みかぼ森林公園で鳥兜や人字草など70ショットし御荷鉾林道を愛宕山まで下りました。で、大文字草や小塩竈など60ショット。御荷鉾林道に戻って雨降山まで下り曙草を20ショットし夜沢から三波川へと走りました。たら、後の月が昇ってました。満月にはあと2日。満ち足りないけど味わい深い秋の月です (^-^)
2024年10月18日
2024年9月10日
金鑽神社多宝塔
曇りの34℃予報でした。で、数シーズン前に高野箒をパチった憶えがある金鑚神社に行ってきました。が、着いたら下草刈りの真っ最中です。高野箒は諦めて彩香橋の駐車場に入れ多宝塔をパシャリ。拝殿をパシャリ。石仏群まで歩くかと摂社群前を歩いていたら、なんと晴れてきました。30℃越えしてて湿気多めの山歩き、しかも直射日光つき… そく引き返してきました (^_^;
拝殿の脇に稲束が吊り下げてありました。なんか、壱等 吉田林 山下xx、弐等 今井 岡芹xx、三等 池田 野村xx… てな感じで、等級、地名、姓名を書いた紙が付いてます。もう早稲の刈り入れは終わってます。等級審査結果を兼ねた稲束の奉納だったかもしれません (^-^)
官民グルになっての米ころがし。パックライスで凌いでいたらパックライスも品薄。蕎麦と素麺の乾麺生活です。それに胡瓜も高い。まぁ、新米の値上がり分が生産者にわたるのなら諦めもつくけど…
2024年9月4日
2024年9月2日
2024年8月31日
風に雲に青い空/8.26
巻三 夏歌 みな月のつこもりの日よめる
168 夏と秋と行きかふそらの通路はかたへすゞしき風やふくらん
凡河内躬恒
巻四 秋歌 秋立つ日よめる
169 秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
藤原敏行朝臣
以下、31日:13時のウェザーニュースのリンクです。台風10号は紀伊半島付近へ停滞する可能性 近畿や東海で大雨災害に警戒。最高気温は31℃。最新見解に「強まる雨に注意、一時的に降り方が強まって雷を伴う可能性があり、激しい雨になるおそれもあります」とか。
で、今日は雑節の二百十日です。農家にとって稲が開花する大事な時期です。が、同時に農作物が台風の被害を受けやすい時期です。古来よりの厄日ですね。がね、出撃ばい。└(T_T;)┘
2024年8月30日
芒と藪蔓小豆と大犬蓼と/8.26
風待ちしながらススキの青空併せを数ショットしました。で、ヤブツルアズキが絡んでいたんで花を探しました。おっ、いたいたとパチリ。このお方、野小豆とよく似ていて、花だけでは見分けられません。が、実ができれば容易に見分けられます。そん時にまたあげます (^-^)
オオイヌタデが群生していました。白花が多いしイヌタデより草丈があるんでヒキなら見分けられます。花穂が短くて真っ直ぐなイヌタデ。花穂が垂れ下がるオオイヌタデ、てな見分け方もあります。
あと、野に逃げたオオケタデも見かけます。鮮やかな花色を頼りに見分けています。もう、イヌタデもオオケタデも始まってますね。で、托葉鞘を視ておこうと湿地に踏み込んだらオオイヌタデの葉でアマガエルが寛いでいました。て、托葉鞘はよく見えません (°_。)ズリ
2024年8月28日
栗に蜻蛉に虫の声/8.26
台風10号の影響か降ったり止んだりで最高気温は29℃でした。と言っても粘りつくような湿気です。気温だけは処暑だけど… 26日のパチリから3枚です。
笹川沿いをブラリしてました。芒や蒲を撮ってたら真っ赤なトンボが飛んでました。とまった瞬間をテレ端でパシャリ。やっぱり猩々トンボでした。たらね、虫の音が聴こえてきました。姿は見えないけど音だけ録ってきました。どうもコオロギのようです。
セイバンモロコシ「西蛮蜀黍」は用水路脇です。近くで見ようと水路を跨いだらこのお方が飛び出してきました。殿様ガエルに見えたんだけど達磨ガエルかも知れません (^-^)
2024年8月25日
