2021年8月28日

をふさかかれる葛城の峰/西行

虹 小暑/07.15 武州上里

西行 さらにまたそり橋渡すここちして をふさかかれる葛城の峰

東歌 伊香保ろのやさかのゐでに立つ虹の 顕はろまでもさ寝をさ寝てば

西行 残集 31

月あかかりけるに池にかわづのなきけるをききて

さ夜ふけて月にかはづの声聞けば

みぎはもすゞし池のうき草

夜が深まり明るい月の光にカエルが鳴くのを聞いていると、水際も池の浮草も涼しそうで、立派な邸宅と実感されました。家誉め歌か…

 

西行 残集 32

高野に参りけるに葛城の山に虹のたちたるをみて

さらに又そり橋渡す心地して

をぶさかかれる葛城の峰

一言主の神が、役行者に命じられて途中までかけたという岩橋の上に、もうひとつ反り橋を渡したような大きく美しい虹が葛城山にかかっている

 

万葉集 巻十四 3414

伊香保いかほろの八尺やさか堰塞ゐでのじ

あろはろまでもさをさてば

相聞 東歌・上野國歌

 

伊香保呂能いかほろの 夜左可能為提尓やさかのゐでに 多都努自能たつのじの

安良波路萬代母あらはろまでも 佐祢乎佐祢弖婆さねをさねてば

伊香保の大きな堰にあざやかに顕れる虹のように、人目につくくらいまで、ずっとお前と寝ていられたらな…
恋人の家を訪れ、一夜を過ごした男は、明るくなる前に、帰らなければなりません。いち度は人目なんか気にしないで、心ゆくまで過ごしたいと…

2021年8月27日

山の田の稲穂いろづき秋を識り

稲穂に入道雲 処暑/08.26 上州藤岡矢場

魂合はば相寝るものを小山田の鹿猪田守るごと母し守らすも [母が守らしし]
母系社会の母と娘のバトル短歌です ( ̄ ̄□ ̄ ̄;) 語り&解説 上野誠教授

巻十二 3000

霊合者たまあはば 相宿物乎あひぬるものを 小山田之 をやまだの

鹿猪田禁如ししだもるごと 母之守為裳ははしもらすも

「一云 母之守之師ははがもらしし

たまはば

相寝あいぬるものを

小山田の

鹿猪田ししだるごと

母しらすも

「一に云はく、母が守らしし」

二人の魂が合えば一緒に寝ようものを…

山田を荒らす鹿や猪を見張るように

母が私を監視していらっしゃることよ

2021年8月25日

文月十八日の月/処暑 23:59

文月十八日の月 処暑/08.25 23:59 上州藤岡

買い食いにコンビニへ。たら、文月十八日の月が空高く昇ってました。まだ生きてます (^-^)

春日山霞たなびき心ぐく照れる月夜にひとりかも寝む 坂上大嬢

朗読&解説 佐々木教授

月夜には門に出で立ち夕占問ひ足占をぞせし行かまくを欲り 大伴家持


巻四・七三五
坂上大嬢さかのうへのおほいらつめ、家持に贈る歌一首

春日山かすみたなびき こころぐく照れる月夜つくよに ひとりかも寝む

春日山 霞多奈引 情具久 照月夜尓 獨鴨念

春日山に霞がたなびいて、ぼんやりと照っている月夜に、独り淋しく寝ることであろうか


巻四・七三六
家持、坂上大嬢さかのうへのおほいらつめあはする歌一首

月夜つくよにはかどに出で立ち 夕占ゆうけ問ひ足卜あうらをぞせしかまくを

月夜尓波 門尓出立 夕占問 足卜乎曽為之 行乎欲焉

月のある晩には門口に出て、夕占をしたり足卜をしたことである。あなたのところに行きたいと思って

寝っ子草は捩花じゃ

3537 くへ越しに麦食む小馬のはつはつに 相見し子らしあやに愛しも

朗読&解説 佐々木教授

"或本歌曰"で相見感たっぷりの異訓がついてます。載せときました (^-^)

