2021年9月7日

但馬皇女:万葉集、秋の田の/おくれ居て/人言を

実りの稲穂 処暑/09.06 上州藤岡矢場

穂積皇子:家にありし櫃に鍵さし蔵めてし恋の奴の つかみかかりて

巻二・一一四 但馬皇女たじまのひめみこ高市皇子たけちのみこの宮にいます時
穂積皇子ほづみのみこを思ほして作りませる歌一首

秋の田の穂向ほむききのれることよりに
君に寄りなな言痛こちたかりとも

秋田之 穂向乃所縁 異所縁 君尓因奈名 事痛有登母

秋の田の稲穂が一つ方向になびいている。そのなびきのようにただひたむきに、あなたに寄りそいたい。たとい噂がやかましくても

 

巻二・一一五 穂積皇子にみことのりして近江の志賀の山寺に
遣はす時、但馬皇女の作りませる歌一首

おくれ居て恋ひつつあらずは 追いかむ
道の隈廻くまみしめへ わが

遺居而 戀管不有者 追及武 道之阿廻尓 標結吾勢

あとに残ってこんなに恋い焦がれていないで、あなたのあとを追って行こう。どうか道の曲り角ごとにしるしを結びつけておいて下さい。あなた

 

巻二・一一六 但馬皇女、高市皇子たけちのみこの宮にいます時
ひそかに穂積皇子にひて
事すでにあらはれて作りませる歌一首

人言ひとごとしげ言痛こちた

おのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る

人事乎 繁美許知痛美 己世尓 未渡 朝川渡

人の噂がひどくやかましいので、生まれてまだ渡ったこともない朝の川を渡ることだ

実りの稲穂 処暑/09.06 上州藤岡矢場

↓ここから『万葉秀歌』斉藤茂吉です

 

人言ひとごとをしげみ言痛こちたみおのがにいまだわたらぬ朝川あさかはわたる

「巻二・一一六」 但馬皇女

 但馬皇女たじまのひめみこ(天武天皇皇女)が穂積皇子ほづみのみこ(天武天皇第五皇子)を慕われた歌があって、「秋の田の穂向ほむきのよれる片寄りに君に寄りなな言痛こちたかりとも」(巻二・一一四)の如き歌もある。この「人言を」の歌は、皇女が高市皇子の宮に居られ、ひそかに穂積皇子に接せられたのがあらわれた時の御歌である。
「秋の田の」の歌は上の句は序詞があって、技巧も巧だが、「君に寄りなな」の句は強く純粋で、また語気も女性らしいところが出ていてよいものである。「人言を」の歌は、一生涯これまで一度も経験したことの無い朝川を渡ったというのは、実際の写生で、実質的であるのが人の心を牽く。特に皇女が皇子に逢うために、ひそかに朝川を渡ったというように想像すると、なお切実の度が増すわけである。普通女が男の許に通うことは稀だからである。

        ○      ○

ゆきはあはになりそ吉隠よなばり猪養ゐがひをかせきなさまくに

「巻二・二〇三」 穂積皇子

 但馬たじま皇女が薨ぜられた(和銅元年六月)時から、幾月か過ぎて雪の降った冬の日に、穂積皇子が遙かに御墓(猪養の岡)を望まれ、悲傷流涕りゅうていして作られた歌である。皇女と皇子との御関係は既に云った如くである。吉隠よなばり磯城しき郡初瀬町のうちで、猪養の岡はその吉隠にあったのであろう。「あはにな降りそ」は、諸説あるが、多く降ることなかれというのに従っておく。「せきなさまくに」はせきをなさんに、せきとなるだろうからという意で、これも諸説がある。金沢本には、「塞」が「寒」になっているから、新訓では、「寒からまくに」と訓んだ。

 一首は、降る雪は余り多く降るな。但馬皇女のお墓のある吉隠の猪養の岡にかよう道をさえぎって邪魔になるから、というので、皇子は藤原京(高市郡鴨公村)からこの吉隠(初瀬町)の方を遠く望まれたものと想像することが出来る。

 皇女の薨ぜられた時には、皇子は知太政官事ちだいじょうかんじの職にあられた。御多忙の御身でありながら、或雪の降った日に、往事のことをも追懐せられつつ吉隠の方にむかってこの吟咏をせられたものであろう。この歌には、解釈に未定の点があるので、鑑賞にも邪魔する点があるが、大体右の如くに定めて鑑賞すればそれで満足し得るのではあるまいか。前出の、「君に寄りなな」とか、「朝川わたる」とかは、皆皇女の御詞であった。そして此歌に於てはじめて吾等は皇子の御詞に接するのだが、それは皇女の御墓についてであった。そして血の出るようなこの一首を作られたのであった。結句の「塞なさまくに」は強く迫る句である。

        ○      ○

今朝けさあさかりがねきつ春日山かすがやまもみぢにけらしがこころいた

「巻八・一五一三」 穂積皇子

 穂積皇子ほづみのみこの御歌二首中の一つで、一首の意は、今日の朝に雁の声を聞いた、もう春日山は黄葉もみじしたであろうか。身にみて心悲しい、というので、作者の心が雁の声を聞き黄葉を聯想しただけでも、心痛むという御境涯にあったものと見える。そしてなお推測すれば但馬皇女たじまのひめみことの御関係があったのだから、それを参考するとおのずから解釈出来る点があるのである。いずれにしても、第二句で「雁がね聞きつ」と切り、第四句で「もみぢにけらし」と切り、結句で「吾が心痛し」と切って、ぽつりぽつりとしている歌調はおのずから痛切な心境を暗指するものである。前の志貴皇子の「石激る垂水の上の」の御歌などと比較すると、その心境と声調の差別を明らかに知ることが出来るのである。もう一つの皇子の御歌は、「秋萩は咲きぬべからし吾が屋戸やどの浅茅が花の散りぬる見れば」(巻八・一五一四)というのである。なお、近くにある、但馬皇女の、「ことしげき里に住まずは今朝鳴きし雁にたぐひて行かましものを」(同・一五一五)という御歌がある。皇女のこの御歌も、穂積皇子のこの御歌と共に読味うことが出来る。共に恋愛情調のものだが、皇女のには甘くせまる御語気がある。

 

巻十六・三八一六 穂積皇子ほづみのみこ御歌みうた一首

家にありしひつかぎをさめてし恋のやつこ
つかみかかりて

家尓有之 櫃尓鏁刺 蔵而師 戀乃奴之 束見懸而

家にあった櫃に鍵をかけて、しまっておいた恋の奴が、私につかみかかって苦しめることだ

◎左注に、右の歌一首は、穂積親王、宴飲うたげの日にして、酒たけなはなる時に、好みてこの歌を誦して、以てつねめでと為したまひき

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