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2023年5月15日

ホタルカズラ/05.14 上州牛伏山

ホタルカズラ「蛍葛」05.14/立夏 上州牛伏山 ホタルカズラ「蛍葛」05.14/立夏 上州牛伏山 ホタルカズラ「蛍葛」05.14/立夏 上州牛伏山

海のまぼろし 折口信夫

静かなる あさけに起きて
床の上に おおき投げキス
我、ついにかくのごときか
我、ついにむなしく老いて
かくながら命おえなむ
庭のおもに なびこう霧の
ほのぼのと漂う上に
紫陽花の青き花むら
澄みすすみて 深海の色 見つつ
我が心ぞ痛む
南のうるまの海の沖縄の遠き空より
帰りこし わたの記憶
大わたの波にうけたる
航空路の帰航の青さ
人しらで わた中に 渦潮ぞなりめぐる
めぐり澄む 青一色
飛行機はそこに陥る
瞬間に見し紫陽花
戦いのなかりしときの沖縄の
海のまぼろし
戦いにやぶれし国の
さすらいの老いのこの身の
取り返すものともあらぬ 青きまぼろし

2022年2月20日

死んだ妾を悼んで作った歌/巻三 462-474 家持

天平十一年六月 大伴家持 死んだオミナメを悼んで作った歌

 462 今よりは秋風さむく吹きなむを、如何イカにか、ヒトり長きを寝む

これからは、秋の風が冷たく吹いてくるだらうのに、タダ獨りうして、寝ようか。

イロトの大伴書持フミモチが、それにアハせた歌

 463 長き夜を獨りか寝むと君が言へば、過ぎにし人のおもほゆらくに

秋の長い夜を獨り寝なければならぬか、とあなたが仰つしやるにつけて、亡くなつた人が、思はれる事です。「唯 死んだ人も、淋しく思うてゐるでせう。」

其後、家持 雨落アマオイシの邊に咲いてゐる撫子ナデシコの花を見て作った歌

 464 秋さらば見つゝシノべとイモが植ゑし、宿ヤドの撫子きにけるかも

秋が来たら、これを見て大事に可愛がって下さい、といとしい人が植ゑて置いた、屋敷内の撫子が咲いた事だ。「それが、今では、ほんとにかたみになつてしまうた。」

七月朔日ツイタチになって、秋風の吹くのを悲しんで、家持が作った歌

 465 現身ウツソミの世は、ツネなしと知るものを。秋風さむみ、シヌびつるかも

人間の世間は何物もぢつとしてゐない、不變なものでない、と云う事は、訣つてゐるのだが、秋風の冷たさに、死んだ人の事を思い出して焦れる事だ。

マタ、家持の作つた歌。並びに短歌。三首

 466 我が宿に花ぞ咲きたる。を見れど、心もゆかす。はしきやしイモがありせば水鴨ミカモなす二人竝び手折タヲりても見せましものを。現身ウツソミれる身なれば、露霜ツユジモぬるが如く、足引アシヒきの山路ヤマジを指して、入日イリヒなすカクりにしかば、ソコふに胸こそ痛め。言ひもに名づけも知らに、跡もなき世の中なれば、せむスベもなし

自分の屋敷内に花が咲いた。それを見てゐるが心も晴れない。可愛いあの人が生きて居たなら、水に住む鴨の様に、二人ナラんで居て、其花を折つて見せようものを。人間の肉身ニクタイと云うものは、ほんのりの身體カラダであるから、秋の末の水霜が消えてしまう様に、墓場のある山の方へ向いて行つて、まるで入り口の様に隠れてしまうたので、其事を思ふと、胸が痛くなる。言ひアラはさうと思うても、言ふ事も出来ず、名状メイジヨウするにも、名状する事が出来ない程、何の痕跡も残らない、はかない世の中であるから、何とも爲方セムカタがない