芝付乃しばつきの 御宇良佐伎奈流みうらさきなる 根都古具佐ねつこぐさ 安比見受安良婆あひみずあらば 安礼古非米夜母あれこひめやも


芝付しばつき三浦崎みうらざきなるねつこ草

相見ずあらばあれ恋ひめやも

相聞 東歌 万葉集

巻十四 3508 ネジバナ「捩花」 小暑/07.12 上州藤岡緑埜

久敝胡之尓くへごしに 武藝波武古宇馬能むぎはむこうまの 波都々々尓はつはつに 安比見之兒良之あひみしこらし 安夜尓可奈思母あやにかなしも


くへ越しに麦む小馬のはつはつに

相見し子らしあやにかなしも

相聞 東歌 万葉集

巻十四 3537

馬柵越うませごし麦こまのはつはつに

新肌にいはだ触れし子ろしかなしも

2021年8月23日

わが里に/わが岡に/贈答歌

わが里に大雪降れり 大原の古りにし里に降らまくは後 by 天武天皇

朗読&解説 佐々木教授

わが岡の靈神に言ひて降らしめし雪の摧けし其処に散りけむ by 大原夫人

明日香清御原宮御宇天皇代[天渟中原瀛真人天皇謚曰天武天皇]

天皇賜藤原夫人御歌

吾里尓わがさとに 大雪落有おほゆきふれり 大原乃おほはらの 古尓之郷尓ふりにしさとに 落巻者後ふらまくはのち

 

藤原夫人奉和歌

吾岡之わがをかの 於可美尓言而おかみにいひて 令落ふらしめし 雪之摧之ゆきのくだけし 彼所尓塵家武そこにちりけむ

 

 

天皇、藤原夫人ふじわらのぶにんに賜う歌

我が里に
大雪降れり
大原の
りにし里に
降らまくはのち

天武天皇

巻二102

 

藤原夫人の和せ奉る歌

我が岡の
おかみに言ひて
降らしめし
雪のくだけし
そこに散りけむ

藤原夫人

巻二103

 

 

わが里に/わが岡の/贈答歌『万葉秀歌』斉藤茂吉

わが里に 大雪降れり

大原の りにし里に 降らまくはのち

 天武天皇が藤原夫人に賜わった御製である。藤原夫人は鎌足の五百重娘いおえのいらつめで、新田部皇子にいたべのみこの御母、大原大刀自おおはらのおおとじともいわれた方である。夫人ぶにんは後宮に仕える職の名で、妃に次ぐものである。大原は今の高市たかいち飛鳥あすか小原おはらの地である。

 一首は、こちらの里には今日大雪が降った、まことに綺麗だが、おまえの居る大原の古びた里に降るのはまだまだ後だろう、というのである。

 天皇が飛鳥の清御原きよみはらの宮殿に居られて、そこから少し離れた大原の夫人のところに贈られたのだが、謂わば即興の戯れであるけれども、親しみの御語気さながらに出ていて、沈潜して作る独詠歌には見られない特徴が、また此等の贈答歌にあるのである。然かもこういう直接の語気を聞き得るようなものは、後世の贈答歌には無くなっている。つまり人間的、会話的でなくなって、技巧を弄した詩になってしまっているのである。

○    ○

わが岡の 靈神おかみに言ひて 降らしめし

雪のくだけ其処そこに散りけむ

 藤原夫人が、前の御製にこたえ奉ったものである。靈神おかみというのは支那ならば竜神のことで、水や雨雪を支配する神である。一首の意は、陛下はそうおっしゃいますが、そちらの大雪とおっしゃるのは、実はわたくしが岡の靈神に御祈して降らせました雪の、ほんのくだけが飛ばっちりになったに過ぎないのでございましょう、というのである。御製の揶揄やゆに対して劣らぬユウモアを漂わせているのであるが、やはり親愛の心こまやかで棄てがたい歌である。それから、御製の方が大どかで男性的なのに比し、夫人の方は心がこまかく女性的で、技巧もこまかいのが特色である。歌としては御製の方が優るが、天皇としては、こういう女性的な和え歌の方が却って御喜になられたわけである。

2021年8月21日

蒲生野贈答歌/額田王/大海人

あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る 額田王

むらさきのにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑにわれ恋ひめやも 皇太子

『万葉集 巻第一』天皇遊猟蒲生野時額田王作歌

20あかねさす 紫野むらさきの標野しめの

野守のもりずや きみそで

茜草指あかねさす 武良前野逝むらさきのゆき 標野行しめのゆき 野守者不見哉のもりはみずや 君之袖布流きみがそでふる

 天智天皇が近江の蒲生野がもうのに遊猟「薬猟」したもうた時(天皇七年五月五日)、皇太子(大皇弟、大海人皇子おおあまのみこ)諸王・内臣・群臣が皆従った。その時、額田王が皇太子にさしあげた歌である。額田王ははじめ大海人皇子にみあ十市皇女とおちのひめみこを生んだが、後天智天皇に召されて宮中に侍していた。この歌は、そういう関係にある時のものである。「あかねさす」は紫の枕詞。「紫野」は染色の原料として紫草むらさきを栽培している野。「標野」は御料地としてみだりに人の出入を禁じた野で即ち蒲生野を指す。「野守」はその御料地の守部もりべ即ち番人である。

