2021年9月27日

ヤクシソウ「薬師草」/高山

ヤクシソウ「薬師草」 秋分/09.27 上州藤岡高山

地元紙のアサギマダラ来訪に誘われて三本木から髙山、朝ケ谷と 90ショットほどしてきました。高山で撮った薬師草を2枚であげときます。あっ、2枚めのポトレは lightbox をアタッチしてません。スクロールして見てね (°-°;

三本木 ~ 高山 ~ 朝ヶ谷で90ショットほど。名をメモっときます 09.29 (^-^)
宮城野萩みやぎのはぎ彼岸花ヒガンバナ小紫式部コムラサキ秋野芥子アキノノゲシ丸葉緀紅マルバルコウ柚香菊ユウガギク、白花秋桜コスモス筑紫萩ツクシハギ現証拠ゲンノショウコ薬師草ヤクシソウ男郎花オトコエシ虎杖イタドリ白根川芎シラネセンキュウ藪豆ヤブマメ釣船草ツリフネソウ黄花秋桐キバナアキギリ関屋秋丁子セキヤノアキチョウジ林檎リンゴ南天萩ナンテンハギクヌギ山薄荷ヤマハッカ、日本山梨ヤマナシ力芝チカラシバ精霊飛蝗ショウリョウバッタ

ヤクシソウ「薬師草」 秋分/09.27 上州藤岡高山

ヤクシソウ「薬師草」 秋分/09.27 上州藤岡高山

2021年9月25日

酒田 ~ 越後路/8 奥の細道

奥の細道図

酒田

 羽黒を立ちて、つるをかの城下、長山氏重行ながやまうじじゅうかうといふ武士もののふの家にむかへられて、誹諧一巻ひとまきあり。左吉もともに送りぬ。川舟に乗つて酒田の港に下る。淵庵不玉えんあんふぎょくといふ医師くすしもとを宿とす。


  あつみ山や吹浦ふくうらかけて夕すゞ


  暑き日を海にれたり最上川


象潟

 江山こうざん水陸の風光かずくして、今象潟きさがた方寸ほうすんむ。酒田の港より東北のかた、山を越えいそを伝ひ、いさごをみて、そのさい十里、日影ややかたぶくころ、汐風真砂まさごを吹き上げ、雨朦朧もうろうとして鳥海ちょうかいの山かくる。闇中あんちゅうに模索して、「雨もまた奇なり」とせば、雨後の晴色せいしょくまたたのもしきと、あま苫屋とまやひざを入れて、雨の晴るるを待つ。そのあした、天よく晴れて、朝日はなやかにさしづるほどに、象潟きさかたに舟をかぶ。まづ能因嶋のういんじまに船をせて、三年幽居の跡をとぶらひ、かうのきしに舟をあがれば、「花の上ぐ」とよまれし桜の西行さいぎょう法師の記念かたみのこす。江上かうしゃう御陵みささぎあり、神功后宮じんぐうこうぐう御墓みはかといふ。寺を干満珠寺かんまんじゅじといふ。このところに行幸みゆきありしこといまだ聞かず。いかなることにや。この寺の方丈ほうぢょうに座してすだれけば、風景一眼のうちに尽きて、南に鳥海、天をささへ、その影うつりて江にあり。西はむやむやの関、みちかぎり、東に堤をきづきて、秋田にかよふ道はるかに、海北にかまへて、波うち入るる所を汐越しほごしといふ。江の縦横じゅうおう一里ばかり、おもかげ松島にかよひて、またことなり。松島は笑ふがごとく、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しびをくはへて、地勢たましひなやますに似たり。


  象潟や雨に西施せいしがねぶの花


  汐越やつるはぎぬれて海涼し


    祭礼


  象潟や料理何ふ神祭      曽良


美濃の国の商人

  あまや戸板を敷きて夕涼ゆうすゞみ   低耳ていじ


    岩上がんじやう雎鳩みさごの巣を


  波へぬちぎりありてや雎鳩みさごの巣  曽良


越後路

 酒田さかた余波なごり日をかさねて、北陸道ほくろくどうの雲にのぞむ、遙々ようようおもむねをいたましめて加賀かがまで百卅里ひゃくさんじゅうりと聞く。ねずの関をゆれば、越後えちごの地に歩行あゆみあらためて、越中えっちゅうの国市振いちぶりせきいたる。このかん九日ここのか暑湿しょしつろうしんなやまし、やまいおこりてことをしるさず。