反歌

 467 時はしも何時イツもあらなむを。心くい行く吾妹ワギモか。若兒ワクゴを置きて

死なうと思へば、何も今に限つた事はないのに、悲しくも、可愛い子どもをうつちやつておいて、つてシモうた人である事よ。

 468 出でゝ行く道知らませば、あらかじめイモを止めむセキもおかましを

いとしい人の出向いていく道が訣つてゐたら、前々からその人を引き止める關所セキシヨウでもゑて置いたのに。

 469 妹が見し宿に、花咲き、時はぬ。我が泣く涙 イマダなくに

死んだいとしい人が眺めてゐた、自分の屋敷内に花は咲いて、あゝ死んで後、時が經つた。自分の泣いて、こぼす涙は、だ干かないでゐる。

其後、イマだ悲しみの心が止まなかったので作った歌。五首

 470 かくのみにありけるものを。イモも、千年チトセの如くタノみたりけり

僅かこればかりの果敢ない命であったのに、あの人も、自分も、千年もいきてゐるものゝ様に信じてゐた事だ。

 471サカりいます吾妹ワギモを、トゞめえに山 ゴモりつれ、心どもなし

家を遠のいてお行きになる、いとしい人よ。自分が止める事の出来なかった爲に、山の中に籠つて、出て入らつしやらないので、元氣もなくなつた。

 472 世の中しツネかくのみと、かつ知れど、痛き心は忍びかねつも

人間世界は、何時もかう云ふ風になるに、きまつてゐるとは、うすく知つてゐるが、ソレでもつらい心は、辛抱しかねる事だ。

 473 佐保山にたなびくカスミ、見る毎にイモで、泣かぬ日はなし

佐保山にかゝつてゐる霞、それを見る度毎タビゴトに、其處に埋めてあるいとしい人を思い出して、泣かない日はない。

 474 昔こそ餘所ヨソにも見しか。吾妹子ワギモコが奥つ城とヘば、しき佐保山

以前は何とも思はず、餘處の様に思うて眺めてゐた事だつた。併し今では、其處が可愛い人の墓場だと思ふと、懐かしい佐保山よ。

表紙 折口 万葉集

2021年7月29日

桃の伝説「意富加牟豆美命」/折口信夫

実りの桃 夏至/07.05 上州藤岡緑埜

もも三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、しつに逃げ返りき。ここに伊耶那岐いざなぎみこと、桃の子に告りたまはく、「いまし、吾を助けしがごと、葦原の中つ國にあらゆるうつしき青人草あおひとぐさの、き瀬に落ちて、患惚たしなまむ時に助けよ」とのりたまひて、意富加牟豆美おほかむづみみことといふ名を賜ひき…

『桃の伝説』折口信夫

「桃・栗三年、柿八年、柚は九年の花盛り」といふ諺唄がある。り物の樹としては、桃は果実を結ぶのは早い方である。
一体、桃には、魔除け・悪気ばらひの力があるものと信ぜられて来てゐる。わが国古代にも、既に、此桃の神秘な力を利用した話がある。黄泉の国に愛妻を見棄てゝ、遁れ帰られたいざなぎの命、、、、、、は、後から追ひすがる黄泉醜女よもつしこめをはらふ為に、桃の実を三つとりちぎつて、待ち受けて、投げつけた。其で、悪霊から脱れる事ができたので「今、おれを助けてくれた様に、人間たちが苦瀬うきせに墜ちて悩んだ場合にも、やはりかうして助けてやつてくれ」と、桃に言ひつけて、其名として、おほかむつみの命、、、、、、、、といふのを下されたと伝へてゐる。

後世の学者は、桃の魔除けの力を、此神話並びに支那の雑書類に見えた桃のまぢっく、、、、の力から、説明しようとして居る。支那側の材料は別として、いざなぎの命、、、、、、の話が、桃に対する信仰の起原の説明にはなつて居ない。寧、当時すでに、桃のさうした偉力が認められてゐたので、其為に出来た説明神話と言ふべきものであらう。何故ならば、偶然取つて投げた木の実が、災ひを遠ざけたといふ話は、故意に、其偉力を利用してゐるからであり、魔物を却けようとする民俗と、幾足も隔つてはゐないからである。尠くとも、古事記・日本紀の原になつてゐる伝説の纏まつた時代、晩くとも奈良の都より百年二百年以前に、既に行はれてゐた民俗の起原を見せて居るに過ぎない。

