2021年7月31日

下弦の月「陰暦六月/水無月」

下弦の月 大暑/07.31 23:50 上州藤岡

水無月二十二日です。下弦の月の月が昇ってました。出 23:01、南中 05:06、入 11:44 上州藤岡

安積山の歌/万葉秀歌

ヤマユリ 大暑/07.19 上州高崎吉井

難波津の歌は源氏物語に手習い歌で引用。難波津に咲くやこの花冬籠り今は春べと咲くやこの花

万葉集巻第十六 由縁ある雑歌
3807 葛城王かづらきのおおきみ陸奥みちのくちしとき祇承緩怠しじょうかんたいなり。王のこころよろこびたまはざりしときにさき采女うねめさかづきを捧げて詠む歌一首

安積山あさかやま影さへ見ゆる山の井の浅き心を吾がはなくに

 葛城王かずらきのおおきみ陸奥国みちのくのくにに派遣せられたとき、国司の王を接待する方法がひどく不備だったので、王が怒って折角せっかくの御馳走にも手をつけない。その時、かつ采女うねめをつとめたことのある女が侍していて、左手にさかずきを捧げ右手に水を盛った瓶子へいしを持ち、王のひざをたたいて此歌を吟誦したので、王の怒が解けて、楽飲すること終日であった、という伝説ある歌である。葛城王は、天武天皇の御代に一人居るし、また橘諸兄たちばなのもろえが皇族であった時の御名は葛城王であったから、そのいずれとも不明であるが、時代からいえば天武天皇の御代の方に傾くだろう。併し伝説であるから実は誰であってもかまわぬのである。また、「さきの采女」という女も、かつて采女として仕えたという女で、必ずしも陸奥出身の女とする必要もないわけである。「安積あさか山」は陸奥国安積郡、今の福島県安積郡日和田町の東方に安積山という小山がある。其処だろうと云われている。木立などが美しく映っている広く浅い山の泉の趣で、上の句は序詞である。そして「山の井の」から「浅き心」に連接せしめている。「浅き心を吾が思はなくに」が一首の眼目で、あなたをば深く思いつめて居ります、という恋愛歌である。そこで葛城王の場合には、あなたを粗略にはおもいませぬというに帰着するが、此歌はその女の即吟か、或は民謡として伝わっているのを吟誦したものか、いずれとも受取れるが、遊行女婦うかれめは作歌することが一つの款待かんたい方法であったのだから、このくらいのものは作り得たと解釈していいだろうか。この一首の言伝いいつたえが面白いので選んで置いたが、地方に出張する中央官人と、地方官と、遊行女婦とを配した短篇のような趣があって面白い歌である。伝説の文の、「右手持レ水、撃二之王膝一」につき、種々の疑問を起しているが、二つの間に休止があるので、水を持った右手で王の膝をたたくのではなかろう。「之」は助詞である。

2021年7月29日

桃の伝説「意富加牟豆美命」/折口信夫

実りの桃 夏至/07.05 上州藤岡緑埜

もも三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、しつに逃げ返りき。ここに伊耶那岐いざなぎみこと、桃の子に告りたまはく、「いまし、吾を助けしがごと、葦原の中つ國にあらゆるうつしき青人草あおひとぐさの、き瀬に落ちて、患惚たしなまむ時に助けよ」とのりたまひて、意富加牟豆美おほかむづみみことといふ名を賜ひき…

『桃の伝説』折口信夫

「桃・栗三年、柿八年、柚は九年の花盛り」といふ諺唄がある。り物の樹としては、桃は果実を結ぶのは早い方である。
一体、桃には、魔除け・悪気ばらひの力があるものと信ぜられて来てゐる。わが国古代にも、既に、此桃の神秘な力を利用した話がある。黄泉の国に愛妻を見棄てゝ、遁れ帰られたいざなぎの命、、、、、、は、後から追ひすがる黄泉醜女よもつしこめをはらふ為に、桃の実を三つとりちぎつて、待ち受けて、投げつけた。其で、悪霊から脱れる事ができたので「今、おれを助けてくれた様に、人間たちが苦瀬うきせに墜ちて悩んだ場合にも、やはりかうして助けてやつてくれ」と、桃に言ひつけて、其名として、おほかむつみの命、、、、、、、、といふのを下されたと伝へてゐる。