 一首の意は、お慕わしいあなたが紫草の群生する蒲生のこの御料地をあちこちとお歩きになって、私に御袖を振り遊ばすのを、野の番人から見られはしないでしょうか。それが不安心でございます、というのである。

 この「野守」に就き、或は天智天皇を申し奉るといい、或は諸臣のことだといい、皇太子の御思い人だといい、種々の取沙汰があるが、其等のことは奥に潜めて、野守は野守として大体を味う方が好い。また、「野守は見ずや君が袖ふる」をば、「立派なあなた(皇太子)の御姿を野守等よ見ないか」とうながすように解する説もある。「袖ふるとは、男にまれ女にまれ、立ありくにも道など行くにも、そのすがたの、なよなよとをかしげなるをいふ」(攷證)。「わが愛する皇太子がかの野をか行きかく行き袖ふりたまふ姿をば人々は見ずや。われは見るからにゑましきにとなり」(講義)等である。併し、袖振るとは、「わが振る袖を妹見つらむか」(人麿)というのでも分かるように、ただの客観的な姿ではなく、恋愛心表出のための一つの行為と解すべきである。

 この歌は、額田王が皇太子大海人皇子にむかい、対詠的にいっているので、濃やかな情緒に伴う、甘美な媚態びたいをも感じ得るのである。「野守は見ずや」と強く云ったのは、一般的に云って居るようで、むしろ皇太子にうったえているのだと解して好い。そういう強い句であるから、その句を先きに云って、「君が袖振る」の方を後に置いた。併しその倒句は単にそれのみではなく、結句としての声調に、「袖振る」と止めた方が適切であり、また女性の語気としてもその方に直接性があるとおもうほど微妙にあらわれて居るからである。甘美な媚態云々というのには、「紫野ゆき標野ゆき」と対手あいての行動をこまかく云い現して、語を繰返しているところにもあらわれている。一首は平板に直線的でなく、立体的波動的であるがために、重厚な奥深い響を持つようになった。先進の注釈書中、この歌に、大海人皇子に他に恋人があるのでねたましいと解したり(燈・美夫君志)、或は、戯れにさとすような分子があると説いたのがあるのは(考)、一首の甘美なうったえに触れたためであろう。

 「袖振る」という行為の例は、「石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか」(巻二・一三二)、「おほならばかもかもむをかしこみと振りたき袖をしぬびてあるかも」(巻六・九六五)、「高山のみね行く鹿ししの友を多み袖振らず来つ忘ると念ふな」(巻十一・二四九三)などである。

 

 

『万葉集 巻第一』(天皇遊猟蒲生野時額田王作歌)
皇太子答御歌

21紫草むらさきの にほへるいもにくくあらば

人嬬ひとづまゆゑに あれひめやも

紫草能むらさきの 尓保敝類妹乎にほへるいもを 尓苦久有者にくくあらば 人嬬故尓ひとづまゆゑに 吾戀目八方われこひめやも

 右(二〇)の額田王の歌に対して皇太子(大海人皇子、天武天皇)の答えられた御歌である。  一首の意は、紫の色の美しくにおうように美しいいも(おまえ)が、若しも憎いのなら、もはや他人の妻であるおまえに、かほどまでに恋するはずはないではないか。そういうあぶないことをするのも、おまえが可哀いからである、というのである。

 この「人妻ゆゑに」の「ゆゑに」は「人妻だからとって」というのでなく、「人妻にって恋う」と、「恋う」の原因をあらわすのである。「人妻ゆゑにわれ恋ひにけり」、「ものもひせぬ人の子ゆゑに」、「わがゆゑにいたくなわびそ」等、これらの例万葉にはなはだ多い。恋人を花にたとえたのは、「つつじ花にほえ少女、桜花さかえをとめ」(巻十三・三三〇九)等がある。