  文月ふみづき六日むいかつねの夜には


  荒海あらうみや佐渡さどによこたふあまがわ


2021年9月21日

実りの栗/唱歌・里の秋

多比良の栗畑

多比良の栗畑 秋彼岸/09.21 上州吉井多比良

 里の秋を3つ (^-^) 0:00 独唱、03:10 JazzPiano、06:52 合唱

里の秋

一 静かな静かな里の秋

お背戸に木の実の
落ちる夜は
ああ母さんと ただ二人
栗の実 煮てます
囲炉裏いろりばた

二 明るい明るい星の空

鳴き鳴き夜鴨の
わたる夜は
ああ父さんの あの笑顔
栗の実 食べては
思い出す

三 さよならさよなら椰子の島

お舟にゆられて
帰られる
ああ父さんよ ご無事でと
今夜も 母さんと
祈ります

2021年9月17日

万葉歌のイチシ『植物一日一題』牧野富太郎

ヒガンバナ

土手の彼岸花 2020/10/02 上州藤岡矢場

昨日(16日)のことです。食料調達して戻る途中に道路脇の花壇?で彼岸花ヒガンバナを見かけました。緑のストローで大地の赤を吸い上げて噴水のごとくに命の象徴を撒き散らしているように見へました。で、もう、この20日が "お彼岸の入り" ですね。青空文庫テキスト『植物一日一題』牧野富太郎、から「万葉歌のイチシ」をあげときます (^-^)

寄物陳思「巻十一・二四八〇」柿本人麻呂歌集出


みち壱師いちしの花の いちしろく
人皆知りぬわが恋妻こひづま


路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀攦


道ばたのイチシの花ではないが、はっきりと、世の人は皆知ってしまった。私の恋しい妻は、、、



 万葉人の歌、それは『万葉集』巻十一に出ている歌に「みちのべのいちしのはなのいちじろく、ひとみなしりぬあがこひづまは」(路辺壱師花灼然、人皆知我恋孋)というのがある。そしてこの歌の中に詠みこまれている壱師ノ花とあるイチシとは一体全体どんな植物なのか。古来誰もその真物を言い当てたとの証拠もなく、徒らにあれやこれやと想像するばかりである。なぜなれば、現代では最早そのイチシの名が廃たれて疾くにこの世から消え去っているから、今その実物が掴めないのである。ゆえにいろいろの学者が単に想像を逞しくして暗中模索をやっているにすぎない。

 甲の人はそれはシであるギシギシ「羊蹄」だといっている。乙の人はそれはメハジキのヤクモソウ(茺蔚ジュウイすなわち益母草)だといっている。丙の人はそれはイチゴの類だといっている。 丁の人はクサイチゴだといっている。戌の人はそれはエゴノキだといっている。そして一向に首肯すべきその結論に到着していない。

 そこで私もこの植物について一考してみた。初めもしやそれは諸方に多いケシ科のタケニグサすなわちチャンパギク「博落廻」ではないだろうかと想像してみた。この草は丈高く大形で、夏に草原、山原、路傍、圃地の囲回り、山路の左右などに多く生えて茂り、その茎の梢に高く抽んでている大形の花穂そのものは密に白色の細花を綴って立っており、その姿は遠目にさえも著しく見えるものである。だが私はそれよりも、もっともっとよいものを見つけて、ハッ! これだなと手を打った。すなわちそれはマンジュシャゲ「曼珠沙華の意」、一名ヒガンバナ「彼岸花の意」で、学名を Lycoris radiata Herb. と呼び、漢名を石蒜セキサンといい、ヒガンバナ科(マンジュシャゲ科)に属するいわゆる球根植物で襲重鱗茎しゅうじゅうりんけい(Tunicated Bulb)を地中深く有するものである。

 さてこのヒガンバナが花咲く深秋の季節に、野辺、山辺、路の辺、河の畔りの土堤、山畑の縁などを見渡すと、いたるところに群集し、高く茎を立て並びアノ赫灼かくしゃくたる真紅の花を咲かせて、そこかしこを装飾している光景は、誰の眼にも気がつかぬはずがない。そしてその群をなして咲き誇っているところ、まるで火事でも起こったようだ。だからこの草にはキツネノタイマツ、火焔カエンソウ、野ダイマツなどの名がある。すなわちこの草の花ならその歌中にある「灼然いちじろく」の語もよく利くのである。また「人皆知りぬ」も適切な言葉であると受け取れる。ゆえに私は、この万葉歌の壱師すなわちイチシは多分疑いもなくこのヒガンバナすなわちマンジュシャゲの古名であったろうときめている。が、ただし現在何十もあるヒガンバナの諸国方言中にイチシに彷彿たる名が見つからぬのが残念である。どこからか出て来い、イチシの方言!

