2022/09/24

ヒガンバナ/09.23 上州藤岡

ヒガンバナ 09.23/彼岸 上州藤岡 ヒガンバナ 09.23/彼岸 上州藤岡 ヒガンバナ 09.23/彼岸 上州藤岡

 彼岸いり20日で彼岸あけ26日です。で、今日はお彼岸の中日ちゅうにちで秋分の日ですね。ようやく「おくのほそ道」を書き上げました。文庫本で活字が小さくてづらかったけど、タブレットなら好みの大きさで読めます。灯火親しむべし、間に合いました。

 田んぼ道をとことこと近所のコンビニへ買い出しに出ました。たら、彼岸花がひとかたまりで咲いていました。これからの花も、終りの花もあったけど、盛りの花を狙ってパシャリと。たら、振り始めちゃって、暗めの写りです。晴れたら青空と稲穂と合わせハイコンで撮ってみようかなどと…

万葉集 巻十一 寄物陳思

2480 道の辺の壱師の花の いちしろく 人皆知りぬわが恋妻は

路邊みちのへの 壹師花いちしのはなの 灼然いちしろく 人皆知ひとみなしりぬ 我戀攦わがこひづまは

柿本朝臣人麻呂之歌集出

道ばたの壱師の花ではないが、はっきりと世の人は皆知ってしまった。私の恋しい妻は、、、

牧野富太郎は壱師の花は彼岸花だと…

2022/09/21

祓/12 奥の細道

蕪村「奥の細道図上巻」那須野

    ばつ

 からびたるも、えんなるも、たくましきも、はかなげなるも、おくのほそ道もてゆくに、おぼえずちて手たたき、伏して村肝むらきもを刻む。一般ひとたびみのる着るかゝる旅せまほしと思ひ立ち、一度たびは坐してまのあたり奇景をあまんず。かくて百般ももたびの情に鮫人かうじんが玉をふでにしめしたり。旅なるかな、うつはものなるかな。ただなげかしきは、かうやうの人のいとかよわげにて、まゆの霜のおきそふぞ。

  元禄七年初夏          素竜書



「からびたる」は、枯淡なおもむき。村肝は「深く心に感動をおぼえるさま」と補注にあり、「伏して村肝むらきもを刻む」を、「こうべを垂れて心肝しんかんを切り刻むごとき深い感銘に誘われる」と評釈にありました。でね「村肝むらきも」は万葉集だとこころにかかる枕詞です。

巻四 大伴宿禰家持贈娘子歌

720 村肝の心砕けてかくばかり
  わが恋ふらくを 知らずかあるらむ

村肝之むらきもの 情揣而こころくだけて 如此許かくばかり 余戀良苦乎あがこふらくを 不知香安類良武しらずかあるらむ


 また一冊、ぼろぼろにしちゃいました。書き始める前に撮っとかないとね。が、幸い、ウェブ検索したらいくつかヒットしました。息の長い古典ならではかと… モチパクで表紙だけあげました。でね、カバーは義仲寺蔵の「那須野の図」芭蕉翁絵詞伝からみたいです。奥の細道図から那須野の辺りを貼っといて…

 ちひさき者ふたり、馬の跡したひて走る。ひとりは小姫こひめにて、名を「かさね」といふ。聞きなれぬ名のやさしかりければ、


  かさねとは八重撫子やえなでしこの名なるべし  曾良


おくのほそ道 頴原退蔵・尾形仂 角川ソフィア文庫

2022/09/20

福井 ~ 大垣/11 奥の細道

奥の細道図

福井

 福井は三里ばかりなれば、夕飯ゆうめししたためて出づるに、黄昏たそがれの道たどたどし。ここに等栽とうさいといふ古き隠士あり。いづれの年にや江戸に来たりて予を尋ぬ。はる十年ととせ余りなり。いかにいさらばひてあるにや、はたにけるにやと、人に尋ねはべれば、いまだ存命してそこそことおしふ。市中ひそかに引き入りて、あやしの小家こいへ夕顔ゆうがお・へちまのへかかりて、鶏頭けいとう箒木はゝきゞに戸ぼそを隠す。さてはこの内にこそと、かどをたたけば、わびしげなる女のでて、「いづくよりわたりたまふ道心どうしん御坊ごぼうにや。あるじはこのあたり何某なにがしといふもののかたに行きぬ。もし用あらば尋ねたまへ」といふ。かれが妻なるべしと知しらる。昔物語ものがたりにこそかかる風情ふぜいははべれと、やがて尋ね会ひて、その家に二夜ふたよ泊まりて、名月は敦賀つるがみなとにと旅立つ。等栽もともに送らんと、すそをかしうからげて、道の枝折しおりかれつ。

敦賀

 やうやう白根しらねだけかくれて、比那ひなだけあらはる。あさむづの橋をわたりて、玉江たまえあしでにけり。うぐいすせきぎて、湯尾ゆのを峠をゆれば、ひうちじやう帰山かへるやま初鴈はつかりを聞きて、十四日の夕れ、敦賀つるがの津に宿をもとむ。

 その夜、月ことに晴れたり。「明日あすの夜もかくあるべきにや」といへば、「越路こしぢの習ひ、なほ明夜めいやの陰晴はかりがたし」と、あるじに酒すすめられて、気比けい明神みやうじんに夜参す。仲哀ちゆうあい天皇の御廟ごべうなり。社頭かんさびて、松のに月のり入りたる。御前おまへ白砂はくさ、霜を敷けるがごとし。往昔そのかみ遊行ゆぎやう二世の上人しやうにん大願発起たいぐわんほつきのことありて、みづから草をり、土石をになひ、泥渟でいていをかわかせて、参詣往来おうらいわずらひなし。古例今にえず。神前に真砂まさごになひたまふ。「これを遊行の砂持ちと申しはべる」と、亭主のかたりける。


  月清し遊行のてる砂の上


 十五日、亭主のことばにたがはずあめ降る。


  名月や北国ほくこく日和びより定めなき


種の浜

 十六日、空れたれば、ますほの小貝ひろはんと、いろはまに舟を走す。海上かいしやう七里あり。天屋てんや何某なにがしといふ者、破籠わりご小竹筒ささえなどこまやかにしたためさせ、しもべあまた舟にとりせて、追ひ風、時のきぬ。浜はわづかなる海士あま小家こいへにて、わびしき法華寺ほつけでらあり。ここに茶を飲み、酒をあたゝめて、夕暮れのさびしさ、感にへたり。


  さびしさや須磨すまちたる浜の秋


  波のや小貝にまじるはぎちり


その日のあらまし、等栽とうさいに筆をとらせて寺に残す。


大垣

 露通ろつうもこのみなとまでむかひて、美濃みのの国へとともなふ。こまたすけられて大垣おおがきの庄に入れば、曽良も伊勢いせより来たり合ひ、越人えつじんも馬をばせて、如行じよこうが家に入り集まる。前川子ぜんせんし荊口けいこう父子、その外したしき人々、日夜とぶらひて、蘇生そせいの者に会ふがごとく、かつよろこび、かついたはる。旅のものうさもいまだやまざるに、長月ながつき六日むいかになれば、伊勢いせ遷宮せんぐうおがまんと、また舟にりて、


  はまぐり
ふたみに
別れ行く秋ぞ


2022/09/18

別離 ~ 永平寺/10 奥の細道

奥の細道図

別離

 曽良は腹を病みて、伊勢いせの国長島ながしまといふ所にゆかりあれば、先立ちて行くに、


  行き行きてたふすともはぎの原  曽良


と書き置きたり。くもののかなしみ、のこるもののうらみ、隻鳧せきふの別れて雲にまよふがごとし。予もまた、


  今日よりや書付かきつけ消さんかさの露


全昌寺

 大聖寺だいしやうじの城外、全昌寺ぜんしやうじといふ寺にまる。なほ加賀かがの地なり。曽良も前の夜この寺にまりて、


  よもすがら秋風聞くやうらの山


と残す。一夜いちやの隔て、千里に同じ。われも秋風を聞きて衆寮しゅりょうせば、あけぼのの空ちこう、読経どきょうむままに、鐘板しょうばん鳴りて食堂じきどうに入る。今日けふ越前えちぜんの国へと、心早卒そうそつにして堂下に下るを、若き僧どもかみすゞりをかかへて、きざはしもとまで追ひ来たる。をりふし庭中ていちゅうの柳れば、


  庭掃きてでばや寺にる柳


とりあへぬさまして、草鞋わらぢながら書き捨つ。

汐越の松

越前のさかい吉崎よしさきの入江を舟にさおさして汐越しおごしの松を尋ぬ。


  よもすがらあらしに波をはこばせて
    月をれたる汐越の松  西行


この一首にて数景すけい尽きたり。もし一辧を加ふるものは、無用の指を立つるがごとし。

天龍寺・永平寺

 丸岡まるおか天龍寺てんりゅうじの長老、古きちなみあれば尋ぬ。また、金沢の北枝ほくしといふもの、かりそめに見送りて、この所までしたひ来る。ところどころの風景ぐさず思ひつゞけて、をりふしあはれなる作意など聞こゆ。今すでにわかれにのぞみて、


  物書きて扇引きさくなごりかな


 五十町山に入りて永平寺えいへいじらいす。道元禅師どうげんぜんじ御寺みてらなり。邦機ほうき千里を避けて、かかる山陰やまかげに跡を残したまふも、たふときゆゑありとかや。

2022/09/15

市振 ~ 山中/9 奥の細道

奥の細道図

市振

 今日けふは親知らず・子知らず・犬もどり・駒がえしなどいふ北国一ほっこくいち難所なんじょえてつかれはべれば、まくら引きよせてたるに、一間ひとまへだてておもてのかたに若き女の声ふたりばかりと聞こゆ。年老としおいたるおのこの声もまじり物語ものがたりするを聞けば、越後えちごの国新潟にいがたといふところ遊女ゆうじょなりし。伊勢いせ参宮さんぐうするとて、このせきまでおのこおくりて、あすは古郷ふるさとに返すふみしたため、はかなき言伝ことづてなどしやるなり。「白浪しらなみのよするみぎわをはふらかし、海士あまのこの世をあさましうくだりて、さだめなきちぎり、日々ひび業因ごういんいかにつたなし」と、ものいふを聞く聞く寝入ねいりて、あした旅立たびだつに、我々われわれかひて、「行方ゆくえらぬ旅路たびぢさ、あまり覚束おぼつかなう悲しくはべれば、見えがくれにも御跡おんあとしたひはべらん。ころもの上の御情おんなさけに、大慈だいじめぐみをれて、結縁けちえんせさせたまへ」となみだを落とす。不便ふびんのことには思ひはべれども、「われわれは所々ところどころにてとどまるかたおほし。ただ人のくにまかせてくべし。神明しんめい加護かごかならつつがなかるべし」といひすてでつつ、あはれさしばらくやまざりけらし。


  一家ひとつや遊女ゆうじょも寝たりはぎと月


曽良にかたれば、きとどめはべる。


越中路

 黒部くろべ四十八ヶ瀬しじゅうはちがせとかや。数らぬ川をわたりて、那古なごといふうらづ。担籠たご藤浪ふじなみは、春ならずとも、初秋はつあきのあはれふべきものをと、人に尋ぬれば「これより五里いそ伝ひして、かふの山陰にり、あま苫葺とまぶきかすかなれば、あし一夜ひとよの宿すものあるまじ」と、いひをどされて、加賀かがの国にる。


  早稲わせる右は有磯海ありそうみ


金沢

 の花山・倶利伽羅くりからが谷をえて、金沢かなざわは七月なかの五日なり。ここに大坂おおざかより通ふ商人あきんど何処かしょといふ者あり。それが旅宿をともにす。
 一笑いつせうといふ者は、この道にける名のほのぼの聞えて、世に知る人もはべりしに、去年こぞの冬早世そうせいしたりとて、その兄追善ついぜんもよおすに、