 この御歌の方が、額田王の歌に比して、直接で且つ強い。これはやがて女性と男性との感情表出の差別ということにもなるとおもうが、恋人をば、高貴で鮮麗な紫の色にたぐえたりしながら、かもこれだけの複雑な御心持を、直接に力づよく表わし得たのは驚くべきである。そしてその根本は心の集注と純粋ということに帰着するであろうか。自分はこれを万葉集中の傑作の一つに評価している。集中、「憎し」という語のあるものは、「憎くもあらめ」の例があり、「にくくあらなくに」、「にくからなくに」の例もある。この歌に、「憎」の語と、「恋」の語と二つ入っているのも顧慮してよく、毫も調和を破っていないのは、憎い(嫌い)ということと、恋うということが調和を破っていないがためである。この贈答歌はどういう形式でなされたものか不明であるが、恋愛贈答歌にはたとい切実なものでも、底に甘美なものを蔵している。ゆとりの遊びを蔵しているのは止むことを得ない。なお、巻十二(二九〇九)に、「おほろかに吾し思はば人妻にありちふ妹に恋ひつつあらめや」という歌があって類似の歌として味うことが出来る。

2021年8月17日

オキナグサ/2007 上州藤岡

オキナグサ「翁草」 2007.03.31 上州藤岡 オキナグサ「翁草」 2007.04.05 上州藤岡 オキナグサ「翁草」 2007.04.05 上州藤岡

オキナグサ『植物知識』牧野富太郎

 春に山地に行くと、往々おうおうオキナグサという、ちょっと注意をく草に出逢であう。全体に白毛はくもうかぶっていて白く見え、他の草とはその外観が異っているので、おもしろくつ珍しく感ずる。葉は分裂ぶんれつしており、かぶから花茎かけいが立ち十数センチメートルの高さで花をけている。花は点頭てんとうして横向きになっており、日光が当たるとく開く。花の外面に多くの白毛が生じており、六ぺん花片かへん(実は萼片がくへんであって花弁はなく、萼片が花弁状をなしている)の内面は色が暗紫赤色あんしせきしょくていしている。花内かない多雄蕊たゆうずい多雌蕊たしずいとがある。わがくにの学者はこの草を漢名の白頭翁はくとうおうだとしていたが、それはもとより誤りであった。この白頭翁はくとうおうはオキナグサに酷似こくじした別の草で、それは中国、朝鮮に産し、まったくわが日本には見ない。ゆえに右日本のオキナグサを白頭翁はくとうおうてるのは悪い。

 さてこの草をなぜオキナグサ、すなわち翁草というかというと、それはその花がんで実になると、それが茎頂けいちょうに集合し白く蓬々ほうほうとしていて、あたかもおきな白頭はくとうに似ているから、それでオキナグサとそう呼ぶのである。この蓬々ほうほうとなっているのは、その実のいただきにある長い花柱かちゅう白毛はくもうが生じているからである。

 この草には右のオキナグサのほかになおたくさんな各地の方言があって、シャグマグサ、オチゴバナ、ネコグサ、ダンジョウドノ、ハグマ、キツネコンコン、ジイガヒゲ、ゼガイソウもその内の名である。右のゼガイソウは、すなわち善界草ぜんがいそうで、これは謡曲ようきょくにある赤態しゃぐまけた善界坊ぜんがいぼうから来た名である。

 『万葉集』にこの草をみ込んである歌が一つある。すなわちそれは、

 

芝付しばつき美宇良崎みうらざきなるねつこぐさ

相見ずあらばあれひめやも

 

 である。そしてこのネツコグサは、ネコグサの意で、オキナグサをしている。花に白毛が多いので、それで猫草といったものだ。

 このオキナグサは山野さんや向陽地こうようちに生じ、春早く開花するので、子女しじょなどに親しまれ、その花をって遊ぶのである。葉は花後かごに大きくなる。根は多年生で肥厚ひこうしており、毎年その株の頭部から花、葉が萌出ほうしゅつするのである。

 この草はキツネノボタン科に属し、その学名を Anemone cernua Thunb. とも、また Pulsatilla cernua Spreng. ともいわれる。そしてその種名の cernua は点頭てんとう、すなわち傾垂けいすいの意で、それはその花の姿勢しせいもとづいて名づけたものだ。

オキナグサ「翁草」 2007.03.31 上州藤岡

2021年8月4日

イワタバコ/08.02 谷不動尊

イワタバコ 大暑/08.02 上州吉井谷不動尊 イワタバコ 大暑/08.02 上州吉井谷不動尊 イワタバコ 大暑/08.02 上州吉井谷不動尊

イワタバコ 大暑/08.02 上州吉井谷不動尊 イワタバコが咲いていました。いつもは岩盤に着生しているのをパチってきます。今回は倒木があったり注連縄が落ちてたりと… しょうがなく本殿の石段に咲いていたイワタバコを撮ってきました。まだまだ咲き続けるはずです。そのうちにリベンジするつもりだけど…(◯^o^◯)