、感應かんのうことにしきりにおぼえらる。暮るれば桃翠宅に帰る。

 修験しゅげん光明寺くわうみやじといふあり。そこにまねかれて行者堂ぎょうじゃだうを拝す。

  夏山に足駄あしだを拝む首途かどでかな


2021年2月12日

発端 ~ 室の八島/1 奥の細道

蕪村「奥の細道図上巻」発端、旅立ち、草加、室の八島

発端

 月日つきひ百代はくたい過客くわかくにして、行きかふ年もまた旅人なり。 舟の上に生涯しやうがいを浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。 も、いづれの年よりか、片雲へんうんの風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜かいひんにさすらへて、去年こぞの秋、江上かうしやう破屋はをくに蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てるかすみの空に、白河の関えんと、そぞろがみのものにつきて心をくるはせ、道祖神どうそじんまねきにあひて、取るもの手につかず、股引ももひきの破れをつづり、かさ付けかへて、三里にきうすうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風さんぷう別墅べっしょうつるに、

  草の戸も住み替はるひなの家

表八句おもてはちくあんの柱にけ置く。


旅立ち

 弥生やよひすえの七日、あけぼのの空朧々ろうろうとして、月は有明ありあけにて光おさまれるものから、富士不二の嶺かすかに見えて、上野うえの谷中やなかの花のこずゑ、またいつかはと心ぼそし。むつまじき限りはよひよりつどひて、舟に乗りて送る。千住せんぢゆといふ所にて船をがれば、前途せんど三千里の思い胸にふさがりて、まぼろしちまた離別りべつなみだをそゝぐ。

  行く春や鳥うをの目はなみだ

これを矢立やたての初めとして、行く道なほ進まず。人々は途中みちなかに立ちならびて、後影うしろかげの見ゆるまではと見送みおくるなるべし。


草加

 ことし、元禄二年げんろくふたとせにや、奥羽長途ちょうど行脚あんぎゃただかりそめに思ひ立ちて、呉天ごてん白髪はくはつうらみをかさぬといへども、耳にれていまだ目に見ぬさかひ、もし生て帰らばと、定めなき頼みのすえをかけ、その日やうやう草加そうかといふ宿しゅくにたどり着きにけり。痩骨そうこつの肩にかゝれる物、まづくるしむ。ただ身すがらにとはべるを、紙子かみこ一衣いちえは夜のふせぎ、浴衣ゆかた・雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたきはなむけなどしたるは、さすがに打捨うちすてがたくて、路頭ろとうわずらひとなれるこそわりなけれ。


室の八島

 むろ八島やしまけいす。同行どうぎやう曾良そらがいはく、「この神は花咲耶姫はなさくやひめの神ともうして、富士一躰いったいなり。無戸室うつむろりて焼きたまふ、ちかひの御中みなかに、火々出見ほほでみみこと生まれたまひしより、むろ八島やしままうす。またけぶりならはしはべるもこのいはれなり。はた、このしろといふうをを禁ず」。 縁記えんぎの旨、世に伝ふこともはべりし。


室の八島 草加 旅立ち 発端

2020年3月9日

その如月の望月の頃

陰暦二月十五日の月 03.09 藤岡東平井 陰暦二月十五日の月 03.09 藤岡東平井

ねがはくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃 by 西行

更科紀行「要約抜粋」 芭蕉

さらしなの里、姥捨山おばすてやまの月見んこと…
…いでや月のあるじに酒ふるまはん、といへば、さかずき持いでたり。よのつねにひとめぐりも大きに見えて、ふつゝかなる蒔絵をしたり

あの中に蒔絵まきえ書たし宿の月

かけはしや命をからむつたかづら

おもかげうばひとり泣く月の友

十六夜いざよひもまだ更科のこほり

3月9日は陰暦だと二月十五日です。矢場まで戻ってきたら庚申山のむこうに月が昇ってました。写真をあげただけ、下書きのままで四ヶ月…(^┬^;

昨夜(07/27)は「月山と芭蕉」らじる★らじる、を聴きながら寝落ちしちゃいました ( _ _ ).。o○

もろともにあはれと思へ山桜やまざくら 花よりほかに知る人もなし

目覚めたら行尊の短歌と更科紀行てな言葉が耳に残ってました。うん、桜に月、あっ、西行だ、撮ってたばい。あげとかな… (^-^)

エイザンスミレ 03/09 上州藤岡下日野 この日は名無村で花猫の目、黒石で叡山菫を撮ってます。まだ、桜花は咲いてませんでした。て、たぶん (°-°;