後世の学者は、桃の魔除けの力を、此神話並びに支那の雑書類に見えた桃のまぢっく、、、、の力から、説明しようとして居る。支那側の材料は別として、いざなぎの命、、、、、、の話が、桃に対する信仰の起原の説明にはなつて居ない。寧、当時すでに、桃のさうした偉力が認められてゐたので、其為に出来た説明神話と言ふべきものであらう。何故ならば、偶然取つて投げた木の実が、災ひを遠ざけたといふ話は、故意に、其偉力を利用してゐるからであり、魔物を却けようとする民俗と、幾足も隔つてはゐないからである。尠くとも、古事記・日本紀の原になつてゐる伝説の纏まつた時代、晩くとも奈良の都より百年二百年以前に、既に行はれてゐた民俗の起原を見せて居るに過ぎない。

何故こんな風習があるのか訣らぬ処から、此話は出来たのである。さすれば、其風習は、何時頃、何処で生れたものであらうか。国産か、舶来か。此が問題なのである。書物ばかりに信頼することの出来る人は、支那にかうした習慣が古くからある処から、支那の知識が古く書物をとほして伝はつたもの、と説明してゐるのである。又、わが国固有の風習だと信じてゐる人もあるが、何れにしても、日支両国の古代に、同じやうな民俗があつたといふことは、興味もあり、難かしい問題でもある。此場合、正しい解釈が二とほり出来るはずである。

桃並びに其に似た木の実の上に、かうした偉力を認めてゐる民族は尠くない。だから、支那と日本とで、何の申し合せもなく、偶然に一致したものと考へるのが一つ、其から今一つは、わが国の歴史家が想像してゐる以上に、支那からの帰化人の与へた影響が多かつたところにある。 其は、此までの学者が書物の上の知識を、直ぐさま民間の実用に応用する事ができもし、つても来たと考へてゐる学問上の迷信が、目を昏まして、真相を掴ませなかつたのであるが、たくさんの帰化人の携へて来たものは、単に、文化的な物質や有効な知識ばかりではなかつた。其故土で信じ、行ひして来た固有の風俗・習慣・信仰をも其まゝ将来して来た。彼等の帰化の為方が、個人帰化ではなく、団体帰化として、全村の民が帰化したといふ様な場合が多かつたのであるから、彼等は憚る処なく、其民俗を行ひ、信じてゐた事が考へられる。文化の進んだ帰化人の間の民俗が、はいから、、、、きの民衆の模倣を促さずに居る筈はない。

支那並びに朝鮮に行はれてゐた道教では、桃の実を尊ぶことが非常である。知らぬ人もない西王母は道教の上の神で、彼の東方朔が盗み食ひをしたといふ三千年の桃の実を持つてゐたのである。かうした桃の神秘の力を信ずる宗教をもつ人々が、支那或は朝鮮から群をなして渡来し、其行ふところを、進歩した珍らしい風習として、まねる事が流行したとすれば、我々が考へるよりも根深く、ひろく行はれ亘つたものと思はれる。

古事記・日本紀にある話が、全然、神代の実録だ、といふやうなことは考へられないのであるから、此話が、人皇の代になつてから這入つて来た、舶来の民俗を説明してゐるものだ、といふことの出来ない訣はない。だから、右の神話は国産、民俗は古渡りの物というてもよろしからう。今日のところでは、此以上の説明はできないと思ふ。
何はしかれ、千五百年、或は二千年も前から、此桃の偉力は信ぜられてゐた。桃の果実が女性の生殖器に似てゐるところから、生殖器の偉力を以て、悪魔はらひをしたのだといふ考へは、此民俗の起原を説明する重要な一个条であらう。桃に限らず、他の木の実でも、又は植物の花にすら、生殖器類似のものがあれば、それを以て魔除けに利用する例はたくさんある。あの五月の端午の菖蒲のごときも、あやめ、、、しやが、、、かきつばた、、、、、など一類の花を、女精のしむぼる、、、、としてゐるのから見ても知れよう。
なほ一个条を加へるならば、初めに言うた、桃の実りの速かなことも、此民俗を生み出す原因になつたであらう。 桃といふ語は、類例から推して来ると「もも」の二番目の「も」字は、実の意味である。木の実の名称に行の音が多く附いてゐるのは、此わけである。単に、日本の言葉ばかりから、桃の民俗を説明するならば、桃と股、桃と百などいふ類音から説明はつくであらうが、同様の民俗をもつてゐるたくさんの民族があるとすれば、同じ言語の上の事実がなければ、完全な説明とはならぬのである。我が国の桃には、実りの多い処から出たといふ「百」からする説明もあるが、此はやはり、多産力の方面から見れば、此民俗の起原の説明にはなるだらう。

人間以外に偉力あるもの、其が人間に働きかける力が善であつても、悪であつても、人力を超越してゐる場合には、我々の祖先は、此に神と名を与へた。猛獣・毒蛇の類も、神と言ひ馴らしてゐる。山川・草木・岩石の類も亦神名を負うたものが多い。桃がおほかむつみ、、、、、、といふ神であるのも不思議はない。神名があるからとて、神代にこの事実があつたらう、といふ様な議論は問題にならない。

