2021年2月15日

日光 ~ 黒羽/2 奥の細道

奥の細道図

日光

 卅日みそか、日光山のふもとに泊まる。あるじのいひけるやう、「わが名を仏五左衛門ほとけござえもんといふ。よろづ正直を旨とするゆゑに、人かくは申しはべるまま、一夜いちやの草のまくらもうちけて休みたまへ」といふ。いかなる仏の濁世塵土ぢょくせぢんど示現じげんして、かかる桑門そうもん乞食順礼こつじきじゅんれいごときの人を助けたまふにやと、あるじのなすことに心をとどめてみるに、ただ無智無分別にして、正直偏固へんこものなり。剛毅木訥ごうきぼくとつの仁に近きたぐひ、気禀きひん清質せいしつもっとも尊ぶべし。

 卯月うづき朔日ついたち御山おやま詣拝けいはいす。往昔そのむかし、この御山を「二荒山ふたらさん」と書きしを、空海大師開基かいきの時、「日光」とあらためたまふ。千歳未来せんざいみらいさとりたまふにや、今この御光みひかり一天にかかやきて、恩沢八荒おんたくはつくわうにあふれ、四民安堵しみんあんどすみか穏やかなり。なほはばかり多くて、筆をさし置きぬ。

  あらたふと青葉あおば若葉わかばの日の光

 黒髪山くろかみやまは、かすみかゝりて、雪いまだ白し。

  てて黒髪山に更衣ころもがへ     曾良そら

 曾良は河合かはひ氏にして、惣五郎そうごろうといへり。芭蕉の下葉したばに軒をならべて、薪水しんすいの労をたすく。このたび、松島・象潟きさがたながめともにせんことをよろこび、かつは羈旅きりょの難をいたはらんと、旅立つあかつき、髪を剃りて、墨染すみぞめにさまをへ、惣五を改めて宗悟そうごとす。よって黒髪山の句あり。「衣更ころもがへ」の二字、ちからありて聞こゆ。

 廿余丁にじゅうよちょう山を登つて、滝あり。岩洞がんとういただきより飛流して百尺はくせき、千岩の碧潭へきたんに落ちたり。岩窟がんくつに身をひそめ入りて滝の裏より見れば、裏見うらみの滝と申し伝えはべるなり。

  しばらくは滝にもるやはじ


那須野

 那須なす黒羽くろばねといふ所にる人あれば、これより野越のごえにかゝりて、直道すぐみちかんとす。はるかに一村いっそんを見かけてくに、雨降り日るる。農夫の家に一夜いちやりて、明くればまた野中のなかく。そこに野飼のがひの馬あり。草刈るをのこなげれば、野夫やぷといへどもさすがになさけらぬにはあらず。「いかゞすべきや。されどもこの野は東西縦横じゅうわうかれて、うゐうひしき旅人の道みたがえん、あやしうはべれば、この馬のとどまる所にて馬を返したまへ」と、しはべりぬ。ちひさき者ふたり、馬の跡したひて走る。ひとりは小姫こひめにて、名を「かさね」といふ。聞きなれぬ名のやさしかりければ、

  かさねとは八重撫子やえなでしこの名なるべし 曾良

やがて人里にいたれば、あたひくらつぼに結び付けて馬を返しぬ。


黒羽

 黒羽くろばね館代くわんだい浄坊寺じょうぼうじなにがしかたにおとづる。思ひがけぬあるじの喜び、日夜語り続けて、その弟桃翠たうすいなどいふが、朝夕ちょうせきつととぶらひ、みずからの家にも伴ひて、親族のかたにもまねかれ、日をふるままに、一日ひとひ郊外に逍遙せうえうして、犬追物いぬおふものの跡を一見いっけんし、那須なす篠原しのはらけて、玉藻たまもまへの古墳をふ。それより八幡宮はちまんぐうまうづ。与一よいち宗高むねたか扇のまとし時、「べつしてはわが国の氏神正八幡しやうはちまん」とちかひしも、この神社にてはべると聞けば、感應かんのうことにしきりにおぼえらる。暮るれば桃翠宅に帰る。

 修験しゅげん光明寺くわうみやじといふあり。そこにまねかれて行者堂ぎょうじゃだうを拝す。

  夏山に足駄あしだを拝む首途かどでかな


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