2021/06/07

チョウセンキハギ

チョウセンキハギ 芒種/06.07 上州吉井多比良 チョウセンキハギ 芒種/06.07 上州吉井多比良 チョウセンキハギ 芒種/06.07 上州吉井多比良

昨日です。ふと、唐駒繋と共に大陸から来た朝鮮木萩かと… 食事を済ませてパチリに回り花のアップや唐駒繋といっしょのとこなどを撮ってきました。3スレッドでふぅ垢にあげました (^-^)

対馬に自生している朝鮮木萩チョウセンキハギです。野じゃなくて植物園でしか観られないお方と思い込んでいました。が、大陸にも自生していて、ひと頃よく緑化に使われていた唐駒繋トウコマツナギと共にやって来たのかもしれません。花期は梅雨ごろらしく今咲いているのも頷けます (^-^)

梅雨の頃の野なら木萩です。庭なら宮城野萩を見ています。晩夏になると野で丸葉萩、筑紫萩、山萩が咲きます。チョウセンキハギの花は丸葉萩によく似ていて、萼歯は山萩に似て尖っています。見慣れたら花だけでも判るようになるかもよ (´ー`)

2021/06/06

イチヤクソウ/06.06 緑野山

イチヤクソウ 芒種/06.06 上州緑野山 イチヤクソウ 芒種/06.06 上州緑野山

ハマユウの語源をアップしてひと眠り。目覚めたら薄陽の気配。で、パチリに出ました。庚申山の栗畑で雄花と雌花。あと蛾をパチリ。レンズがオオミズアオと… 便利になりましたね (^-^)

東平井まで来たら真っ白な蕎麦畑。ちょっと遅くて終わりかけの花だったけどヨリとヒキをパチリ。そのまま多比良まで走って謎の萩をパシャリ。情報が少なくて、まだ未同定だけど中国産の朝鮮木萩かも… あっ、隣の唐駒繋を撮り忘れちゃった。近いうちに撮っときます (^-^)

緑野山をちょい歩きして東国紫蘇葉立浪を数ショット。ちょっと遅くて取り頃の株は無し。で、石仏狙いで谷不動尊へ移動。たらね、雪ノ下が咲いてました。ちょいパチして緑野山へ戻りました。途中で小昼顔をいくつかパチリ。らしく撮れてます。そのうちにあげるとさ (^-^)

薄陽の射し込んでいる林床を歩いて一薬草探し。結局、咲いていたのを1株と葉だけ見たのが2株。早いのか遅いのか時期がズレとります。それにしても湿気が多く汗でべとついちゃって歩くのが億劫ばい。明日は出ないつもりだけど、さてさて… (´ー`)

栗の雄花と雌花/06.06 庚申山

栗の雌花 芒種/06.06 上州藤岡 栗の雄花 芒種/06.06 上州藤岡 栗の雌花 芒種/06.06 上州藤岡

ちょっと前から見ていた栗の花を撮ってきました。雄花には独特の臭気があります。幸い栗畑の最高木が花を咲かし始めてたんでちょいズームでパチリ。雌花は葉脇につきます。丈が低く横に枝を伸ばしてる栗を見てたら雌花を持ってるお方を発見。ヨリとヒキをパチってきたと (°-°;

ハマユウの語源

昨夕です。紀伊民報 AGARA「海岸で甘い香り ハマユウが白い花」を引用リツイートしました。
で、ハマユウの語源「植物一日一題」牧野富太郎としたんだけど今朝読んだら訳分からんばい。植物一日一題『ハマユウの語源』をアップました。時間のあるときに読んでみて… (°-°;

ハマユウの語源『植物一日一題』牧野富太郎

 ハマユウはハマオモトともハマバショウともいうもので、漢名は『広東新語かんとんしんご』にある文珠蘭ブンシュランであるといわれる。宿根生の大形常緑草本でヒガンバナ科に属し、Crinum asiaticum L. var. japonicum Baker の学名を有し、我国暖国の海浜に野生している。葉は多数叢生して開出し、長広な披針形を成し、質厚く緑色で光沢がある。茎は直立して太く短かい円柱形をなし、その葉鞘ようしょうが巻き重なって偽茎となっている。八、九月頃の候葉間から緑色のていを描き高い頂に多くの花が聚って繖形さんけいをなし、花は白色で香気を放ち、狭い六花蓋片がある。六雄蕊ゆうずい一子房があってその白色花柱の先端は紅紫色を呈する。花後に円実を結び淡緑色の果皮が開裂すると大きな白い種子がこぼれ出て沙上にころがり、その種皮はコルク質で海水に浮んで彼岸に達するに適している。そしてその達するところで新しく仔苗をつくるのである。