2021年9月12日

尾花沢 ~ 出羽三山/7 奥の細道

奥の細道図

尾花沢

 尾花沢おばねざわにて清風せいふうといふ者をたづぬ。かれはめるものなれども、こころざしいやしからず。都にも折々をりをりかよひて、さすがに旅のなさけをも知りたれば、日ごろとどめて、長途ちょうどのいたはり、さまざまにもてなしはべる。


  すずしさをわが宿にしてねまるなり


  でよ飼屋かひやしたひきの声


  まゆきをおもかげにして紅粉べにの花


  蚕飼こがひする人は古代の姿すがたかな  曽良


立石寺

 山形領やまがたりょう立石寺りゅうしゃくじといふ山寺あり。慈覚大師じかくだいしの開基にして、ことに清閑の地なり。一見すべきよし、人々のすゝむるによりて、尾花沢よりとつて返し、そのかん七里ばかりなり。日いまだ暮れず。ふもとの坊に宿借り置て、山上の堂に登る。岩にいはほかさねて山とし、松栢しょうはく年旧としふり、土石いてこけなめらかに、岩上がんじょうの院々とびらを閉ぢて物の音きこえず。岸をめぐり、岩をひて仏閣ぶっかくを拝し、佳景かけい寂寞じゃくまくとして心みゆくのみおぼゆ。

  しずかさや岩にしみ入るせみの声


最上川

 最上川もがみがわらんと、大石田おおいしだといふ所に日和ひよりを待つ。ここに古き誹諧の種落ちこぼれて、忘れぬ花の昔を慕ひ、芦角ろかく一声いっせいの心をやはらげ、この道にさぐりあしして、新古しんこふた道にまよふといへども、みちしるべする人しなければと、わりなき一巻ひとまきを残しぬ。このたびの風流ここにいたれり。

 最上川は陸奥みちのくよりでて、山形を水上みなかみとす。碁点ごてんはやぶさなどいふ、おそろしき難所なんじょあり。板敷山いたじきやまの北を流れて、果ては酒田さかたの海にる。左右山おほひ、茂みの中に船をくだす。これに稲みたるをや、稲船いなぶねといふならし。白糸の滝は青葉の隙々ひまひまに落ちて、仙人堂、岸にのぞみて立つ。水みなぎつて舟あやふし。

  五月雨さみだれあつめてはや最上川もがみがわ


出羽三山

 六月三日、羽黒山はぐろさんに登る。図司左吉ずしさきちといふ者を尋ねて、別当代べっとうだい会覚阿闍利えがくあじゃりえつす。南谷みなみだにの別院にやどりして、憐愍れんみんの情こまやかにあるじせらる。
 四日、本坊にをゐて誹諧はいかい興行こうぎょう

  ありがたや雪をかほらす南谷みなみだに


 五日、権現ごんげんまうづ。当山開闢かいびゃく能除大師のうじょだいしはいづれのの人といふことをらず。延喜式えんぎしきに「羽州うしゅう里山の神社」とあり。書写、「黒」の字を「里山」となせるにや、羽州黒山を中略して羽黒山といふにや。出羽といへるは、「鳥の毛羽をこの国のみつぎものたてまつる」と、風土記ふどきにはべるとやらん。月山がっさん湯殿ゆどのを合はせて三山とす。当寺、武江東叡ぶこうとうえいに属して、天台止観てんだいしかんの月明らかに、円頓融通えんどんゆずうのりともしびかかげそひて、僧坊むねを並べ、修験行法しゅげんぎょうほうを励まし、霊山霊地の験効げんかう、人たふとびかつ恐る。繁栄とこしなえにして、めでたき御山おやまつつべし。

 八日、月山にのぼる。木綿ゆふしめ身に引きかけ、宝冠にかしらを包み、強力ごうりきといふものに導かれて、雲霧山気うんむさんきの中に氷雪を踏みて登ること八里、さらに日月にちぐわち行道ぎょうどう雲関うんかんに入るかとあやしまれ、息え身こごえて、頂上に至れば、日ぼっして月あらはる。笹を敷き、しのまくらとして、して明くるを待つ。日でて雲消ゆれば、湯殿に下る。

