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2024年7月9日

ヤマユリ「山百合」/07.07 上州高崎

ヤマユリ
ヤマユリ ヤマユリ ヤマユリ

万葉集 巻十八

天平感寶元年「七四九年」五月九日、諸僚、少目秦伊美吉石竹の舘に會ひて飲宴す。ここに主人、白合の花縵三枚を造り、豆器に疊ね置き賓客に捧げ贈る。各々この縵を賦して作る歌

4088 さ百合花 ゆりも逢はむと 思へこそ  今のまさかも うるわしみすれ

左由理婆奈さゆりばな 由里毛安波牟等ゆりもあはむと 於毛倍許曽おもへこそ
 伊末能麻左可母いまのまさかも 宇流波之美須礼うるはしみすれ

右の一首は大伴宿禰家持のあはするなり

 歌意がとれずに検索したとさ
百合の花というように、また後にもお会いしたいと思うからこそ、今この時も、誠実に親しくするのですよ…

牧野はヤマユリ『植物一日一題』で、ヤマユリは万葉歌とは全く関係はない。万葉歌と縁のあるものは主としてササユリ、オニユリ、ヒメユリである。多分コオニユリも見逃されないものであろう。と書いてます。ですが、検索でヤマユリを詠んだらしき歌がヒットしたんで…

越中の国府は富山県高岡市にあったようです。ヤマユリが自生していたかもしれませんね。がね、大輪で匂いが強いヤマユリです。花縵はなかづらにしたとは思えません (^-^)

2021年7月31日

安積山の歌/万葉秀歌

ヤマユリ 大暑/07.19 上州高崎吉井

難波津の歌は源氏物語に手習い歌で引用。難波津に咲くやこの花冬籠り今は春べと咲くやこの花

万葉集巻第十六 由縁ある雑歌

葛城王かづらきのおおきみ陸奥みちのくちしとき祇承緩怠しじょうかんたいなり。王のこころよろこびたまはざりしときにさき采女うねめさかづきを捧げて詠む歌一首

3807安積山あさかやま影さへ見ゆる山の井の
   浅き心を吾がはなくに

 葛城王かずらきのおおきみ陸奥国みちのくのくにに派遣せられたとき、国司の王を接待する方法がひどく不備だったので、王が怒って折角せっかくの御馳走にも手をつけない。その時、かつ采女うねめをつとめたことのある女が侍していて、左手にさかずきを捧げ右手に水を盛った瓶子へいしを持ち、王のひざをたたいて此歌を吟誦したので、王の怒が解けて、楽飲すること終日であった、という伝説ある歌である。葛城王は、天武天皇の御代に一人居るし、また橘諸兄たちばなのもろえが皇族であった時の御名は葛城王であったから、そのいずれとも不明であるが、時代からいえば天武天皇の御代の方に傾くだろう。併し伝説であるから実は誰であってもかまわぬのである。また、「さきの采女」という女も、かつて采女として仕えたという女で、必ずしも陸奥出身の女とする必要もないわけである。「安積あさか山」は陸奥国安積郡、今の福島県安積郡日和田町の東方に安積山という小山がある。其処だろうと云われている。木立などが美しく映っている広く浅い山の泉の趣で、上の句は序詞である。そして「山の井の」から「浅き心」に連接せしめている。「浅き心を吾が思はなくに」が一首の眼目で、あなたをば深く思いつめて居ります、という恋愛歌である。そこで葛城王の場合には、あなたを粗略にはおもいませぬというに帰着するが、此歌はその女の即吟か、或は民謡として伝わっているのを吟誦したものか、いずれとも受取れるが、遊行女婦うかれめは作歌することが一つの款待かんたい方法であったのだから、このくらいのものは作り得たと解釈していいだろうか。この一首の言伝いいつたえが面白いので選んで置いたが、地方に出張する中央官人と、地方官と、遊行女婦とを配した短篇のような趣があって面白い歌である。伝説の文の、「右手持レ水、撃二之王膝一」につき、種々の疑問を起しているが、二つの間に休止があるので、水を持った右手で王の膝をたたくのではなかろう。「之」は助詞である。