 葉の本の茎は本当の茎ではなく、これはその筒状をした葉鞘が前述のように幾重にも巻きかさなって直立した茎の形を偽装しており、これを幾枚にも幾枚にも剥がすことが出来、それはちょうど真っ白な厚紙のようである。

万葉集 巻第四496 柿本朝臣人麻呂 相聞 紀州 羈旅
み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも
三熊野之みくまぬの浦乃濱木綿うらのはまゆふ百重成ももへなす心者雖念こころはもへど直不相鴨ただにあはぬかもという柿本人麻呂の歌がある。この歌中の浜木綿はまゆふはすなわちハマオモトである。この歌の中の百重成ももへなすの言葉はじつに千釣の値がある。浜木綿の意を解せんとする者はこれを見のがしてはならない。

 貝原益軒の『大和本草』に『仙覚抄せんがくしょう』を引いて「浜ユフハ芭蕉ニ似テチイサキ草也茎ノ幾重トモナクカサナリタル也ヘギテ見レバ白クテ紙ナドノヤウニヘダテアルナリ大臣ノ大饗ナドニハ鳥ノ別足ツヽマンレウニ三熊野浦ヨリシテノボラルヽトイヘリ」とある。また『綺語抄きごしょう』を引いて「浜ユフハ芭蕉ニ似タル草浜ニ生ル也茎ノ百重アルナリ」ともある。

 また月村斎宗碩げっそんさいそうせきの『藻塩草もしおぐさ』には「浜木綿」の条下の「うらのはまゆふ」と書いた下に

みくまのにあり此みくまのは志摩国也大臣の大饗の時はしまの国より献ずなる事旧例也是をもつて雉のあしをつゝむ也抑此はまゆふは芭蕉に似たる草のくきのかはのうすくおほくかさなれる也もゝへとよめるも同儀也又これにけさう文を書て人の方へやるに返事せねば其人わろしと也又云これにこひしき人の名をかきて枕の下にをきてぬればかならず夢みる也此みくまのは伊勢と云説もあり何にも紀州はあらず云々

とある。

 浜木綿とは浜に生じているハマオモトの茎の衣を木綿(ユフとは元来は楮すなわちコウゾの皮をもって織った布である。この時代にはまだ綿はなかったから畢竟木綿を織物の名としてその字を借用したものに過ぎないのだということを心に留めておかねばならない。ゆえにユフを木綿と書くのはじつは不穏当である)に擬して、それで浜ユフといったものだ。人によってはその花が白き幣を懸けたようなのでそういうといってるけれど、それは皮相の見で当っていない。本居宣長の『玉勝間たまがつま』十二の巻「はまゆふ」の条下に「浜木綿………浜おもとと云ふ物なるべし………七月のころ花咲くを其色白くてタリたるが木綿に似たるから浜ゆふとは云ひけるにや」と書いてあるが、「云ひにけるにや」とあってそれを断言してはいないが、花が白くて垂れた木綿に似ているから浜ユフというのだとの説は、疾に人麻呂の歌を熟知しおられるはずの本居先生にも似合わず間違っている。

 同じく本居氏の同書『玉勝間』木綿の条下に「いにしへ木綿ユフと云ひし物はカヤの木の皮にてそを布に織たりし事古へはあまねく常の事なりしを中むかしよりこなたには紙にのみ造りて布に織ることは絶たりとおぼへたりしに今の世にも阿波ノ国に太布タフといひて穀の木の皮を糸にして織れる布有り色白くいとつよし洗ひてものりをつくることなく洗ふたびごとにいよいよ白くきよらかになるとぞ」と書いて木綿が解説してある[牧野いう、土佐で太布《タフ》というのは麻《アサ》で製した布のものをそう呼んでいた]

 小笠原島にオオハマユウというものがある。その形状はハマユウすなわちハマオモトと同様でただ大形になっているだけである。この学名は Crinum gigas Nakai である。が、私は今これを Crinum asiaticum L. var. gigas(Nakai)Makino(nov. comb.)とするのがよいと信じている。