 谷のかたはら鍛治小屋かじごやといふあり。この国の鍛治だんや、霊水をえらびて、ここに潔斎してつるぎを打ち、つひに月山と銘を切って世に賞せらる。かの龍泉りようせんつるぎにらぐとかや、干将かんしやう莫耶ばくやむかししたふ。道に堪能かんのうしふあさからぬこと知られたり。岩に腰けてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばに開けるあり。降り積む雪の下にうづもれて、春を忘れぬおそざくらの花の心わりなし。炎天えんてんの梅花ここにかをるがごとし。行尊ぎょうそん僧正のうたここに思ひでて、なほあはれも、、、、まさりておぼゆ。総じてこの山中さんちゅう微細みさい、行者の法式として他言することを禁ず。よりて筆をとどめてしるさず。
 坊に帰れば、阿闍利あじゃりの求めによりて、三山巡礼の句々、短冊たんじゃくに書く。


  涼しさやほの三日月みかづき羽黒山はぐろさん


  雲の峰いくつくづれて月の山


  語られぬ湯殿にぬらすたもとかな


  湯殿山銭む道の涙かな  曽良


出羽三山 最上川 立石寺 尾花沢

2021年9月10日

夏と秋と行きかふ空のかよい路は

ススキ「芒」 白露/09.10 上州藤岡本郷

笹川沿いをぶらぶらしてます。陽射し燦々で眩しいくらい、それに暑いばい。湧き上がってる雲なんか夏の感じです。が、風に揺れるススキで、もう秋かなと… (^・^)

    古今集 巻三 夏歌 168 水無月の晦の日よめる by 躬恒
  夏と秋と行かふ空のかよひ路は かたへすゞしき風やふくらむ

小さい橋を渡り田んぼ周りを歩きだしたら畔からイナゴが飛び出してきました。て、イナゴなどとよんでみたけど本名は判りません。撮って憶える狸君です。昆虫たちはあまり撮ってなくて名は適当です。で、次にヤブツルアズキを撮りました。全国的には野小豆ノアズキてなソックリさんもいるようですがこちらでは見かけません。たら、また、イナゴが飛び出してきました。と、想ってたけどモニターしたら、さっきのお方とはちょいと違うようです。ならばと画像検索してみました。たらね、トノサマバッタが近いように視えました。そんな名で貼っときましたとさ (^-^)

たぶんイナゴ 白露/09.10 上州藤岡本郷 ヤブツルアズキ「藪蔓小豆」 白露/09.10 上州藤岡本郷 たぶんトノサマバッタ「藪蔓小豆」 白露/09.10 上州藤岡本郷

 

2021年9月9日

八月「葉月」三日の月

葉月三日の月 白露/09.09 18:20 上州藤岡鮎川 葉月三日の月 白露/09.09 18:20 上州藤岡鮎川 葉月三日の月 白露/09.09 18:20 上州藤岡鮎川

9月9日は陰暦だと八月「葉月」三日です。日没まじかになって食料調達にでました。たら、西南西の空に三日月が下りてました。さらに月の近くには宵の明星が輝いてましたとさ。 (^-^)

春はあけぼの… 夏は夜…
秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近くなりたるに、からすの寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入りはてて、風の音、虫のねなど、はたいふべきにあらず。
冬はつとめて…『枕草子』より

06/0993 大伴坂上郎女の初月みかづきの歌
月立ちてただ三日月みかづき眉根まよね
        長く恋ひし君に会へるかも
月立而 直三日月之 眉根掻 氣長戀之 君尓相有鴨

06/0994 大伴宿祢家持の初月みかづきの歌
ふりさけて若月みかづき見れば
     一目ひとめ見し人の眉引まよびき思ほゆるかも
振仰而 若月見者 一目見之 人乃眉引 所念可聞

 

2021年9月8日

瑞巌寺 ~ 尿前の関/6 奥の細道

奥の細道図

瑞巌寺

 十一日、瑞巌寺ずいがんじまうづ。当寺とうじ三十二世の昔、真壁まかべ平四郎へいしろう、出家して入唐にっとう、帰朝ののち開山かいざんす。そののち雲居うんご禅師の徳化とくげによりて、七堂いらか改まりて、金壁こんぺき荘厳しょうごん光をかかやかし、仏土ぶつど成就じょうじゅ大伽藍だいがらんとはなれりける。かの見仏聖けんぶつひじりの寺はいづくにやとしたはる。


石巻

 十二日、平泉ひらいづみと心ざし、姉歯あねはの松・緒絶をだえの橋など聞き伝へて、人跡じんせきまれに、雉兎蒭蕘すうぜうの行きかふ道そこともかず、つひに道みたがへて、石巻いしのまきといふみなとづ。「こがね花く」とよみてたてまつりたる金華山きんかさん海上かいしやうに見わたし、数百の廻船くわいせん入江につどひ、人家じんか地をあらそひて、かまどけぶり立ち続けたり。思ひがけずかかる所にもたれるかなと、宿らんとすれど、さらに宿す人なし。やうやうまどしき小家こいへ一夜いちやかして、あくればまたらぬ道まよひ行く。袖のわたり・ぶちの牧・真野まのかや原などよそ目に見て、はるかなるつつみを行く。心細き長沼にふて、戸伊摩といまといふ所に一宿いっしゅくして、平泉にいたる。その間廿余里にじゅうよりほどとおぼゆ。


