2021年9月8日

瑞巌寺 ~ 尿前の関/6 奥の細道

奥の細道図

瑞巌寺

 十一日、瑞巌寺ずいがんじまうづ。当寺とうじ三十二世の昔、真壁まかべ平四郎へいしろう、出家して入唐にっとう、帰朝ののち開山かいざんす。そののち雲居うんご禅師の徳化とくげによりて、七堂いらか改まりて、金壁こんぺき荘厳しょうごん光をかかやかし、仏土ぶつど成就じょうじゅ大伽藍だいがらんとはなれりける。かの見仏聖けんぶつひじりの寺はいづくにやとしたはる。


石巻

 十二日、平泉ひらいづみと心ざし、姉歯あねはの松・緒絶をだえの橋など聞き伝へて、人跡じんせきまれに、雉兎蒭蕘すうぜうの行きかふ道そこともかず、つひに道みたがへて、石巻いしのまきといふみなとづ。「こがね花く」とよみてたてまつりたる金華山きんかさん海上かいしやうに見わたし、数百の廻船くわいせん入江につどひ、人家じんか地をあらそひて、かまどけぶり立ち続けたり。思ひがけずかかる所にもたれるかなと、宿らんとすれど、さらに宿す人なし。やうやうまどしき小家こいへ一夜いちやかして、あくればまたらぬ道まよひ行く。袖のわたり・ぶちの牧・真野まのかや原などよそ目に見て、はるかなるつつみを行く。心細き長沼にふて、戸伊摩といまといふ所に一宿いっしゅくして、平泉にいたる。その間廿余里にじゅうよりほどとおぼゆ。


平泉

 三代の栄耀えとう一睡のうちにして、大門だいもんの跡は一里こなたにあり。秀衡ひでひらが跡は田野でんやになりて、金鶏山きんけいざんのみ形を残す。まづ高館たかだちのぼれば、北上川きたかみがわ、南部より流るる大河なり。衣川ころもがはは、和泉いづみじょうめぐりて、高館のもとにて大河に落ち入る。泰衡やすひららが旧跡は、ころもせきを隔てて、南部口をさしかため、えぞふせぐと見えたり。さても、義臣すぐってこの城にこもり、功名こうみょう一時いちじくさむらとなる。「国破れて山河あり、しろ春にしてくさあおみたり」と、かさうち敷きて、時の移るまでなみだを落としはべりぬ。


  夏草やつわものどもが夢の跡


  の花に兼房かねふさ見ゆる白毛しらがかな   曽良


 かねて耳おどろかしたる二堂にどう開帳す。経堂きょうどうは三将の像を残し、光堂ひかりどうは三代のひつぎを納め、三尊さんぞんほとけを安置す。七宝せて、珠のとびら風に破れ、こがねの柱霜雪そうせつに朽ちて、すでに頽廃たいはい空虚のくさむらとなるべきを、四面あらたに囲みて、いらかを覆ひて雨風をしのぎ、しばらく千載せんざい記念かたみとはなれり。


  五月雨さみだれの降りのこしてや光堂


尿前の関

 南部道はるかに見やりて、岩手いわでの里に泊まる。小黒崎をぐろさき・みづの小島こじまを過ぎて、鳴子なるごの湯より尿前しとまえせきにかかりて、出羽ではの国に越えんとす。この道旅人たびびとまれなる所なれば、関守せきもりあやしめられて、やうやうとして関をす。大山たいざんを登って日すでに暮れければ、封人ほうじんの家を見かけてやどりを求む。三日風雨荒れて、よしなき山中に逗留とうりゅうす。

  のみしらみ馬の尿ばりするまくらもと

 あるじのいはく、これより出羽でわくに大山おほやまを隔てて、道さだかならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべきよしをもうす。「さらば」といひて人を頼みはべれば、究境くっきゃうの若者、反脇指そりわきざしよこたへ、かしつえたずさへて、われわれが先に立ちて行く。今日こそ必ずあやふきめにもあふべき日なれと、からき思ひをなしてあとについて行く。あるじのふにたがはず、高山かうざん森々しんしんとして一鳥いっちょう声きかず、下闇したやみ茂りあひてる行くがごとし。雲端うんたんにつちふる心地ここちして、しのの中踏み分け踏み分け、水をわたり、岩につまづいて、はだつめたき汗を流して、最上もがみしやうづ。かの案内あないせし男子をのこふやう、「この道かならず不用ぶようのことあり。つつがなうをくりまゐいらせて、仕合しあはせしたり」と、よろこびてわかれぬ。あとに聞きてさへ、胸とどろくのみなり。


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