2021年7月24日

ヤマユリ 07.18 下日野

ヤマユリ 小暑/07.18 上州藤岡下日野 ヤマユリ 小暑/07.18 上州藤岡下日野 ヤマユリ 小暑/07.18 上州藤岡下日野

ヤマユリ『植物一日一題』牧野富太郎

 関西各地に多いササユリ(Lilium Makinoi Koidz)にも昔からヤマユリの一名があるが、今日普通に世人のいっているヤマユリは関東地方に多いユリであって、Lilium auratum Lindlの学名を有する。花は七、八月頃にひらき大形で香気多く、白色で花蓋片の中央部に黄を帯び紫褐点のあるのが普通品であるが、また紅色を帯ぶるものもある。そしてその色の濃い品を特にベニスジと称して珍重する。

 このユリの鱗茎、すなわち俗にいうユリ根は食用によろしい。ゆえに昔から関西各地では特に料理ユリの名がある。またさらに吉野ユリ、宝来寺ユリ、多武タブミネユリ、叡山ユリの名もある。また浮島ユリとも箱根ユリともいわれる。

 徳川時代にはこのユリをヤマユリの名では呼んでいなかったが、後ちこのヤマユリの名が段々東京を中心としてひろがって、普通一般の呼び名になったのは明治以降のことに属する。今日の人々はなにかと言えば直ぐヤマユリを持ち出すけれど、このヤマユリの名は近代において普通に幅を利かすようになったものである。それ以前は前記の通り料理ユリなどの名で呼んでいたのである。また徳川時代に出版になった『訓蒙図彙きんもうずい』や『絵本野山草えほんのやまぐさ』などにはオニユリ「巻丹」、ヒメユリ「山丹」、スカシユリ、カノコユリなどはあっても右のヤマユリの図は出ていない。

 このヤマユリは万葉歌とは全く関係はない。万葉歌と縁のあるものは主としてササユリ、オニユリ、ヒメユリである。多分コオニユリも見逃されないものであろう。
 ヤマユリは日本の特産で無論中国にはないから、昔の日本の学者がいうようにこれを天香百合とするのはもとよりあたっていない。

 

2021年7月20日

ヤマユリ/07.19 上州吉井小串

ヤマユリ 小暑/07.19 上州吉井小串 ヤマユリ 小暑/07.19 上州吉井小串 ヤマユリ 小暑/07.19 上州吉井小串

2日連続の猛暑日です。19日のヤマユリ (◯^o^◯)

ヤマユリ/07.18 上州吉井多比良

ヤマユリ 小暑/07.18 上州吉井多比良

今日「2021.07.20」も35℃を突破し2日連続で猛暑日…(。>_<。)
外出なしで喰っちゃ寝ばしとりました。でね、このところヤマユリやタマゴタケなどを撮ってます。が、なんかツイートする気にならずに画像倉庫に入れたまま… 出撃まで時間があります。多比良の林縁で撮ったヤマユリを単貼りしときます (^-^)

2017年8月3日

山百合/08.01 鮎川源流

ヤマボウシ「山法師」

1日に鮎川源流部の岩場に咲いていたヤマユリ(山百合)、かなり嶮しいとこです。

2017年7月27日

山百合/07.25 下日野

ヤマユリ「山百合」

25日に下日野の沢に咲いていたヤマユリ(山百合)、岨菜も写ってるんですが、、、

小暑になったら彼方此方で山百合が咲き始めました。もう10ツイートほどしてます。ふんで、山百合を見ちゃうとほかの花が撮れなくなっちゃう狸君です。あそこで咲いてた、あの崖でも見た、と探し回っています。が、何故か、ここにはUPしていませんでした。何枚か貼るつもりです。が、もうタイムアップです。トップだけにしといて、、、 _(__;)ゞ

黒揚羽かな。この日のベストショット。さらに上にもう一輪。22日付で擬宝珠を追加。