2024年7月9日

ヤマユリ「山百合」/07.07 上州高崎

ヤマユリ
ヤマユリ ヤマユリ ヤマユリ

万葉集 巻十八

天平感寶元年「七四九年」五月九日、諸僚、少目秦伊美吉石竹の舘に會ひて飲宴す。ここに主人、白合の花縵三枚を造り、豆器に疊ね置き賓客に捧げ贈る。各々この縵を賦して作る歌

4088 さ百合花 ゆりも逢はむと 思へこそ  今のまさかも うるわしみすれ

左由理婆奈さゆりばな 由里毛安波牟等ゆりもあはむと 於毛倍許曽おもへこそ
 伊末能麻左可母いまのまさかも 宇流波之美須礼うるはしみすれ

右の一首は大伴宿禰家持のあはするなり

 歌意がとれずに検索したとさ
百合の花というように、また後にもお会いしたいと思うからこそ、今この時も、誠実に親しくするのですよ…

牧野はヤマユリ『植物一日一題』で、ヤマユリは万葉歌とは全く関係はない。万葉歌と縁のあるものは主としてササユリ、オニユリ、ヒメユリである。多分コオニユリも見逃されないものであろう。と書いてます。ですが、検索でヤマユリを詠んだらしき歌がヒットしたんで…

越中の国府は富山県高岡市にあったようです。ヤマユリが自生していたかもしれませんね。がね、大輪で匂いが強いヤマユリです。花縵はなかづらにしたとは思えません (^-^)

2024年7月6日

ヒメコウゾ/06.25 生勢

ヒメコウゾ
ヒメコウゾ ヒメコウゾ ヒメコウゾ

生勢の林縁をブラリしてたら色づきだしたヒメコウゾ「姫楮」と遭遇。ただ実だけではヒメコウゾなのかコウゾ「楮」なのか判りません。調べていて参考HP ヒメコウゾとコウゾの違いは?にたどりつきました。参考・引用しつつ少し書いてみます (^-^)

ヒメコウゾ ヒメコウゾは本州の岩手県以南、四国、九州に分布し低地や低山地の林縁に自生する。雌雄同株。コウゾ「楮/栲」はヒメコウゾとカジノキ「梶/構」の交雑種で雌雄異株。繊維を取る目的で栽培されているので人家近くで見られる。もっともヒメコウゾ、コウゾ、カジノキはコウゾとよばれてきたようです。サムネイルは雄花と雌花が写ってます。これはヒメコウゾです。

参考HP にはヒメコウゾは雌雄同株でよく結実し、葉柄は 0.5~1cm。コウゾは雌雄異株でほとんど結実せず、葉柄は1cm~3cmとあります。あと、ヒメコウゾの種子が鳥散布されている可能性も書いてあります。じっくり読んでみるとよいかも (^-^)

2024年7月5日

植物一日一題『ワスレグサと甘草』/牧野富太郎

ヤブカンゾウ

ワスレグサと甘草

 雑誌などによくワスレグサ「ヤブカンゾウ」のことを甘草と書いている人があるが、これは全く非で、このカンゾウに対してこの字を使うのはじつは間違いであることを知っていなければならない。これは萱草カンゾウと書かねばその名にはなり得ない。ワスレグサの苗を食ってみると、根元に多少甘味があるから、それで甘草だというのでない。

 萱は元来忘れるという意味の字で、それでその和名がワスレグサすなわち忘レ草となっている。このワスレグサの名は元来日本にはなかったが、萱草の漢名が伝ってから初めて出来た称呼だ。書物によれば中国の風習では何か心配事があって心が憂鬱なとき、この花に対すれば、その憂いを忘れるというので、この草を萱草と呼んだもんだ。そこでまた一つにこれを忘憂草とも称えまた療愁ともいわれる、すなわち療愁とは憂いを癒やす義である。

 中国の萱草は一重咲のものが主品である、すなわち学名でいえば Hemerocallis fulva L. である。この種名の fulva は褐黄色の意で、これはその花色に基づいたものである。この品は絶て日本には産しなく、ただ中国のみの特産である。それでこれをシナカンゾウともホンカンゾウともいわれる。上に書いたヤブカンゾウ「一名鬼カンゾウ」はその一変種で八重咲の花を開くが、面白いことにこれは中国ばかりでなく日本にも産する。つまり母種の一重咲のものはひとり中国のみに産し、その変種の八重咲のものが中国と日本とに産する。地質時代の昔の日本がまだアジア大陸に地続きになっていた時分にこの八重咲品のみが日本へ拡がっていて、その後中国と日本との間へ海が出来た後ち今にいたるまでこの八重咲品のみが日本の土地へ遺され、親子生き別れをしたものだ。中国の『救荒本草きゅうこうほんぞう』という書物にこの八重咲品の図が載っている。

 萱草を食用にすることは、日本よりも中国の方が盛んであるようだ。中国の本に「今人多   其嫩苗及花跗、葅  」と出て、また「人家園圃   」とも書いてある。また「花、葉芽倶ニ嘉蔬ナリ」ともある。また中国では「京師ノ人食フ 其土中ノ嫩芽ヲ一名ク二扁穿ト 」と述べてあるが、これはすなわち冬中に採る極めて初期の小さい嫩芽である。いつであったか数年前、東京の料理屋でこれを食膳に出したと聞いたことがあったがどこから仕入れたものか。これは通人の口に味う趣味的の珍らしい食品であって、多分少々舌に甘味を感ずるのであろう。おそらく扁穿とは扁ひらたき芽が土を穿って出るとの意味ではないかと思う。

 憂さを忘れるなら何にもワスレグサに限ったことはなく、綺麗な花なら何んでもよい筈だが、中国でたまたま草が乏しい場所であったのか、この大きな萱草の花を撰んで打ち眺めたものであろう。

美しき花を眺むる憂さ晴らし
思い余りし吾れの行く末

美しい花をながめりや憂ひを忘る
それがせめての心やり

忘れぐさ忘れたいもの山々あれど
忘れちゃならない人もある

ヤブカンゾウ