平泉

 三代の栄耀えとう一睡のうちにして、大門だいもんの跡は一里こなたにあり。秀衡ひでひらが跡は田野でんやになりて、金鶏山きんけいざんのみ形を残す。まづ高館たかだちのぼれば、北上川きたかみがわ、南部より流るる大河なり。衣川ころもがはは、和泉いづみじょうめぐりて、高館のもとにて大河に落ち入る。泰衡やすひららが旧跡は、ころもせきを隔てて、南部口をさしかため、えぞふせぐと見えたり。さても、義臣すぐってこの城にこもり、功名こうみょう一時いちじくさむらとなる。「国破れて山河あり、しろ春にしてくさあおみたり」と、かさうち敷きて、時の移るまでなみだを落としはべりぬ。


  夏草やつわものどもが夢の跡


  の花に兼房かねふさ見ゆる白毛しらがかな   曽良


 かねて耳おどろかしたる二堂にどう開帳す。経堂きょうどうは三将の像を残し、光堂ひかりどうは三代のひつぎを納め、三尊さんぞんほとけを安置す。七宝せて、珠のとびら風に破れ、こがねの柱霜雪そうせつに朽ちて、すでに頽廃たいはい空虚のくさむらとなるべきを、四面あらたに囲みて、いらかを覆ひて雨風をしのぎ、しばらく千載せんざい記念かたみとはなれり。


  五月雨さみだれの降りのこしてや光堂


尿前の関

 南部道はるかに見やりて、岩手いわでの里に泊まる。小黒崎をぐろさき・みづの小島こじまを過ぎて、鳴子なるごの湯より尿前しとまえせきにかかりて、出羽ではの国に越えんとす。この道旅人たびびとまれなる所なれば、関守せきもりあやしめられて、やうやうとして関をす。大山たいざんを登って日すでに暮れければ、封人ほうじんの家を見かけてやどりを求む。三日風雨荒れて、よしなき山中に逗留とうりゅうす。

  のみしらみ馬の尿ばりするまくらもと

 あるじのいはく、これより出羽でわくに大山おほやまを隔てて、道さだかならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべきよしをもうす。「さらば」といひて人を頼みはべれば、究境くっきゃうの若者、反脇指そりわきざしよこたへ、かしつえたずさへて、われわれが先に立ちて行く。今日こそ必ずあやふきめにもあふべき日なれと、からき思ひをなしてあとについて行く。あるじのふにたがはず、高山かうざん森々しんしんとして一鳥いっちょう声きかず、下闇したやみ茂りあひてる行くがごとし。雲端うんたんにつちふる心地ここちして、しのの中踏み分け踏み分け、水をわたり、岩につまづいて、はだつめたき汗を流して、最上もがみしやうづ。かの案内あないせし男子をのこふやう、「この道かならず不用ぶようのことあり。つつがなうをくりまゐいらせて、仕合しあはせしたり」と、よろこびてわかれぬ。あとに聞きてさへ、胸とどろくのみなり。


2021年9月7日

但馬皇女:万葉集、秋の田の/おくれ居て/人言を

実りの稲穂 処暑/09.06 上州藤岡矢場

穂積皇子:家にありし櫃に鍵さし蔵めてし恋の奴の つかみかかりて

巻二・一一四 但馬皇女たじまのひめみこ高市皇子たけちのみこの宮にいます時
穂積皇子ほづみのみこを思ほして作りませる歌一首

秋の田の穂向ほむききのれることよりに
君に寄りなな言痛こちたかりとも

秋田之 穂向乃所縁 異所縁 君尓因奈名 事痛有登母

秋の田の稲穂が一つ方向になびいている。そのなびきのようにただひたむきに、あなたに寄りそいたい。たとい噂がやかましくても

 

巻二・一一五 穂積皇子にみことのりして近江の志賀の山寺に
遣はす時、但馬皇女の作りませる歌一首

おくれ居て恋ひつつあらずは 追いかむ
道の隈廻くまみしめへ わが

遺居而 戀管不有者 追及武 道之阿廻尓 標結吾勢

あとに残ってこんなに恋い焦がれていないで、あなたのあとを追って行こう。どうか道の曲り角ごとにしるしを結びつけておいて下さい。あなた

 

