2021年5月31日

ヒルガオかな…

たぶんヒルガオ 小満/05.31 上州藤岡白石丘陵公園 たぶんヒルガオ 小満/05.31 上州藤岡白石丘陵公園 たぶんヒルガオ 小満/05.31 上州藤岡白石丘陵公園

大きめの花で葉に曲線部が多いと感じました。翼があればコヒルガオ。なければヒルガオてなことを聞きます。ずっとそうしてきたんですがアイノコヒルガオがいます。翼の有無だけで見分けるのは無理なようです。で、このところは花の大きさや葉の丸さなども観るようにしています。初心忘るべからず… (´ー`)

ヒルガオとコヒルガオ『植物一日一題』牧野富太郎

 日本のヒルガオには二つの種類があって、一つはヒルガオ(Calystegia nipponica Makino, nom. nov.=C. japonica Choisy non Convolvulus japonicus Thunb.)一つはコヒルガオ(Calystegia hederacea Wall.)である。これらは昼間に花が咲いているので、それで昼顔の名があって朝顔(Pharbitis hederacea Choisy var. Nil Makino=Ph. Nil Choisy)に対している。

 また右のヒルガオ、アサガオとは関係ないが、ついでだから記してみると、今日民間で夕顔と呼んでいるものはいわゆる Moon-flower(Calonyction Bona-nox Bojer)で、これは夕顔の名をかぶしているが、その正しい称えは夜顔(田中芳男たなかよしお氏命名)である。そして本当の夕顔は瓜類の夕顔(Lagenaria leucantha Rusby var. clavata Makino)で、これは昔からいう正真正銘のユウガオである。ここに四つの顔が揃った。すなわち朝顔、昼顔、夕顔、夜顔である。これを歌にすれば「四つの顔揃えて見れば立優る、顔はいづれぞ四つのその顔」

 古えより我国の学者はコヒルガオをヒルガオとし、ヒルガオをオオヒルガオと呼んでいるが、私の考えはこれと正反対で、右のヒルガオをコヒルガオとし、オオヒルガオをヒルガオと認定している。それはそうするのが実際的であり自然的であり、また鑑賞的であって、したがって先人の見解が間違っているとみるからである。

 なぜ昔からの日本の学者達は、その花が爽かで明るく、その大きさが適応で大ならず小ならず、その観た姿がすこぶる眼に快よいヒルガオの花が郊外で薫風にそよぎつつ、そこかしこに咲いているにかかわらず、花が小さくてみすぼらしく色も冴えなく、なんとなく貧相であまり引き立たないコヒルガオを特にヒルガオと称えたかと推測するに、それは古えより我国の学者が、随喜の涙を流して尊重した漢名すなわち中国名が禍をなしてこんな結果を生んだものだと私は確信している。そうでなければ一方に優れた花のヒルガオがあるにもかかわらず、花の美点の淡き貧困なコヒルガオを殊さらに選ぶ理屈はないじゃないか。

 中国の本草、園芸などの書物に旋花センカ、一名|鼓子花コシカ、別名|打碗花ダエンカ等があるが、これらは元来コヒルガオの漢名でヒルガオの名ではない。にもかかわらず日本の学者達はみなこれをヒルガオとしているから、そこで古来一般この旋花すなわち鼓子花がヒルガオの名になっているのである。そしてこの種以外にある優れた花のヒルガオを特にオオヒルガオと呼んでいるが、これはこのように取り扱うには及ばなく、このオオヒルガオをヒルガオとすればそれでよろしく、実際その花がヒルガオとしての価値を十分に発揮している。六、七、八月の候に野外でよくこれを見受けるが、この花をヒルガオそのものとすれば誰でも成るほどとうなずくのであろう。そして中国、否、アジア大陸にはこの品はなく、これは日本の特産でありすなわち一つの国粋花でもある。従来の本草学者はこれを『救荒本草きゅうこうほんぞう』に出ている藤長苗にあてているが当っていない。そしてこの藤長苗はその葉に底耳片なく茎には細毛ある種で、我がヒルガオとは全然異なっている。Bailey 氏の Manual of Cultivated Plants の書中にある Convolvulus japonicus Thunb. は日本(中国にもインドにもある)のコヒルガオと中国産の藤長苗(?)とが混説せられているようだ。そして Calystegia pubescens Lindl. は多分藤長苗の学名であろう。かつまた Convolvulus japonicus Thunb. はコヒルガオそのものであってヒルガオではない。