2021/05/31

ヒルガオかな…

たぶんヒルガオ 小満/05.31 上州藤岡白石丘陵公園 たぶんヒルガオ 小満/05.31 上州藤岡白石丘陵公園 たぶんヒルガオ 小満/05.31 上州藤岡白石丘陵公園

大きめの花で葉に曲線部が多いと感じました。翼があればコヒルガオ。なければヒルガオてなことを聞きます。ずっとそうしてきたんですがアイノコヒルガオがいます。翼の有無だけで見分けるのは無理なようです。で、このところは花の大きさや葉の丸さなども観るようにしています。初心忘るべからず… (´ー`)

ヒルガオとコヒルガオ『植物一日一題』牧野富太郎

 日本のヒルガオには二つの種類があって、一つはヒルガオ(Calystegia nipponica Makino, nom. nov.=C. japonica Choisy non Convolvulus japonicus Thunb.)一つはコヒルガオ(Calystegia hederacea Wall.)である。これらは昼間に花が咲いているので、それで昼顔の名があって朝顔(Pharbitis hederacea Choisy var. Nil Makino=Ph. Nil Choisy)に対している。

 また右のヒルガオ、アサガオとは関係ないが、ついでだから記してみると、今日民間で夕顔と呼んでいるものはいわゆる Moon-flower(Calonyction Bona-nox Bojer)で、これは夕顔の名をかぶしているが、その正しい称えは夜顔(田中芳男たなかよしお氏命名)である。そして本当の夕顔は瓜類の夕顔(Lagenaria leucantha Rusby var. clavata Makino)で、これは昔からいう正真正銘のユウガオである。ここに四つの顔が揃った。すなわち朝顔、昼顔、夕顔、夜顔である。これを歌にすれば「四つの顔揃えて見れば立優る、顔はいづれぞ四つのその顔」

 古えより我国の学者はコヒルガオをヒルガオとし、ヒルガオをオオヒルガオと呼んでいるが、私の考えはこれと正反対で、右のヒルガオをコヒルガオとし、オオヒルガオをヒルガオと認定している。それはそうするのが実際的であり自然的であり、また鑑賞的であって、したがって先人の見解が間違っているとみるからである。

 なぜ昔からの日本の学者達は、その花が爽かで明るく、その大きさが適応で大ならず小ならず、その観た姿がすこぶる眼に快よいヒルガオの花が郊外で薫風にそよぎつつ、そこかしこに咲いているにかかわらず、花が小さくてみすぼらしく色も冴えなく、なんとなく貧相であまり引き立たないコヒルガオを特にヒルガオと称えたかと推測するに、それは古えより我国の学者が、随喜の涙を流して尊重した漢名すなわち中国名が禍をなしてこんな結果を生んだものだと私は確信している。そうでなければ一方に優れた花のヒルガオがあるにもかかわらず、花の美点の淡き貧困なコヒルガオを殊さらに選ぶ理屈はないじゃないか。

 中国の本草、園芸などの書物に旋花センカ、一名|鼓子花コシカ、別名|打碗花ダエンカ等があるが、これらは元来コヒルガオの漢名でヒルガオの名ではない。にもかかわらず日本の学者達はみなこれをヒルガオとしているから、そこで古来一般この旋花すなわち鼓子花がヒルガオの名になっているのである。そしてこの種以外にある優れた花のヒルガオを特にオオヒルガオと呼んでいるが、これはこのように取り扱うには及ばなく、このオオヒルガオをヒルガオとすればそれでよろしく、実際その花がヒルガオとしての価値を十分に発揮している。六、七、八月の候に野外でよくこれを見受けるが、この花をヒルガオそのものとすれば誰でも成るほどとうなずくのであろう。そして中国、否、アジア大陸にはこの品はなく、これは日本の特産でありすなわち一つの国粋花でもある。従来の本草学者はこれを『救荒本草きゅうこうほんぞう』に出ている藤長苗にあてているが当っていない。そしてこの藤長苗はその葉に底耳片なく茎には細毛ある種で、我がヒルガオとは全然異なっている。Bailey 氏の Manual of Cultivated Plants の書中にある Convolvulus japonicus Thunb. は日本(中国にもインドにもある)のコヒルガオと中国産の藤長苗(?)とが混説せられているようだ。そして Calystegia pubescens Lindl. は多分藤長苗の学名であろう。かつまた Convolvulus japonicus Thunb. はコヒルガオそのものであってヒルガオではない。