巻二・一一六 但馬皇女、高市皇子たけちのみこの宮にいます時
ひそかに穂積皇子にひて
事すでにあらはれて作りませる歌一首

人言ひとごとしげ言痛こちた

おのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る

人事乎 繁美許知痛美 己世尓 未渡 朝川渡

人の噂がひどくやかましいので、生まれてまだ渡ったこともない朝の川を渡ることだ

実りの稲穂 処暑/09.06 上州藤岡矢場

↓ここから『万葉秀歌』斉藤茂吉です

 

人言ひとごとをしげみ言痛こちたみおのがにいまだわたらぬ朝川あさかはわたる

「巻二・一一六」 但馬皇女

 但馬皇女たじまのひめみこ(天武天皇皇女)が穂積皇子ほづみのみこ(天武天皇第五皇子)を慕われた歌があって、「秋の田の穂向ほむきのよれる片寄りに君に寄りなな言痛こちたかりとも」(巻二・一一四)の如き歌もある。この「人言を」の歌は、皇女が高市皇子の宮に居られ、ひそかに穂積皇子に接せられたのがあらわれた時の御歌である。
「秋の田の」の歌は上の句は序詞があって、技巧も巧だが、「君に寄りなな」の句は強く純粋で、また語気も女性らしいところが出ていてよいものである。「人言を」の歌は、一生涯これまで一度も経験したことの無い朝川を渡ったというのは、実際の写生で、実質的であるのが人の心を牽く。特に皇女が皇子に逢うために、ひそかに朝川を渡ったというように想像すると、なお切実の度が増すわけである。普通女が男の許に通うことは稀だからである。

        ○      ○

ゆきはあはになりそ吉隠よなばり猪養ゐがひをかせきなさまくに

「巻二・二〇三」 穂積皇子

 但馬たじま皇女が薨ぜられた(和銅元年六月)時から、幾月か過ぎて雪の降った冬の日に、穂積皇子が遙かに御墓(猪養の岡)を望まれ、悲傷流涕りゅうていして作られた歌である。皇女と皇子との御関係は既に云った如くである。吉隠よなばり磯城しき郡初瀬町のうちで、猪養の岡はその吉隠にあったのであろう。「あはにな降りそ」は、諸説あるが、多く降ることなかれというのに従っておく。「せきなさまくに」はせきをなさんに、せきとなるだろうからという意で、これも諸説がある。金沢本には、「塞」が「寒」になっているから、新訓では、「寒からまくに」と訓んだ。

 一首は、降る雪は余り多く降るな。但馬皇女のお墓のある吉隠の猪養の岡にかよう道をさえぎって邪魔になるから、というので、皇子は藤原京(高市郡鴨公村)からこの吉隠(初瀬町)の方を遠く望まれたものと想像することが出来る。

 皇女の薨ぜられた時には、皇子は知太政官事ちだいじょうかんじの職にあられた。御多忙の御身でありながら、或雪の降った日に、往事のことをも追懐せられつつ吉隠の方にむかってこの吟咏をせられたものであろう。この歌には、解釈に未定の点があるので、鑑賞にも邪魔する点があるが、大体右の如くに定めて鑑賞すればそれで満足し得るのではあるまいか。前出の、「君に寄りなな」とか、「朝川わたる」とかは、皆皇女の御詞であった。そして此歌に於てはじめて吾等は皇子の御詞に接するのだが、それは皇女の御墓についてであった。そして血の出るようなこの一首を作られたのであった。結句の「塞なさまくに」は強く迫る句である。

        ○      ○

今朝けさあさかりがねきつ春日山かすがやまもみぢにけらしがこころいた

「巻八・一五一三」 穂積皇子

 穂積皇子ほづみのみこの御歌二首中の一つで、一首の意は、今日の朝に雁の声を聞いた、もう春日山は黄葉もみじしたであろうか。身にみて心悲しい、というので、作者の心が雁の声を聞き黄葉を聯想しただけでも、心痛むという御境涯にあったものと見える。そしてなお推測すれば但馬皇女たじまのひめみことの御関係があったのだから、それを参考するとおのずから解釈出来る点があるのである。いずれにしても、第二句で「雁がね聞きつ」と切り、第四句で「もみぢにけらし」と切り、結句で「吾が心痛し」と切って、ぽつりぽつりとしている歌調はおのずから痛切な心境を暗指するものである。前の志貴皇子の「石激る垂水の上の」の御歌などと比較すると、その心境と声調の差別を明らかに知ることが出来るのである。もう一つの皇子の御歌は、「秋萩は咲きぬべからし吾が屋戸やどの浅茅が花の散りぬる見れば」(巻八・一五一四)というのである。なお、近くにある、但馬皇女の、「ことしげき里に住まずは今朝鳴きし雁にたぐひて行かましものを」(同・一五一五)という御歌がある。皇女のこの御歌も、穂積皇子のこの御歌と共に読味うことが出来る。共に恋愛情調のものだが、皇女のには甘くせまる御語気がある。