さて、桃太郎の話である。話が今の形の骨組みに纏まつたのは、恐らく、室町時代のことであらう。併し、其種は古くからあるのである。われわれの神話・伝説・童話は書物から書物へ伝はつて、最後に、人の口に行はれるといふやうな考へ方は無意味である。書物は、全部のうちの一斑をも伝へて居ないのである。併しながら、古代の話は、書物から採集する他はないので、同じく書物をとり入れるにしても、其用心は必要である。
聖徳太子と相並んで、日本の民間芸術の始めての着手者と考へられて来たはた河勝かわかつは、伝説的に潤色せられたところの多い人である。昔、三輪川を流れ下つた甕をあけてみると、中から子どもが出た。成長したのが右の河勝であると言はれてゐる。此話の種は近世のものではない。秦氏が帰化人であるごとく、話の根本も舶来種である。われわれの祖先の頭には、支那も朝鮮も、口でこそもろこしと言ひ、からから国、、、は古くは、朝鮮に限つてゐた)というて区別はしてゐるけれど、海の彼方の国といふ点で、ごつちや、、、、にしてゐた跡はたくさんに見える。支那から来たものとせられてゐる秦氏に、此河勝の出生譚があるところから見ると、秦氏の故郷の考へに、一つの問題が起る。

一体、朝鮮の神話の上の帝王の出生を説くものには、卵から出たものとする話が多い。其中には、河勝同然水に漂流した卵から生れたとするものもある。竹のの中にゐた赫耶かぐや姫と、朝鮮の卵から出た王達きんたちとを並べて、河勝にひき較べてみると、却つて、外国の卵の話の方に近づいてゐる。此は恐らく、秦氏が伝へた混血種あいのこだねの伝説であらうが、同じく桃太郎も、赫耶姫よりは河勝に似、或点却つて卵の王に似てゐる。
思ふに、桃太郎の話には、尚、菓物から生れた多くの類話があるに違ひない。奥州に行はれてゐる、瓜から生れた瓜子姫子などゝ、出生の手続きは似てゐる。桃太郎・瓜子姫子間に出生の後先きをつけるわけにはいかないが、話としては、瓜子姫子の方が単純である。ともかくも、甕から出た河勝と桃太郎・瓜子姫子との間には、書物だけでは訣らない、長く久しい血筋の続きあひがあるに違ひない。

海又は川の水に漂うて神の寄り来る話は、各地の社に其創建の縁起として、数限りなく伝へられてゐる。古書類にも同型の伝説が、沢山見えてゐるのみならず、今も、祭礼の度毎に海から神の寄り来給ふ、と信じてゐる社さへある。
遥かな水の彼方なる神の国から神が寄り来ると言ふ事を、誕生したばかりの小さな神が舟に乗つて流れつく、といふ風に考へてゐる人々もある。北欧洲の海岸の民どもが、其である。記・紀で見ても、蛭子ひるこノ命の話は、此筋を引くものであり、同様に、すくなひこなの神、、、、、、、、も、誕生した神と云ふべきが脱して伝はつたもの、と考へる事が出来る。
水のまにまに寄り来る物の中から、神が誕生すると言ふ形式が、我が国にも固有せられてゐて、或英雄神の出生譚となり、世降つて桃から生れた桃太郎とまでなり下りはしたが、人力を超越した鬼退治の力を持つて、生れたと言ふ処から見ても、桃太郎以前は神であつた事が知れよう。
桃太郎が成長して、鬼个島を征伐するやうになつてからの名を、百合若大臣だといふのが、其昔、鬼个島であつた、と自認してゐる壱岐の島人の間に伝はる話である。何故、桃太郎が甕からも瓜からも、乃至は卵からも出ないで、桃から出たか。其は恐らく、だんだん語りつたへられてゐる間に、桃から生れた人とするのが一番適当だ、といふ事情に左右せられて、さうなつたものと思はれる。聯想は、無限に伝説を伸すものである。

2021年7月26日

上溝桜に鵯と雲と/07.25 かたくりの里

ウワミズザクラ 大暑/07.25 小串「かたくりの里」 ウワミズザクラ 大暑/07.25 小串「かたくりの里」 ウワミズザクラ 大暑/07.25 小串「かたくりの里」