 ヒルガオには白花品があってこれをシロバナヒルガオと称する。古人の描いた図にも出ているが、私は先年これを紀州高野山で採集した。学名は Calystegia nipponica Makino var. albiflora Makino である。そしてこれを Calystegia subvolubilis Don var. albiflora Makino et Nemoto とするのは非で、この C. subvolubilis Don は全然日本になく、これは大陸の種である。そして日本のヒルガオは日本の特産で大陸にはなく、したがって中国にも産しない。ゆえにヒルガオには漢名はない。上記の如く旋花、一名鼓子花を昔からヒルガオとしてあるこのいわゆるヒルガオは前述の通りにまさにコヒルガオそのものであり、またあらねばならない。

 旋花の意味は、その花の花冠(Corolla)が弁裂せずに完全に合体して、環に端がないように、その縁がめぐっているからだといわれる。また鼓子花の意味はその形が軍中で吹く鼓子に似ているからだとのことである。そうするとこの鼓子は、鼓のようにポンポン打つもんではなくて、ブーブーと吹き鳴らす器である。

タツナミソウ

タツナミソウ 小満/05.31 上州牛伏山 タツナミソウ 小満/05.31 上州牛伏山

このお方、ず〜っと立浪草タツナミソウと表記してきましたが今日からタツナミソウとします。あっ、新たな発見があった訳じゃないんです。今まで立浪草たちの絵合わせをしてきた中で「タツナミソウ」でいいかなと思いました。もともと分類を苦手としています。それに、あと1週間もすれば緑野山の東国紫蘇葉立浪トウゴクシソバタツナミが咲き始めます。今後はタツナミソウでいきます (´ー`)

今日パチをメモっときます σ(°┰~ )
大神場 ウツギ
牛伏山 タツナミソウ、キモンガ、ヒメウラナミジャノメ、アカショウマ、モミジイチゴ
七輿山 クロガネモチ、ムクドリ、ヒメジョオン、ヤマナシ、ヒバリ、ヒルガオ

2021/05/30

カワトンボかな…

カワトンボかも… 小満/05.30 上州藤岡高山

二度寝しちゃいました。トンボ図鑑を視ててタイムアップ。行ってきます (´ー`)

ヤマタツナミソウ

ヤマタツナミソウ 小満/05.30 上州藤岡金井 ヤマタツナミソウ 小満/05.30 上州藤岡金井

金井のヤマタツナミソウ、咲いてました。今年は地盤の崩落に巻き込まれて、30日は1株だけでした。あと、土を被りながらも起き上がっていたお方が2株いました。このままじゃ寂しいんでまた観に行ってみます (´ー`)

桑の実/05.30

桑の実 小満/05.30 上州藤岡神流川 桑の実 小満/05.30 上州藤岡神流川

もう役目は終わっている河川敷の真桑まぐわです。数年前に樹勢が衰えたのか、ちょっぴりしか実を付けなかったことがありました。桑は雌雄異株ですよね。で、枝単位で雌雄が変わるんかも、などと妄想の世界を漂っていた狸がいたんだとさ (´ー`)

2021/05/28

昼と夜 05.26

ムギワラトンボ(シオカラトンボ♀)小満/05.26 上州藤岡緑埜 日本アマガエル 小満/05.26 上州藤岡緑野山 姫ウラナミジャノメ 小満/05.26 上州藤岡緑埜

明るいときに撮った3枚をあげました。まず、シオカラトンボの♀です。ムギワラトンボ「麦藁トンボ」ともよばれてるようです。2枚目はヒメウラナミジャノメ「姫裏波蛇目蝶」。3枚目は日本アマガエルです。風で揺れているミツバアケビの葉にぴったりと吸着してました。で、夕方から雨かなと思ったふぅ狸でした (^-^)

5月26日は陰暦だと卯月「四月」十五日。が、小満の宵に昇ってくる望月は観られないはず。皆既月食がアナウンスされていました。月の出は 18:43、月食の始まりは 18:44 です。もっとも雲が厚くて皆既月食が終わった 22:00 頃に、南東の空で滲んでいた月を見ただけでした (°-°;
赤銅の月、夜空に「3年ぶり皆既月食」前橋、榛東から撮影