 

巻十六・三八一六 穂積皇子ほづみのみこ御歌みうた一首

家にありしひつかぎをさめてし恋のやつこ
つかみかかりて

家尓有之 櫃尓鏁刺 蔵而師 戀乃奴之 束見懸而

家にあった櫃に鍵をかけて、しまっておいた恋の奴が、私につかみかかって苦しめることだ

◎左注に、右の歌一首は、穂積親王、宴飲うたげの日にして、酒たけなはなる時に、好みてこの歌を誦して、以てつねめでと為したまひき

2021年9月6日

莫囂円隣の歌/額田王

14文字です「東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡」どう読むか…

まず、常用の『現代語訳 対照 万葉集』桜井満から…

莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣
吾瀬子之わがせこが 射立為兼いたたせりけむ 五可新何本いつかしがもと

 

莫囂円隣之大相七兄爪謁気
わが背子せこがい立たせりけむ厳橿いつかしがもと

 

温泉いでましし時、額田王ぬかたのおおきみの作る歌

雑歌「巻一・九」

 

 莫囂圓隣歌ばくごうえんりんかは集中第一の難訓歌で、伊丹末雄『万葉集難訓考』によると、九十ほどの説があるという。最近も、松本清張が「宮人みやびとにかこまれとほし紀伊に行くわが背子立ちけむ厳橿が本」(文芸春秋第五十一巻第八号)と試みられたが、「紀伊」はキイではなく、キでなくてはならないので、五・七・四・八・七となり、落ちつかない。未だ従うべき説はないので、現代の主な試訓をあげて置く。なお三句以下を記さないものは「ワガセコガイタタセリケムイツカシガモト」と訓む。

畝傍うねびの浦西詰に立つ 宮嶋弘『万葉雑記』
静まりしかみな鳴りそね 土橋利彦『海青篇』
夕月の影踏みて立つ 伊丹末雄『万葉集難訓考』
静まりし浦浪さわく 沢瀉久孝『万葉集注釈』
まがりのたぶし見つつ行け吾が背子がい立たしけむいつかしが本 土屋文明『万葉集私注』
木綿ゆふ取りしはふり鎮むる吾が背子が射て立たすがね厳橿が本 谷繁『額田姫王』
まが環の装ひ七瀬の川にゆららに、わが背子しい立たせりけむ厳橿が本 阪口保『万葉林散策』

 

 

『万葉秀歌』斉藤茂吉

くにやまえて
背子せこがいたせりけむ厳橿いつかしがもと

「巻一・九」額田王

 紀の国の温泉に行幸(斉明)の時、額田王の詠んだ歌である。原文は、「莫囂円隣之、大相七兄爪謁気、吾瀬子之ワガセコガ射立為兼イタタセリケム五可新何本イツカシガモト」というので、上半の訓がむずかしいため、種々の訓があって一定しない。契沖が、「此歌ノ書ヤウ難儀ニテ心得ガタシ」と歎じたほどで、此儘では訓は殆ど不可能だとっていい。そこで評釈する時に、一首として味うことが出来ないから回避するのであるが、私は、下半の、「吾が背子がい立たせりけむ厳橿いつかしもと」に執着があるので、この歌を選んで仮りに真淵の訓に従って置いた。下半の訓は契沖の訓(代匠記)であるが、古義では第四句を、「い立たしけむ」と六音に訓み、それに従う学者が多い。厳橿いつかしおごそかな橿の樹で、神のいます橿の森をいったものであろう。その樹の下にかつて私の恋しいお方が立っておいでになった、という追憶であろう。或は相手に送った歌なら、「あなたが嘗てお立ちなされたとうかがいましたその橿の樹の下に居ります」という意になるだろう。この句は厳かな気持を起させるもので、単に句として抽出するなら万葉集中第一流の句の一つと謂っていい。書紀垂仁巻に、天皇以倭姫命御杖奉於天照大神是以倭姫命以天照大神ヲ坐磯城ノ厳橿之本とあり、古事記雄略巻に、美母呂能ミモロノ伊都加斯賀母登イツカシガモト加斯賀母登カシガモト由由斯伎加母ユユシキカモ加志波良袁登売カシハラヲトメ、云々とある如く、神聖なる場面と関聯し、橿原かしはら畝火うねびの山というように、橿の木がそのあたり一帯に茂っていたものと見て、そういうことを種々念中に持ってこの句を味うこととしていた。考頭注に、「このかしは神の坐所の斎木ゆきなれば」云々。古義に、「清浄なる橿といふ義なるべければ」云々の如くであるが、私は、大体を想像して味うにとどめている。

