2021年2月12日

発端 ~ 室の八島/1 奥の細道

蕪村「奥の細道図上巻」発端、旅立ち、草加、室の八島

発端

 月日つきひ百代はくたい過客くわかくにして、行きかふ年もまた旅人なり。 舟の上に生涯しやうがいを浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。 も、いづれの年よりか、片雲へんうんの風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜かいひんにさすらへて、去年こぞの秋、江上かうしやう破屋はをくに蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てるかすみの空に、白河の関えんと、そぞろがみのものにつきて心をくるはせ、道祖神どうそじんまねきにあひて、取るもの手につかず、股引ももひきの破れをつづり、かさ付けかへて、三里にきうすうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風さんぷう別墅べっしょうつるに、

  草の戸も住み替はるひなの家

表八句おもてはちくあんの柱にけ置く。


旅立ち

 弥生やよひすえの七日、あけぼのの空朧々ろうろうとして、月は有明ありあけにて光おさまれるものから、富士不二の嶺かすかに見えて、上野うえの谷中やなかの花のこずゑ、またいつかはと心ぼそし。むつまじき限りはよひよりつどひて、舟に乗りて送る。千住せんぢゆといふ所にて船をがれば、前途せんど三千里の思い胸にふさがりて、まぼろしちまた離別りべつなみだをそゝぐ。

  行く春や鳥うをの目はなみだ

これを矢立やたての初めとして、行く道なほ進まず。人々は途中みちなかに立ちならびて、後影うしろかげの見ゆるまではと見送みおくるなるべし。


草加

 ことし、元禄二年げんろくふたとせにや、奥羽長途ちょうど行脚あんぎゃただかりそめに思ひ立ちて、呉天ごてん白髪はくはつうらみをかさぬといへども、耳にれていまだ目に見ぬさかひ、もし生て帰らばと、定めなき頼みのすえをかけ、その日やうやう草加そうかといふ宿しゅくにたどり着きにけり。痩骨そうこつの肩にかゝれる物、まづくるしむ。ただ身すがらにとはべるを、紙子かみこ一衣いちえは夜のふせぎ、浴衣ゆかた・雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたきはなむけなどしたるは、さすがに打捨うちすてがたくて、路頭ろとうわずらひとなれるこそわりなけれ。


室の八島

 むろ八島やしまけいす。同行どうぎやう曾良そらがいはく、「この神は花咲耶姫はなさくやひめの神ともうして、富士一躰いったいなり。無戸室うつむろりて焼きたまふ、ちかひの御中みなかに、火々出見ほほでみみこと生まれたまひしより、むろ八島やしままうす。またけぶりならはしはべるもこのいはれなり。はた、このしろといふうをを禁ず」。 縁記えんぎの旨、世に伝ふこともはべりし。


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