GKZ植物辞典上溝桜ウワミズザクラの古名は波波加ハハカと。古事記だったか… 太占「ふとまに」もリンクじゃ

天の岩戸『古事記』上巻

 ここに速須佐の男の命、天照らす大御神に白したまひしく、「我が心清明あかければ我が生める子手弱女たわやめを得つ。これに因りて言はば、おのづから我勝ちぬ」といひて、勝さびに天照らす大御神の營田みつくた離ち、その溝み、またその大にへ聞しめす殿にくそまり散らしき。かれ然すれども、天照らす大御神は咎めずて告りたまはく、「くそなすはひて吐き散らすとこそ我が汝兄なせの命かくしつれ。また田の離ち溝むは、ところあたらしとこそ我が汝兄なせの命かくしつれ」と詔り直したまへども、なほそのあらぶるわざ止まずてうたてあり。天照らす大御神の忌服屋いみはたやにましまして神御衣かむみそ織らしめたまふ時に、その服屋はたやむねを穿ちて、天の斑馬むちこま逆剥さかはぎに剥ぎて墮し入るる時に、天の衣織女みそおりめ見驚きて陰上ほとを衝きて死にき。かれここに天照らす大御神かしこみて、天の石屋戸いはやどを開きてさしこもりましき。ここに高天たかまの原皆暗く、葦原あしはらの中つ國悉に闇し。これに因りて、常夜とこよ往く。ここによろづの神のおとなひは、さばへなす滿ち、萬のわざはひ悉におこりき。ここを以ちて八百萬の神、天の安の河原に神集かむつどつどひて、高御産巣日たかみむすびの神の子思金おもひがねの神に思はしめて、常世とこよ長鳴ながなき鳥をつどへて鳴かしめて、天の安の河の河上の天の堅石かたしはを取り、天の金山かなやままがねを取りて、鍛人かぬち天津麻羅あまつまらぎて、伊斯許理度賣いしこりどめの命におほせて、鏡を作らしめ、玉のおやの命に科せて八尺のまが璁の五百津いほつ御統みすまるの珠を作らしめて天の兒屋こやねの命布刀玉ふとだまの命をびて、天の香山かぐやま眞男鹿さをしかの肩を内拔うつぬきに拔きて、天の香山の天の波波迦ははかを取りて、占合うらへまかなはしめて、天の香山の五百津の眞賢木まさかき根掘ねこじにこじて、上枝ほつえに八尺の勾璁の五百津の御統の玉を取りけ、中つ枝に八尺やたの鏡を取りけ、下枝しづえ白和幣しろにぎて青和幣あをにぎてを取りでて、この種種くさぐさの物は、布刀玉の命太御幣ふとみてぐらと取り持ちて、天の兒屋の命太祝詞ふとのりと言祷ことほぎ白して、天の手力男たぢからをの神、戸のわきに隱り立ちて、天の宇受賣うずめの命、天の香山の天の日影ひかげ手次たすきけて、天の眞拆まさきかづらとして、天の香山の小竹葉ささば手草たぐさに結ひて、天の石屋戸いはやど覆槽うけ伏せて蹈みとどろこし、神懸かむがかりして胷乳むなちを掛き出で、ひもほとに押し垂りき。ここに高天の原とよみて八百萬の神共にわらひき。

 ここに天照らす大御神あやしとおもほして、天の石屋戸をほそめに開きて内よりりたまはく、「こもりますに因りて、天の原おのづからくらく、葦原の中つ國も皆闇けむと思ふを、なにとかも天の宇受賣うずめあそびし、また八百萬の神もろもろわらふ」とのりたまひき。ここに天の宇受賣白さく、「汝命いましみことまさりてたふとき神いますが故に、歡喜よろこわらあそぶ」と白しき。かく言ふ間に、天の兒屋の命、布刀玉の命、その鏡をさし出でて、天照らす大御神に見せまつる時に、天照らす大御神いよよあやしと思ほして、やや戸より出でて臨みます時に、そのかくり立てる手力男の神、その御手を取りて引き出だしまつりき。すなはち布刀玉の命、尻久米しりくめ繩をその御後方みしりへき度して白さく、「ここより内にな還り入りたまひそ」とまをしき。かれ天照らす大御神の出でます時に、高天の原と葦原の中つ國とおのづから照り明りき。ここに八百萬の神共にはかりて、速須佐の男の命に千座ちくら置戸おきどを負せ、またひげと手足の爪とを切り、祓へしめて、神逐かむやらひ逐ひき。

アキノタムラソウ/07.25 牛伏山

アキノタムラソウ「秋の田村草」 大暑/07.25 上州吉井牛伏山 アキノタムラソウ「秋の田村草」 大暑/07.25 上州吉井牛伏山 アキノタムラソウ「秋の田村草」 大暑/07.25 上州吉井牛伏山