 さて、上の句の訓はいろいろあるが、皆あまりむずかしくて私の心に遠いので、差向き真淵訓に従った。真淵は、「円(圓)」を「国(國)」だとし、古兄氐湯気コエテユケだとした。考に云、「こはまづ神武天皇紀によるに、今の大和国を内つ国といひつ。さて其内つ国を、こゝにサヤギなき国と書たり。同紀に、雖辺土未清余妖尚梗而トツクニハナホサヤゲリトイヘドモ中洲之地無風塵ウチツクニハヤスラケシてふと同意なるにてしりぬ。かくてその隣とは、此度は紀伊国をさす也。然れば莫囂国隣之の五字は、紀乃久爾乃キノクニノよむべし。又右の紀に、辺土と中州をむかへいひしに依ては、此五字をつ国のとも訓べし。然れども云々の隣と書しからは、遠き国は本よりいはず、近きをいふなる中に、一国をさゝでは此哥このうたにかなはず、次下に、三輪山の事を綜麻形と書なせし事など相似たるに依ても、なほ上の訓を取るべし」とあり、なお真淵は、「こは荷田大人かだのうしのひめうた也。さて此哥の初句と、斉明天皇紀の童謡ワザウタとをば、はやき世よりよくヨム人なければとて、彼童謡をば己に、此哥をばそのいろと荷田信名宿禰に伝へられき。其後多く年経て此訓をなして、山城の稲荷山の荷田の家にとふに、全く古大人の訓にひとしといひおこせたり。然れば惜むべきを、ひめ隠しおかば、荷田大人の功もいたづらなりなんと、我友皆いへればしるしつ」という感慨を漏らしている。書紀垂仁天皇巻に、伊勢のことを、「傍国かたくに可怜国うましくになり」と云った如くに、大和に隣った国だから、紀の国を考えたのであっただろうか。

 古義では、「三室みもろ大相土見乍湯家ヤマミツツユケ吾が背子がい立たしけむ厳橿がもと」と訓み、奠器円レ隣メグラスでミモロと訓み、神祇を安置し奉る室の義とし、古事記の美母呂能伊都加斯賀母登ミモロノイツカシガモトを参考とした。そして真淵説を、「紀ノ国の山を超て何処イヅクに行とすべけむや、無用説イタヅラゴトといふべし」と評したが、しかしこの古義の言は、「紀の山をこえていづくにゆくにや」と荒木田久老ひさおい信濃漫録しなのまんろくで云ったその模倣である。真淵訓の「紀の国の山越えてゆけ」は、調子の弱いのは残念である。この訓は何処かたるんでいるから、調子の上からは古義の訓の方が緊張している。「吾が背子」は、或は大海人皇子おおあまのみこ(考・古義)で、京都に留まって居られたのかと解している。そして真淵訓に仮りに従うとすると、「紀の国の山を越えつつ行けば」の意となる。紀の国の山を越えて旅して行きますと、あなたが嘗てお立ちになったと聞いた神の森のところを、わたくしも丁度通過して、なつかしくおもうております、というぐらいの意になる。

2021年9月1日

トキイロクズ「朱鷺色葛」

トキイロクズ「朱鷺色葛」 処暑/09.01 上州高崎吉井 トキイロクズ「朱鷺色葛」 処暑/09.01 上州高崎吉井 トキイロクズ「朱鷺色葛」 処暑/09.01 上州高崎吉井

秋の七草の葛花クズバナですが、ここのは淡い桃色をしています。てか、朱鷺トキのような色をしている花です。なんで以前からトキイロクズとよんでいます。シロバナクズとよばれている花と同じかも知れんけどシロバナには見えませんじゃ (゚o゚;

あっ、パチリはついさっきです。小雨が降っていて20℃くらいしかなく、涼しいを通り越して寒いばい。が、辺りに甘い香りがただよっていました。普通の葛花と同じで葛根湯の原料になるかもよ。ちゅうても狸ん家だと、ここでしか観られないトキイロクズです。そっとしておいてください。9月1日、嬉しいことがありました。あんがとヤマモトさん。記念の即アゲ _(._.)_