何故こんな風習があるのか訣らぬ処から、此話は出来たのである。さすれば、其風習は、何時頃、何処で生れたものであらうか。国産か、舶来か。此が問題なのである。書物ばかりに信頼することの出来る人は、支那にかうした習慣が古くからある処から、支那の知識が古く書物をとほして伝はつたもの、と説明してゐるのである。又、わが国固有の風習だと信じてゐる人もあるが、何れにしても、日支両国の古代に、同じやうな民俗があつたといふことは、興味もあり、難かしい問題でもある。此場合、正しい解釈が二とほり出来るはずである。

桃並びに其に似た木の実の上に、かうした偉力を認めてゐる民族は尠くない。だから、支那と日本とで、何の申し合せもなく、偶然に一致したものと考へるのが一つ、其から今一つは、わが国の歴史家が想像してゐる以上に、支那からの帰化人の与へた影響が多かつたところにある。 其は、此までの学者が書物の上の知識を、直ぐさま民間の実用に応用する事ができもし、つても来たと考へてゐる学問上の迷信が、目を昏まして、真相を掴ませなかつたのであるが、たくさんの帰化人の携へて来たものは、単に、文化的な物質や有効な知識ばかりではなかつた。其故土で信じ、行ひして来た固有の風俗・習慣・信仰をも其まゝ将来して来た。彼等の帰化の為方が、個人帰化ではなく、団体帰化として、全村の民が帰化したといふ様な場合が多かつたのであるから、彼等は憚る処なく、其民俗を行ひ、信じてゐた事が考へられる。文化の進んだ帰化人の間の民俗が、はいから、、、、きの民衆の模倣を促さずに居る筈はない。

支那並びに朝鮮に行はれてゐた道教では、桃の実を尊ぶことが非常である。知らぬ人もない西王母は道教の上の神で、彼の東方朔が盗み食ひをしたといふ三千年の桃の実を持つてゐたのである。かうした桃の神秘の力を信ずる宗教をもつ人々が、支那或は朝鮮から群をなして渡来し、其行ふところを、進歩した珍らしい風習として、まねる事が流行したとすれば、我々が考へるよりも根深く、ひろく行はれ亘つたものと思はれる。

古事記・日本紀にある話が、全然、神代の実録だ、といふやうなことは考へられないのであるから、此話が、人皇の代になつてから這入つて来た、舶来の民俗を説明してゐるものだ、といふことの出来ない訣はない。だから、右の神話は国産、民俗は古渡りの物というてもよろしからう。今日のところでは、此以上の説明はできないと思ふ。
何はしかれ、千五百年、或は二千年も前から、此桃の偉力は信ぜられてゐた。桃の果実が女性の生殖器に似てゐるところから、生殖器の偉力を以て、悪魔はらひをしたのだといふ考へは、此民俗の起原を説明する重要な一个条であらう。桃に限らず、他の木の実でも、又は植物の花にすら、生殖器類似のものがあれば、それを以て魔除けに利用する例はたくさんある。あの五月の端午の菖蒲のごときも、あやめ、、、しやが、、、かきつばた、、、、、など一類の花を、女精のしむぼる、、、、としてゐるのから見ても知れよう。
なほ一个条を加へるならば、初めに言うた、桃の実りの速かなことも、此民俗を生み出す原因になつたであらう。 桃といふ語は、類例から推して来ると「もも」の二番目の「も」字は、実の意味である。木の実の名称に行の音が多く附いてゐるのは、此わけである。単に、日本の言葉ばかりから、桃の民俗を説明するならば、桃と股、桃と百などいふ類音から説明はつくであらうが、同様の民俗をもつてゐるたくさんの民族があるとすれば、同じ言語の上の事実がなければ、完全な説明とはならぬのである。我が国の桃には、実りの多い処から出たといふ「百」からする説明もあるが、此はやはり、多産力の方面から見れば、此民俗の起原の説明にはなるだらう。

人間以外に偉力あるもの、其が人間に働きかける力が善であつても、悪であつても、人力を超越してゐる場合には、我々の祖先は、此に神と名を与へた。猛獣・毒蛇の類も、神と言ひ馴らしてゐる。山川・草木・岩石の類も亦神名を負うたものが多い。桃がおほかむつみ、、、、、、といふ神であるのも不思議はない。神名があるからとて、神代にこの事実があつたらう、といふ様な議論は問題にならない。

