2022年9月20日

福井 ~ 大垣/11 奥の細道

奥の細道図

福井

 福井は三里ばかりなれば、夕飯ゆうめししたためて出づるに、黄昏たそがれの道たどたどし。ここに等栽とうさいといふ古き隠士あり。いづれの年にや江戸に来たりて予を尋ぬ。はる十年ととせ余りなり。いかにいさらばひてあるにや、はたにけるにやと、人に尋ねはべれば、いまだ存命してそこそことおしふ。市中ひそかに引き入りて、あやしの小家こいへ夕顔ゆうがお・へちまのへかかりて、鶏頭けいとう箒木はゝきゞに戸ぼそを隠す。さてはこの内にこそと、かどをたたけば、わびしげなる女のでて、「いづくよりわたりたまふ道心どうしん御坊ごぼうにや。あるじはこのあたり何某なにがしといふもののかたに行きぬ。もし用あらば尋ねたまへ」といふ。かれが妻なるべしと知しらる。昔物語ものがたりにこそかかる風情ふぜいははべれと、やがて尋ね会ひて、その家に二夜ふたよ泊まりて、名月は敦賀つるがみなとにと旅立つ。等栽もともに送らんと、すそをかしうからげて、道の枝折しおりかれつ。


敦賀

 やうやう白根しらねだけかくれて、比那ひなだけあらはる。あさむづの橋をわたりて、玉江たまえあしでにけり。うぐいすせきぎて、湯尾ゆのを峠をゆれば、ひうちじやう帰山かへるやま初鴈はつかりを聞きて、十四日の夕れ、敦賀つるがの津に宿をもとむ。

 その夜、月ことに晴れたり。「明日あすの夜もかくあるべきにや」といへば、「越路こしぢの習ひ、なほ明夜めいやの陰晴はかりがたし」と、あるじに酒すすめられて、気比けい明神みやうじんに夜参す。仲哀ちゆうあい天皇の御廟ごべうなり。社頭かんさびて、松のに月のり入りたる。御前おまへ白砂はくさ、霜を敷けるがごとし。往昔そのかみ遊行ゆぎやう二世の上人しやうにん大願発起たいぐわんほつきのことありて、みづから草をり、土石をになひ、泥渟でいていをかわかせて、参詣往来おうらいわずらひなし。古例今にえず。神前に真砂まさごになひたまふ。「これを遊行の砂持ちと申しはべる」と、亭主のかたりける。

  月清し遊行のてる砂の上

 十五日、亭主のことばにたがはずあめ降る。

  名月や北国ほくこく日和びより定めなき


種の浜

 十六日、空れたれば、ますほの小貝ひろはんと、いろはまに舟を走す。海上かいしやう七里あり。天屋てんや何某なにがしといふ者、破籠わりご小竹筒ささえなどこまやかにしたためさせ、しもべあまた舟にとりせて、追ひ風、時のきぬ。浜はわづかなる海士あま小家こいへにて、わびしき法華寺ほつけでらあり。ここに茶を飲み、酒をあたゝめて、夕暮れのさびしさ、感にへたり。


  さびしさや須磨すまちたる浜の秋


  波のや小貝にまじるはぎちり


その日のあらまし、等栽とうさいに筆をとらせて寺に残す。


大垣

 露通ろつうもこのみなとまでむかひて、美濃みのの国へとともなふ。こまたすけられて大垣おおがきの庄に入れば、曽良も伊勢いせより来たり合ひ、越人えつじんも馬をばせて、如行じよこうが家に入り集まる。前川子ぜんせんし荊口けいこう父子、その外したしき人々、日夜とぶらひて、蘇生そせいの者に会ふがごとく、かつよろこび、かついたはる。旅のものうさもいまだやまざるに、長月ながつき六日むいかになれば、伊勢いせ遷宮せんぐうおがまんと、また舟にりて、


  はまぐり
ふたみに
別れ行く秋ぞ


0 件のコメント: