2026年5月27日

序・春の七草『植物記』

春の七草歌

せり なずな
おぎょう はこべら ほとけのざ
すずな すずしろ これぞ七草

和歌のスタイルで書き記されたのは
室町・足利義満の時代に編纂された
梵灯庵ぼんとうあん袖下集そでしたしゅうが初出

 春の七種ななくさを書けと言う、ハイかしこまりましたとは請合うたものの時間さえあれば如何様にも書けぬ事はないが、実白状しますと頃日どう言う訳か用事輻輳ふくそう、一つ済めばぐ次の一つ、また次の一つと一向に際限がない。チットモ心を落ち付けて筆を執る暇がない。その暇のない間を工面して苦しいけれどその然諾ぜんだくの義務を果さねばならん。仕方がないから大駆足でホンノつまらぬ事を書いてその責を果す事にしました。読んで興味を感ぜぬのは当り前でその辺どうぞゴ免候らえ。七種についてのいろいろの前座講釈はこの処抜きにして短刀直入植物の事に移ろう。

セリ   ナズナ   オギョウ   ハコベラ   ホトケノザ

スズナ:カブすなわち蕪菁。スズシロ:ダイコンすなわち蘿蔔。

2026年5月26日

セリ「水斳」・春の七草

セリ・春の七草『植物記』

 セリは水斳で通常芹の字を使っているが実言うと芹一字だけでは不徹底である。セリは原頭、山足などの水に生えその白いヒゲ根を泥中に下している。採って見ると白い根が多いので故に古歌にはネジログサと称えた。溝などの中をのぞくと早春から既にそのセリが一杯に繁茂している。古人はこれを望み見てセリとはりこ迫りこして生えているからそれでそういうのだといっているが、果してそれが語原であるか否かなお再考を要する様に思う。この様に実際セリは常に密集して生えているが、考えて見るとセリにはそう生える原因が存している。セリの茎が立って梢に花の咲く時分前後モウ既にその茎の下部から四方八方に匐枝を引き長く泥面を這うている。その匐枝には多くの節がある。その各節から秋以後皆株をなして葉を萌出するのでそれで溝一杯に繁茂するのである。ツマリ株が多数に出来たのである。春にこのセリを摘む時分には最早その前年の匐枝は多くは既に腐り去っているから、そこでセリが一株一株の苗となって生えている事になる。

 

 食う為めにセリを摘む事は昔からする事であるから古歌にはまたツミマシグサともいった。また『万葉集』に「君がため山田の沢にゑぐ採むと雪消の水に裳の裾ぬれぬ」という歌がある。このエグは人によりては今日いうクログワイだとしているが、その歌の意から見ればどうもこれはセリの事であらねばならないが今日の処私はセリにエグの一名ある事を知らない。そしてかえって前記のクログワイにはエグあるいはイゴなどの方言がある。しかしこの者ではここは都合が悪るい。

 

 セリの葉は分裂して多くの小葉と成っている。すなわちいわゆる複葉である。柄本に葉鞘はかまがあるがこれがこの属する傘形科の特徴である。花は白くて小さく夏に咲いて傘形花穂を成し、花後に小さい実が集り熟し落ちると仔苗が生ずる。それゆえセリは種子からも生えれば匐枝からも萌出し繁殖はなはだ盛んである。

 

 セリの栽培した者はよく八百屋に売っているが皆葉柄がすこぶる長い。これは水田に於て密に叢生させて作る故、上へ上へと延んでこんなに長く成っているのである。しかし野に在る者はカジケテ短いけれど香はズット高い。これを田ゼリと呼んでいる。

 

 さて芹の字ダガこれは斳と同じである。また菫とも同じである。しかるに今この菫を二様に使い一は水斳のセリであるが、一は通常これを菫葉として別の一種に使っている。日本の学者はその一名を旱菫すなわち旱芹というもんだからセリが陸に生えた者の様に思ってこれをハタケゼリと訓じている。そして実は菫菜なるその本物を知らなかったのである。

 

 右の菫菜なる者は支那、満洲、朝鮮には昔から圃に作って野菜にしていた。圃に作るから旱芹である。これは西洋にもあって西洋の者は前にはオランダミツバ「一にキヨマサニンジンという。これには一つの説話があれども今は略する」といっていたが今日ではセロリ(Celery)といって西洋野菜の一つとなっている。そして学術上の名は Apium graveolens L. である。

 

 菫の字は前に書いた通りの芹の字と同じで、あるいはセリに使いあるいはセロリに使うべき字面であって、決してその他の植物に用うる事は出来ないものである。しかるに世人はこれをスミレに使って平然としてスマシているのは滑稽至極で、殊更に我が無学無識を広告している様なもんダ。もし世人がスミレを支那の名で書きたければよろしく菫々菜と書くべきである。そうすればまずはスミレとなるが、菫の一字もしくは菫菜の二字では絶対にスミレとは成らないのである。

2026年5月25日

ナズナ「薺」・春の七草

ナズナ・春の七草『植物記』

 ナズナは薺であって植物学上では十字科に属しダイコン、カブなどと同科である。その語原は撫菜なでなの義で愛ずる意ではないかと大槻文彦先生は書いていられるが、私はこれはなずむ菜の意でその苗葉がクシャクシャと短縮し迫って叢を成している状態に基いたものではないかと想像する。

 

 ナズナは春の七種の中で最も著名かつ代表的の者で、秋に早く種子から生じ野外や路傍や圃地などに沢山見られる。冬の間敢て霜にも雪にもメゲズ平たく地面にへばりついてその深く羽裂せる根生葉を四方に拡げ、日当りのよい処に生えている者は暗褐色を呈しているが日蔭げの場処に在る者は緑色である。そして葉の下には白い直根があって地に入っている。葉の切れ方には二たイロあってそれぞれ株が違っている。すなわち一はその裂片が単に長橢円形であるが一は狭長でその上縁の本に方に著しい一耳片が着いている。

 

 右は何方どちらもナズナであって、前者をオオナズナといい後者を単にナズナと称えて区別する。けれども決して別種ではなく共に花穂も花も果実も同じである。茎は緑色で枝を分ち花は小さくて多数総状花穂に着き白色の十字花で花中に四長二短の大雄蕊を有する。花がすむと三角形の短角果実を結ぶ事は衆のよく知る所である。

 

 右の果実はその恰好があたかも三味線のばちに似ている所から、この草をバチグサともペンペングサとも称する。「覚えていやがれ、そんな事をすりゃあ手前てめえんとこの屋根にペンペングサを生やしてやるゾ」と勇み肌の江戸ッ子はよく文身体いれずみからだの尻を捲って啖呵を切ったもんだけれど、実は屋根の上には余りペンペングサは生えないものである。これに反してノミノツヅリ、ノゲシ、オニタビラコなどが最もよく生えるものダ。

 

 ナズナを食するにはでて浸しものにしてもよく、あるいは胡麻和にしてもい。また油でイタメても結構ダ。

2026年5月24日

オギョウ「御行」・春の七草

オギョウ・春の七草『植物記』

 支那の名は鼠麹草でキク科に属する。オギョウは御行と書くが、これをゴギョウというのはよくない。それ故五形と書くのは非である。時には御鏡と書いてあるものもある。この草の本名はホウコグサ(発音ホーコグサ)というのダが普通にはハハコグサ(母子草)と称えて今日はこれが通称の様に成っている。しかしこれをハハコグサといい母子草と書くのははなはよろしくない。人によると母子草とはふるき苗に若葉の添うて生ずれば母子という名もことわりであるなどと唱うるは全く牽強附会の説である。元来この草の名は母と子という意味から附けられたものではない。すなわちこの間違の起りは文徳もんとく天皇御一代の歴史を書き集めた『文徳実録』の著者が一つの因縁話を仕組みホウコとハハコと音相近きを以て本来のホウコグサをモジッテ母子草としたのが始まりである。ゆえによく諸書に母子草の名は『文徳実録』からダと書いてある。もしもこの名が昔からの本来のものであれば何も特に『文徳実録』を引き合いに出す必要は少しも無いじゃないか。

 

 ホウコ(発音はホーコ)の名は今日でも処によっては民間で唱えている。また処によってはホーコーともホーコグサとも、またホンコともいっている。支那に蓬蒿、皤蒿、白蒿或は黄蒿などいう草があるがあるいはその名が旧く日本に伝ってホウコという名が出来たではないかと幻想して見るも興味があるが、私の考うる所ではホウコの名はモットズット古くて何かの意味をったものでは無かろうかと想像する。

 

この草は早く秋に種子から生じ、茎が分れて短く地上に拡がり沢山な葉を着けて座を成している。実は狭長でその質が薄い上に白くて軟かい綿毛が一面に生え、そのために葉は白く見えている。

 

 春から夏の初めへかけて数寸ないし一尺|ばかりの茎が立って、梢に黄色の小さい頭状花がビッシリ固まって着く。その様子がチョット麹に似ている所から、処に依ってはコウジバナの名がある。支那で鼠麹草というのも同じ意味でそれを鼠の麹に見立ったものである。また子供が烟草たばこの真似をして遊ぶのでトノサマタバコの名が呼ばれる。

 

 三月三日雛の節句にはその時の草餅には昔は必ずホウコグサを入れていたものダガ、今日ではこの草を用うる事はほとんど廃れ、普通にはこれに代えてヨモギを用いている。しかるにここに面白いのは千葉県上総の土気とけ辺では今日なお昔の通りホウコグサを用いる事が遺っているとの事である。

2026年5月23日

ハコベラ「繁縷」・春の七草

ハコベラ・春の七草『植物記』

 ハコベラはナデシコ科のハコベである。このハコベラはこの草の昔の称えであるが今でも稀れにこの古名をそのまま呼んでいる地方もある。国に由るとアサシラゲともいわれる。支那名は繁縷であるがそれはこの草が容易によく繁茂する上にその茎の中に一条のいと、すなわち維管束がある所からこの名が生れたのである。

 

 秋に種子から生え冬を越して春最もよく繁茂し小さい白花が咲いて実が出来る。花弁は元来五片であるがその各片が深く二裂しているのでチョット見た所では十弁の様に見える。果実には柄がありそれが面白い事には花の済んだ後、次第次第に下に向い成熟間際になってた上を向きそのままで果皮が開裂し中から種子が飛んで出る。これは多分この草が風に吹揺れる拍子に種子を果中から振り散らすのであろう。もし果実が下を向いたまま開いて種子が落ちたのではその行きわたる範囲が狭いので、そこで上を向いて開裂し種子を成るべく広い面積地に散布させようというこの自然の工夫は確かに一顧の価がある。

 

 茎も葉も一様に緑色である。多数の茎は一株から叢出して四方に拡がり梢に分枝して花を着けている。茎面には一側に一条を成して細毛を生じている特徴がある。葉は卵形で対生し葉柄が無い。しかし下方の者は卵円形で葉柄がある。

 

 世間ではこの草を金糸雀かなりやの餌にする事は誰れでも知っているだろう。またこの草を焼いて灰と成し、塩を交えてハコベジオと称する歯磨き粉を製する。

 

この草はでて浸し物と成し食べられるが一種特別な風味があってすこぶる珍である。

 

 一種ウシハコベという者がある。形ちもズット大きくハコベよりおくれて花が咲く。花の大さも形ちも同じだが花中に五本の花柱があるので三本花柱のハコベとはこの点を観ればぐに区別がつく。このウシハコベは金糸雀には遣らない。

 

 普通の人はハコベもウシハコベも一緒にしてハコベと通称しているが、昔はまずそんな状態であって後世始めてこれを二種に区別したものであろう。書物にもその両者を混同して一と成したものがある。

2026年5月22日

ホトケノザ・春の七草

ホトケノザ・春の七草『植物記』

 小野蘭山時代頃よりしてそれ以後の本草学者は春の七種の中にホトケノザを皆間違えている。これらの人々のいうホトケノザ、更にそれを受継いで今も唱えつつある今日の植物学者流、教育者流のいうホトケノザは決して春の七種中のホトケノザでは無い。右のいわゆるホトケノザは唇形科に属して Lamium amplexicaule L. の学名を有しそこここに生えている普通の一雑草である。欧洲などでも同じく珍らしくもない一野草で自家受精を営む閉鎖花の出来る事で最も著名な者である。日本の者も同じく閉鎖花を生じその全株皆ことごとく閉鎖花の者が多く正花を開く者は割合にすくない。秋に種子から生じ春栄え夏は枯死に就く。従来の本草者流はこれが漢名(支那名の事)を元宝草といっているが、これは宝蓋草(一名は珍珠蓮)と称するのが本当である。この草が春の七種中のホトケノザでは無いとすると、しかればその本物は何んであるのか。すなわちそれは正品のタビラコであって今日いうキク科のコオニタビラコ(漢名は稲槎菜、学名は Lampsana apogonoides Maxim.)である。このコオニタビラコは決してこの様な名で呼ぶ必要は無く、これは単にタビラコでよいのである。現に我邦諸処で農夫等はこれをタビラコとそういっているでは無いか。このキク科のタビラコが一名カワラケナであると同時に更に昔のホトケノザである(すなわちコオニタビラコ〔植物学者流の称〕=タビラコ〔本名〕=カワラケナ〔一名〕=ホトケノザ〔古名〕)。

 

 この今名タビラコ古名ホトケノザは、我邦諸州の田面に普通で秋に種子から生じ早春に漸く繁茂し、春たけなわにして日光を受け競うて小なる黄色の頭状花(舌状花より成る)を開きすこぶる美観を呈する。草状はタンポポを極く小形にした様にその羽裂葉を四方に拡げ柔かくして毛なく、サモ食ってよい様な質を表わしている。ゆえに農家の子女などは往々タビラコあるいはタビラッカを採りに行くと称して田面に下り立ちそれを採り来りて食用に供する事がある。その田面に小苗を平布し円座を成した状があたかも土器かわらけを置いた様に見ゆるから、それでこれをカワラケナといったものであろうと思う(マサカ毛が無いからではあるまい、ハハハハハ)。またその苗が田面に平たく蓮華状の円座を成している状を形容してこれをホトケノザ(仏ノ座)と昔はいったものと見える。また苗の状から田平子たびらこ、すなわち田面に平たく小苗を成しているのでそこでタビラコという名が出来たといえる。もしタビラコという名が田平子なる字面通りの意であったならこのキク科のタビラコこそ最も適当な者であるが、しかし今日いう所のムラサキ科のタビラコは頗る不適当の者である。何んとなればこの草は普通に田面には生ぜず常に田の畦とか路傍とか、または藪際とかのむしろ乾いた地に生えているからである。そしてまたその葉は余り平たく地に就てはいない。しかるに世人はこのムラサキ科のいわゆるタビラコ(すなわち学名を Trigonotis peduncularis Benth. と称する)を本物と間違え、みだりにこれを春の七種の一つだと称なえスマシ込んでいる。さてそういう様に始めてようを作った人は『本草綱目啓蒙』の著者の小野蘭山である。大学者の蘭山がそういうのだから間違いは無いと尊重してそれから後の学者は翕然きゅうぜんとして今日に至るもなおその学説を本当ダと思い、この誤りを踏襲してやはりその名でその植物を呼んでいる。蘭山がイクラ偉いと言って見た所でタカガ人間ダ、神様では無い、千慮の一失も二失も確かにあるヨ。このタビラコ問題も蘭山に取っては正にその一失である。蘭山が何故にそれを間違えたか、これは恐らくは蘭山がそれを実地に試食して見なかったセイだろうと思う。もし一たび食って見たならそれは吾々と同じ様な結論に達したに違い無かろうが、ただけだし衆芳軒の書室の机の上で想像して極めたであろうから、そこでこんな間違いを千載の下にまで遺す様に成った次第ダと思われる。蘭山の様にこれをタビラコだと信ずる人はマー一たびこれを煮てヒタシモノにでもして食って見たまえ。細やかではあるが葉に沢山な毛が生えて毛の本に硬い点床(ムラサキ科の植物には普通にそれがある)があって、嚥下えんかする時それが喉を擦っていって気持ちの悪るい感じがする。そんな者をしいて好んで食わ無くてもそのお隣りに柔かくてオイシそうな本当のタビラコがウントコサとあるじゃ無いか。常識から考えたってぐ分る事ダ。学者は変にムツカシク説を立てねばならぬものと見える。私はこのムラサキ科の者を絶対にタビラコと認めぬゆえに、新にこれににせタビラコの新称を与えて置いたが、その後それにキュウリグサの名がある事を知った。これはそのなまの葉を揉めば胡瓜キュウリの香がするからである。