  つかも動けわが泣く声は秋の風


   ある草庵そうあんにいざなはれて


  秋涼し手ごとにむけやうり茄子なすび


   途中吟


  あかあかと日はつれなくも秋の風


   小松こまつといふ所にて


  しをらしき名や小松吹くはぎすゝき


多太神社

 この所多太太田の神社にもうづ。実盛さねもりかぶとにしきの切れあり。往昔そのむかし源氏に属せし時、義朝よしとも公よりたまはらせたまふとかや。げにも平士ひらさぶらいのものにあらず。目庇まびさしより吹返ふきがへしまで、菊唐草きくからくさりものこがねをちりばめ、龍頭たつがしら鍬形くわがた打つたり。実盛討死うちじにのち木曽義仲きそよしなか願状がんじょうに添へて、このやしろにこめられはべるよし、樋口ひぐち次郎じろうが使ひせしことども、まのあたり縁記えんぎに見えたり。


 むざんやなかぶとの下のきりぎりす


那谷

 山中やまなか温泉いでゆに行くほど、白根しらねだけ跡になしてあゆむ。左の山際やまぎはに観音堂あり。花山くわざんの法皇、三十三所の巡礼とげさせたまひてのち、大慈大悲の像を安置あんちしたまひて、那谷なたと名付たまふとなり。那智なち谷汲たにぐみの二字をかちはべりしとぞ。奇石きせきさまざまに、古松こしょう植ゑならべて、萱葺かやぶきの小堂しょうどう、岩の上に造りかけて、殊勝の土地なり。


  石山いしやまの石より白し秋の風


山中

 温泉いでゆに浴す。その功有間ありまに次ぐといふ。


  山中やまなかや菊はたをらぬ湯のにほ


 あるじとするものは久米之助くめのすけとて、いまだ小童せうどうなり。かれが父、誹諧を好きて、らく貞室ていしつ若輩の昔、ここに来たりしころ、風雅にはづかしめられて、洛に帰りて貞徳ていとくの門人となつて世に知らる。功名ののち、この一村いっそん判詞はんしの料をけずといふ。今更いまさらむかしがたりとはなりぬ。

2022/09/04

ヤマハギ/09.04 上州藤岡下日野

ヤマハギ「山萩」09.04/処暑 上州藤岡下日野

ヤマハギ「山萩」

明るい昼過ぎにブラパチしてきました。まず、吉井で朱鷺色葛ときいろくずを撮ってから、山萩ねらいで下日野に移動しました。もう、七、八本しか残ってませんが、それなりに咲いていましたよ。昨日の筑紫萩と見比べれば違いが判ると思います。

 

巻十 秋の相聞

2252 秋萩の咲き散る野辺の夕露に 濡れつつ来ませ夜はふけぬとも

秋芽子之あきはぎの 開散野邊之さきちるのへの 暮露尓ゆふつゆに 沾乍来益ぬれつつきませ 夜者深去鞆よはふけぬとも

2262 秋萩を散らす長雨の降るころは ひとり起き居て恋ふる夜ぞ多き

秋芽子乎あきはぎを 令落長雨之ちらすながめの 零比者ふるころは 一起居而ひとりおきゐて 戀夜曽大寸こふるよぞおほき

ヤマハギ「山萩」09.04/処暑 上州藤岡下日野

2022/09/03

ツクシハギ/09.03 上州藤岡緑埜

ツクシハギ「筑紫萩」09.03/処暑 上州藤岡緑埜

ツクシハギ「筑紫萩」

涼しかったんで竹沼を歩いてきました。野竹のだけ白山菊しらやまぎくは元気いっぱい咲いてたし木萩きはぎ南蛮煙管なんばんぎせるも撮ってきました。それと引蓬ひきよもぎも撮れました。あとで記事にします。

山上臣憶良詠秋野花歌二首

1537 秋の野に咲きたる花を および折りかき数ふれば 七種ななくさの花

1538 芽之花はぎのはな 乎花をばな葛花くずはな 瞿麦之花なでしこのはな 姫部志をみなへし また藤袴ふぢはかま 朝皃之花あさがほのはな

狸ん家だと丸葉萩、筑紫萩、山萩、木萩が観られます。筑紫萩なら数多く咲くんで普通に観られます。丸葉萩は数カ所しか知らないし、山萩となるともっと少ないです。木萩は筑紫萩よりよく観ています。

ツクシハギ「筑紫萩」09.03/処暑 上州藤岡緑埜