さて、桃太郎の話である。話が今の形の骨組みに纏まつたのは、恐らく、室町時代のことであらう。併し、其種は古くからあるのである。われわれの神話・伝説・童話は書物から書物へ伝はつて、最後に、人の口に行はれるといふやうな考へ方は無意味である。書物は、全部のうちの一斑をも伝へて居ないのである。併しながら、古代の話は、書物から採集する他はないので、同じく書物をとり入れるにしても、其用心は必要である。
聖徳太子と相並んで、日本の民間芸術の始めての着手者と考へられて来たはた河勝かわかつは、伝説的に潤色せられたところの多い人である。昔、三輪川を流れ下つた甕をあけてみると、中から子どもが出た。成長したのが右の河勝であると言はれてゐる。此話の種は近世のものではない。秦氏が帰化人であるごとく、話の根本も舶来種である。われわれの祖先の頭には、支那も朝鮮も、口でこそもろこしと言ひ、からから国、、、は古くは、朝鮮に限つてゐた)というて区別はしてゐるけれど、海の彼方の国といふ点で、ごつちや、、、、にしてゐた跡はたくさんに見える。支那から来たものとせられてゐる秦氏に、此河勝の出生譚があるところから見ると、秦氏の故郷の考へに、一つの問題が起る。

一体、朝鮮の神話の上の帝王の出生を説くものには、卵から出たものとする話が多い。其中には、河勝同然水に漂流した卵から生れたとするものもある。竹のの中にゐた赫耶かぐや姫と、朝鮮の卵から出た王達きんたちとを並べて、河勝にひき較べてみると、却つて、外国の卵の話の方に近づいてゐる。此は恐らく、秦氏が伝へた混血種あいのこだねの伝説であらうが、同じく桃太郎も、赫耶姫よりは河勝に似、或点却つて卵の王に似てゐる。
思ふに、桃太郎の話には、尚、菓物から生れた多くの類話があるに違ひない。奥州に行はれてゐる、瓜から生れた瓜子姫子などゝ、出生の手続きは似てゐる。桃太郎・瓜子姫子間に出生の後先きをつけるわけにはいかないが、話としては、瓜子姫子の方が単純である。ともかくも、甕から出た河勝と桃太郎・瓜子姫子との間には、書物だけでは訣らない、長く久しい血筋の続きあひがあるに違ひない。

海又は川の水に漂うて神の寄り来る話は、各地の社に其創建の縁起として、数限りなく伝へられてゐる。古書類にも同型の伝説が、沢山見えてゐるのみならず、今も、祭礼の度毎に海から神の寄り来給ふ、と信じてゐる社さへある。
遥かな水の彼方なる神の国から神が寄り来ると言ふ事を、誕生したばかりの小さな神が舟に乗つて流れつく、といふ風に考へてゐる人々もある。北欧洲の海岸の民どもが、其である。記・紀で見ても、蛭子ひるこノ命の話は、此筋を引くものであり、同様に、すくなひこなの神、、、、、、、、も、誕生した神と云ふべきが脱して伝はつたもの、と考へる事が出来る。
水のまにまに寄り来る物の中から、神が誕生すると言ふ形式が、我が国にも固有せられてゐて、或英雄神の出生譚となり、世降つて桃から生れた桃太郎とまでなり下りはしたが、人力を超越した鬼退治の力を持つて、生れたと言ふ処から見ても、桃太郎以前は神であつた事が知れよう。
桃太郎が成長して、鬼个島を征伐するやうになつてからの名を、百合若大臣だといふのが、其昔、鬼个島であつた、と自認してゐる壱岐の島人の間に伝はる話である。何故、桃太郎が甕からも瓜からも、乃至は卵からも出ないで、桃から出たか。其は恐らく、だんだん語りつたへられてゐる間に、桃から生れた人とするのが一番適当だ、といふ事情に左右せられて、さうなつたものと思はれる。聯想は、無限に伝説を伸すものである。