入野のため池で 25日にパチリしたアキノタムラソウ「秋の田村草」です。あと、ノアザミや塩辛トンボも撮ってます。時間をつくってあげるとさ…(^┬^)

万葉集 14/3403 東歌 相聞 上野國歌
吾が恋はまさかもかなし草枕多胡たご入野いりのの奥もかなしも

2021年7月24日

ヤマユリ/07.18

ヤマユリ 小暑/07.18 上州藤岡下日野 ヤマユリ 小暑/07.18 上州藤岡下日野 ヤマユリ 小暑/07.18 上州藤岡下日野

ヤマユリ『植物一日一題』牧野富太郎

 関西各地に多いササユリ(Lilium Makinoi Koidz)にも昔からヤマユリの一名があるが、今日普通に世人のいっているヤマユリは関東地方に多いユリであって、Lilium auratum Lindlの学名を有する。花は七、八月頃にひらき大形で香気多く、白色で花蓋片の中央部に黄を帯び紫褐点のあるのが普通品であるが、また紅色を帯ぶるものもある。そしてその色の濃い品を特にベニスジと称して珍重する。

 このユリの鱗茎、すなわち俗にいうユリ根は食用によろしい。ゆえに昔から関西各地では特に料理ユリの名がある。またさらに吉野ユリ、宝来寺ユリ、多武タブミネユリ、叡山ユリの名もある。また浮島ユリとも箱根ユリともいわれる。

 徳川時代にはこのユリをヤマユリの名では呼んでいなかったが、後ちこのヤマユリの名が段々東京を中心としてひろがって、普通一般の呼び名になったのは明治以降のことに属する。今日の人々はなにかと言えば直ぐヤマユリを持ち出すけれど、このヤマユリの名は近代において普通に幅を利かすようになったものである。それ以前は前記の通り料理ユリなどの名で呼んでいたのである。また徳川時代に出版になった『訓蒙図彙きんもうずい』や『絵本野山草えほんのやまぐさ』などにはオニユリ「巻丹」、ヒメユリ「山丹」、スカシユリ、カノコユリなどはあっても右のヤマユリの図は出ていない。

 このヤマユリは万葉歌とは全く関係はない。万葉歌と縁のあるものは主としてササユリ、オニユリ、ヒメユリである。多分コオニユリも見逃されないものであろう。
 ヤマユリは日本の特産で無論中国にはないから、昔の日本の学者がいうようにこれを天香百合とするのはもとよりあたっていない。

 

2021年7月22日

積乱雲/07.22

積乱雲 大暑/07.22 15:47 上州藤岡

今日から大暑。ちょいとコンビニまで… たら積乱雲が湧き出してました

アオモンイトトンボ/07.21

アオモンイトトンボ「青紋糸トンボ」 小暑/07.21 上州藤岡緑埜

海の日で4連休の初日みたい。で、今日から大暑。ちょちょいで出てきたら御荷鉾山に積乱雲が湧いてました。ならばと、パチってツイートし「イマソラ」で貼っときました。貼りたいのがいくつかあるんだけど、昨日の青紋糸トンボを単貼りしといて残りはそのうちに… (;´・`)>

2021年7月21日

月に叢雲/07.20

水無月十一日の月 小暑/07.20 23:35 上州藤岡 水無月十一日の月 小暑/07.20 23:35 上州藤岡 水無月十一日の月 小暑/07.20 23:35 上州藤岡

晴れの35℃ 予報。これで3日連続の猛暑日。コッテリ系を食べて体力維持せねばと出てきました。が、混んでるようなんで、うどんにしちゃいました。で、コンビニでペットボトル珈琲。ついでに昨夜の月をブログったんだけど入力に手間どって、もう小一時間… しょうがない入道雲でもパチリつつ帰るかな (°-°;

2021年7月20日

ヤマユリ/07.19 上州吉井小串

ヤマユリ 小暑/07.19 上州吉井小串 ヤマユリ 小暑/07.19 上州吉井小串 ヤマユリ 小暑/07.19 上州吉井小串

2日連続の猛暑日です。19日のヤマユリ (◯^o^◯)

ヤマユリ/07.18 上州吉井多比良

ヤマユリ 小暑/07.18 上州吉井多比良

今日「2021.07.20」も35℃を突破し2日連続で猛暑日…(。>_<。)
外出なしで喰っちゃ寝ばしとりました。でね、このところヤマユリやタマゴタケなどを撮ってます。が、なんかツイートする気にならずに画像倉庫に入れたまま… 出撃まで時間があります。多比良の林縁で撮ったヤマユリを単貼りしときます (^-^)