 ヒルガオには白花品があってこれをシロバナヒルガオと称する。古人の描いた図にも出ているが、私は先年これを紀州高野山で採集した。学名は Calystegia nipponica Makino var. albiflora Makino である。そしてこれを Calystegia subvolubilis Don var. albiflora Makino et Nemoto とするのは非で、この C. subvolubilis Don は全然日本になく、これは大陸の種である。そして日本のヒルガオは日本の特産で大陸にはなく、したがって中国にも産しない。ゆえにヒルガオには漢名はない。上記の如く旋花、一名鼓子花を昔からヒルガオとしてあるこのいわゆるヒルガオは前述の通りにまさにコヒルガオそのものであり、またあらねばならない。

 旋花の意味は、その花の花冠(Corolla)が弁裂せずに完全に合体して、環に端がないように、その縁がめぐっているからだといわれる。また鼓子花の意味はその形が軍中で吹く鼓子に似ているからだとのことである。そうするとこの鼓子は、鼓のようにポンポン打つもんではなくて、ブーブーと吹き鳴らす器である。

タツナミソウ

タツナミソウ 小満/05.31 上州牛伏山 タツナミソウ 小満/05.31 上州牛伏山

このお方、ず〜っと立浪草タツナミソウと表記してきましたが今日からタツナミソウとします。あっ、新たな発見があった訳じゃないんです。今まで立浪草たちの絵合わせをしてきた中で「タツナミソウ」でいいかなと思いました。もともと分類を苦手としています。それに、あと1週間もすれば緑野山の東国紫蘇葉立浪トウゴクシソバタツナミが咲き始めます。今後はタツナミソウでいきます (´ー`)

今日パチをメモっときます σ(°┰~ )
大神場 ウツギ
牛伏山 タツナミソウ、キモンガ、ヒメウラナミジャノメ、アカショウマ、モミジイチゴ
七輿山 クロガネモチ、ムクドリ、ヒメジョオン、ヤマナシ、ヒバリ、ヒルガオ

2021年5月30日

カワトンボかな…

カワトンボかも… 小満/05.30 上州藤岡高山

二度寝しちゃいました。トンボ図鑑を視ててタイムアップ。行ってきます (´ー`)

ヤマタツナミソウ

ヤマタツナミソウ 小満/05.30 上州藤岡金井 ヤマタツナミソウ 小満/05.30 上州藤岡金井

金井のヤマタツナミソウ、咲いてました。今年は地盤の崩落に巻き込まれて、30日は1株だけでした。あと、土を被りながらも起き上がっていたお方が2株いました。このままじゃ寂しいんでまた観に行ってみます (´ー`)

桑の実/05.30

桑の実 小満/05.30 上州藤岡神流川 桑の実 小満/05.30 上州藤岡神流川

もう役目は終わっている河川敷の真桑まぐわです。数年前に樹勢が衰えたのか、ちょっぴりしか実を付けなかったことがありました。桑は雌雄異株ですよね。で、枝単位で雌雄が変わるんかも、などと妄想の世界を漂っていた狸がいたんだとさ (´ー`)

2021年5月28日

昼と夜 05.26

ムギワラトンボ(シオカラトンボ♀)小満/05.26 上州藤岡緑埜 日本アマガエル 小満/05.26 上州藤岡緑野山 姫ウラナミジャノメ 小満/05.26 上州藤岡緑埜

明るいときに撮った3枚をあげました。まず、シオカラトンボの♀です。ムギワラトンボ「麦藁トンボ」ともよばれてるようです。2枚目はヒメウラナミジャノメ「姫裏波蛇目蝶」。3枚目は日本アマガエルです。風で揺れているミツバアケビの葉にぴったりと吸着してました。で、夕方から雨かなと思ったふぅ狸でした (^-^)

5月26日は陰暦だと卯月「四月」十五日。が、小満の宵に昇ってくる望月は観られないはず。皆既月食がアナウンスされていました。月の出は 18:43、月食の始まりは 18:44 です。もっとも雲が厚くて皆既月食が終わった 22:00 頃に、南東の空で滲んでいた月を見ただけでした (°-°;
赤銅の月、夜空に「3年ぶり皆既月食」前橋、榛東から撮影

国立天文台が撮影した2021年5月26日の皆既月食

2021年5月24日

壷の碑 ~ 松島/5 奥の細道

奥の細道図

壷の碑

壷碑つぼのいしぶみ    市川村多賀城たがじやうにあり。

 つぼの石ぶみは、高サ六尺余、横三尺ばかりか。こけ穿うがちて文字かすかなり。四維しゆい国界こくかいの数里をしるす。「この城、神亀じんき元年、按察使あぜつし鎮守府ちんじゅふ将軍大野朝臣東人おおののあそんあずまうとのおくところなり。天平てんぴゃう宝字六年、参議東海東山とうせん節度使おなじく将軍恵美朝臣えみのあそん朝獦あさかり修造しゆぞう而、十二月朔日ついたち」とあり。聖武しやうむ皇帝の御時おほんときに当たれり。昔よりよみ置ける歌枕、多く語り伝ふといへども、山くづれ、川流れて、道あらたまり、石はうづもれて土に隠れ、木は老て若木わかぎに代はれば、時移り、変じて、その跡たしかならぬことのみを、ここにいたりて疑ひなき千歳せんざい記念かたみ、今眼前に古人の心をけみす。行脚あんぎやの一徳、存命の悦び、羈旅きりょろうを忘れて、涙も落つるばかりなり。