国立天文台が撮影した2021年5月26日の皆既月食

2021/05/24

宮城野 〜 末の松山・塩竈/奥の細道

奥の細道図

宮城野

名取川を渡つて仙台にる。あやめふく日なり。旅宿をもとめて四五日逗留とうりうす。ここに画工加右衛門かえもんといふものあり。いささか心ある者と聞きて知る人になる。この者、「年ごろ定かならぬ名どころを考へ置きはべれば」とて、一日ひとひ案内す。宮城野みやぎのはぎ茂りあひて、秋の気色思ひやらるる。玉田・横野よこの躑躅つゝじおかはあせび咲くころなり。日影も漏らぬ松の林に入りて、ここをしたといふとぞ。昔もかく露ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。薬師堂・天神の御社みやしろなど拝みて、その日は暮れぬ。なお、松島・塩竃しほがま所々ところどころに書きて贈る。かつ、紺の染緒そめをつけたる草鞋わらじ二足はなむけす。さればこそ、風流のしれ者、ここに至りてそのまことあらはす。
あやめ草足に結ばん草鞋わらじ

かの画図ゑづにまかせてたどり行けば、おくの細道の山際やまぎはに、十符とふすげあり。今も年々としどし十符の菅菰すがごも調ととのへて国守こくしゅに献ずといへり。

壷の碑

壷碑つぼのいしぶみ    市川村多賀城たがじやうにあり。

つぼの石ぶみは、高サ六尺余、横三尺ばかりか。こけ穿うがちて文字かすかなり。四維しゆい国界こくかいの数里をしるす。「この城、神亀じんき元年、按察使あぜつし鎮守府ちんじゅふ将軍大野朝臣東人おおののあそんあずまうとのおくところなり。天平てんぴゃう宝字六年、参議東海東山とうせん節度使おなじく将軍恵美朝臣えみのあそん朝獦あさかり修造しゆぞう而、十二月朔日ついたち」とあり。聖武しやうむ皇帝の御時おほんときに当たれり。昔よりよみ置ける歌枕、多く語り伝ふといへども、山くづれ、川流れて、道あらたまり、石はうづもれて土に隠れ、木は老て若木わかぎに代はれば、時移り、変じて、その跡たしかならぬことのみを、ここにいたりて疑ひなき千歳せんざい記念かたみ、今眼前に古人の心をけみす。行脚あんぎやの一徳、存命の悦び、羈旅きりょろうを忘れて、涙も落つるばかりなり。

末の松山・塩竈

それより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。末の松山は、寺を造りて末松山まつしょうざんといふ。松のあひあひみな墓原にて、はねはし枝を連ぬる契りの末も、ついにはかくのごときと、悲しさもまさりて、塩竈しおがまの浦に入相いりあひの鐘を聞く。五月雨さみだれの空いささか晴れて、夕月夜ゆうづくよかすかに、まがきが島もほど近し。あま小舟おぶねれて、さかなかつ声々こえごえに「つなでかなしも」とよみけん心もられて、いとどあはれなり。その夜、目盲めくら法師の、琵琶びはらして、おく浄瑠璃じょうるりといふものをかたる。平家にもあらず、まひにもあらず、ひなびたる調子うちげて、まくらちかうかしましけれど、さすがに辺国の遺風忘れざるものから、殊勝しゆしやうにおぼえらる。

早朝、塩竃しほがま明神みやうじんまうづ。国守再興せられて、宮柱みやばしらふとしく、彩椽さいてんきらびやかに、石のきざはし九仞きうじんに重なり、朝日あけの玉垣をかかやかす。かかる道の果て、塵土ぢんどの境まで、神霊あらたにましますこそわが国の風俗なれと、いとたうとけれ。神前に古き宝燈あり。かねびらのおもてに「文治三年和泉いづみの三郎さぶろう寄進」とあり。五百年来のおもかげ、今目の前にかびて、そぞろに珍し。かれは勇義忠孝の士なり。佳命かめい今にいたりてしたはずといふことなし。まことに「人よく道を勤め、義を守るべし。名もまたこれにしたがふ」といへり。日すでにに近し。船を借りて松島にわたる。そのかん二里余り、雄島をじまいそく。