 

 また今日世人が呼ぶ唇形科のホトケノザを試に煮て食って見たまえ。ウマク無い者の代表者は正にこの草であるという事が分る。しかし強いて堪えて食えば食えない事は無かろうがマー御免蒙るべきだネ。しかるに貝原の『大和本草』に「賤民飯ニ加ヘ食フ」と書いてあるが怪しいもんダ。こんな不味い者を好んで食わなくても外に幾らも味のい野草がそこらにザラに在るでは無いか。貝原先生もこれを「正月人日じんじつ七草ノ一ナリ」と書いていらるるがこれもまた間違いである。そうかと思うと同書タビラコの条に「本邦人日七草ノ葉ノ内仏ノ座是ナリ、四五月黄花開ク、民俗飯ニ加ヘ蒸食ス又アヘモノトス味美シ無毒」と書いてあって自家衝突が生じているがしかしこの第二の方が正説である。同書には更に「一説ニ仏ノ座ハ田平子也其葉蓮華ニ似テ仏ノ座ノ如シ其葉冬ヨリ生ズ」の文があって、タビラコとホトケノザとが同物であると肯定せられてある。そしてこの正説があるにかかわらず更に唇形科の仏ノ座を春の七種の一ダとしてあるのを観ると、貝原先生もちとマゴツイタ所があることが看取せられる。唇形科品の者をホトケノザという時はタビラコのホトケノザと混雑し、すこぶる不便を感ずる。それゆえ右の唇形科品の者はこれをカスミグサと通称する様にしたらよいと思う。このカスミグサ[#「カスミグサ」は底本では「カミスグサ」]の名は江戸の俗称で、この草が春霞の棚引く頃に咲き出ずるからそう呼ぶのダとの事である。しかしなおその他にホトケノツヅレ、トンビグサ、カザグルマ、サンガイグサ、シイベログサの数名がある。前に記したタビラコの稲槎菜は支那でも野人がこれを食する事が『植物名実図考』に見えていて「郷人茄之」だの「吾郷人喜食之」だのの語が記してある。

 

 要するに春の七種として今世間一般にいっている唇形科のホトケノザを用うるは極めて非でこれは誤認の甚だしいものである。仮令たとい小野蘭山がそうダといっていてもそれは決して正鵠を得たものではない。七種のホトケノザはキク科植物の一なるタビラコの古名である。このタビラコは飯沼慾斎よくさいの『草木図説』にコオニタビラコとしてその図が出ている。前にもいった様にこれは支那の稲槎菜でその図が『植物名実図考』に在る。すなわち日本ではタビラコ、支那では稲槎菜である。人によりゲンゲバナ(レンゲソウはこの植物本来の名では無い)をホトケノザと称すれどこれは非である。タビラコの和名はキク科の者が本当でムラサキ科の品は偽せ者である。この偽せ者をタビラコの本物と吹聴したのもまた蘭山である。蘭山は実にここに二つの誤謬をあえてしている。

2026年5月21日

エビヅル 05.21 上州下日野

エビヅル「海老蔓」05.21 牛伏山

巻十四 東歌 3434上野國歌

上毛野阿蘇山つづら野を広み
  延ひにしものをあぜか絶えせむ

可美都家野かみつけの 安蘇夜麻都豆良あそやまつづら 野乎比呂美のをひろみ
  波比尓思物能乎はひにしものを 安是加多延世武あぜかたえせむ

エビヅル「海老蔓」 降ったり止んだりで23℃予報。雨だけど真夏日よりは過ごしやすいかと。で、今日から投稿を再開です。昨日、下日野の道端に垂れ下がっていたエビヅル「海老蔓」を撮りました。が、葉裏の白毛を見てきませんでした。野の植物との出逢いは一期一会です。雨だけど再観察に往ってきました。

Ac-04 やまつづら www.mys.sprincler.com
巻十四には地方の各国の歌が載せられている。この歌は上野国の歌で、安蘇山から山脈が延び続く山国の様子を巧みに表現している。ここで「安蘇山葛」は安蘇山と山葛とを続けたものと解釈でき、万葉仮名で山つづらと詠む。「あぜか絶えせむ」もサイトに記載がある