末の松山・塩竈

 それより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。末の松山は、寺を造りて末松山まつしょうざんといふ。松のあひあひみな墓原にて、はねはし枝を連ぬる契りの末も、ついにはかくのごときと、悲しさもまさりて、塩竈しおがまの浦に入相いりあひの鐘を聞く。五月雨さみだれの空いささか晴れて、夕月夜ゆうづくよかすかに、まがきが島もほど近し。あま小舟おぶねれて、さかなかつ声々こえごえに「つなでかなしも」とよみけん心もられて、いとどあはれなり。その夜、目盲めくら法師の、琵琶びはらして、おく浄瑠璃じょうるりといふものをかたる。平家にもあらず、まひにもあらず、ひなびたる調子うちげて、まくらちかうかしましけれど、さすがに辺国の遺風忘れざるものから、殊勝しゆしやうにおぼえらる。

 早朝、塩竃しほがま明神みやうじんまうづ。国守再興せられて、宮柱みやばしらふとしく、彩椽さいてんきらびやかに、石のきざはし九仞きうじんに重なり、朝日あけの玉垣をかかやかす。かかる道の果て、塵土ぢんどの境まで、神霊あらたにましますこそわが国の風俗なれと、いとたうとけれ。神前に古き宝燈あり。かねびらのおもてに「文治三年和泉いづみの三郎さぶろう寄進」とあり。五百年来のおもかげ、今目の前にかびて、そぞろに珍し。かれは勇義忠孝の士なり。佳命かめい今にいたりてしたはずといふことなし。まことに「人よく道を勤め、義を守るべし。名もまたこれにしたがふ」といへり。日すでにに近し。船を借りて松島にわたる。そのかん二里余り、雄島をじまいそく。


松島

 そもそも、ことふりにたれど、松島は扶桑ふそう第一の好風にして、およそ洞庭どうてい西湖せいこを恥ぢず。東南より海を入れて、江のうち三里、浙江せつかううしほたゝふ。島々の数を尽くして、そばだつものは天をゆびさし、すふすものは波に匍匐はらばふ。あるは二重ふたへにかさなり、三重みへたたみて、左に分かれ右に連なる。負へるあり、いだけるあり。児孫じそん愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉しえふ汐風に吹きたはめて、屈曲おのづからめためたるがごとし。その気色けしきようぜんとして美人のかんばせよそほふ。ちはやふる神のむかし大山祗おおやまづみのなせるわざにや。造化ぞうくわの天工、いづれの人か筆をふるひ、ことばを尽くさむ

 雄島が磯は、地続きて海に成出なりいでたる島なり。雲居禅師うんごぜんじの別室の跡、坐禅石ざぜんせきなどあり。はた、松の木陰こかげに世をいとふ人も稀々まれまれ見えはべりて、落穂おちぼ松笠まつかさなどうちけふりたる草のいおりしずかに住すみなし、いかなる人とはしられずながら、まづなつかしく立ち寄るほどに、月、海にうつりて、昼のながめまたあらたむ。 江上こうしょうに帰りて宿を求むれば、窓をひらき二階を作りて、風雲のうち旅寝たびねするこそ、あやしきまでたえなる心地ここちはせらるれ

  松島やつるに身をれほととぎす  曽良

予は口をとぢてねむらんとしていねられず。旧庵をわかるる時、素堂そどう松島の詩あり。原安適はらあんてき、松が浦島うらしまの和歌を贈らる。袋をきてこよひの友とす。かつ、杉風さんぷう濁子じょくし発句ほっくあり。


2021年5月15日

帯化ノアザミ

帯化してるノアザミ 立夏/05.15 上州藤岡西平井 帯化してるノアザミ 立夏/05.15 上州藤岡西平井 帯化してるノアザミ 立夏/05.15 上州藤岡西平井

3シーズン連続して観ている帯化したノアザミです。15日は3株ほど観てきました σ(°┰~ )

wiki:帯化「たいか」は、植物で見られる奇形である。綴化「てっか」、石化「せっか、いしか」などともいう