たまきはる宇智の大野に馬並めて/万葉秀歌
巻一 天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌
3 八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執能 梓弓之 奈加弭乃 音為奈里
返 歌
4
玉尅春 内乃大野尓
馬數而 朝布麻須等六 其草深野
たまきはる宇智の大野に
馬並めて朝踏ますらむその草深野
ーー O - O --
舒明天皇が、宇智野、即ち大和宇智郡の野(今の五条町の南、阪合部村)に遊猟したもうた時、中皇命が間人連老をして献らしめた長歌の反歌である。中皇命は未詳だが、賀茂真淵は荷田春満の説に拠り、「皇」の下に「女」を補って、「中皇女命」と訓み、舒明天皇の皇女で、のち、孝徳天皇の后に立ちたもうた間人皇后だとし、喜田博士は皇后で後天皇になられた御方だとしたから、此処では皇極(斉明)天皇に当らせられる。即ち前説に拠れば舒明の皇女、後説に拠れば舒明の皇后ということになる。間人連老は孝徳天皇紀白雉五年二月遣唐使の判官に「間人連老」とあるその人であろう。次に作者は中皇命か間人連老か両説あるが、これは中皇命の御歌であろう。縦しんば間人連老の作という仮定をゆるすとしても中皇命の御心を以て作ったということになる。間人連老の作だとする説は、題詞に「御歌」となくしてただ「歌」とあるがためだというのであるが、これは編輯当時既に「御」を脱していたのであろう。考に、「御字を補ひつ」と云ったのは恣に過ぎた観があっても或は真相を伝えたものかも知れない。「中大兄三山歌」(巻一・一三)でも「御」の字が無い。然るにこの三山歌は目録には「中大兄三山御歌」と「御」が入っているに就き、代匠記には「中大兄ハ天智天皇ナレバ尊トカ皇子トカ有ヌベキニヤ。傍例ニヨルニ尤有ベシ。三山ノ下ニ目録ニハ御ノ字アリ。脱セルカ」と云っている如く、古くから本文に「御」字の無い例がある。そして、「万葉集はその原本の儘に伝はり、改刪を経ざるものなるを思ふべし」(講義)を顧慮すると、目録の方の「御」は目録作製の時につけたものとも取れる。なお、この「御字」につき、「御字なきは転写のとき脱せる歟。但天皇に献り給ふ故に、献御歌とはかゝざる歟なるべし」(僻案抄)、「御歌としるさざるは、此は天皇に対し奉る所なるから、殊更に御ノ字をばかゝざりしならんか」(美夫君志)等の説をも参考とすることが出来る。
それから、攷證で、「この歌もし中皇命の御歌ならば、そを奉らせ給ふを取次せし人の名を、ことさらにかくべきよしなきをや」と云って、間人連老の作だという説に賛成しているが、これも、老が普通の使者でなくもっと中皇命との関係の深いことを示すので、特にその名を書いたと見れば解釈がつき、必ずしも作者とせずとも済むのである。考の別記に、「御歌を奉らせ給ふも老は御乳母の子などにて御睦き故としらる」とあるのは、事実は問わずとも、その思考の方嚮には間違は無かろうとおもう。諸注のうち、二説の分布状態は次の如くである。中皇命作説(僻案抄・考・略解・燈・檜嬬手・美夫君志・左千夫新釈・講義)、間人連老作説(拾穂抄・代匠記・古義・攷證・新講・新解・評釈)。「たまきはる」は命、内、代等にかかる枕詞であるが諸説があって未詳である。仙覚・契沖・真淵らの霊極の説、即ち、「タマシヒノキハマル内の命」の意とする説は余り有力でないようだが、つまりは其処に落着くのではなかろうか。なお宣長の「あら玉来経る」説、即ち年月の経過する現という意。久老の「程来経る」説。雅澄の「手纏き佩く」説等がある。宇智と内と同音だからそう用いた。
一首の意は、今ごろは、〔たまきはる〕(枕詞)宇智の大きい野に沢山の馬をならべて朝の御猟をしたまい、その朝草を踏み走らせあそばすでしょう。露の一ぱいおいた草深い野が目に見えるようでございます、という程の御歌である。代匠記に、「草深キ野ニハ鹿ヤ鳥ナドノ多ケレバ、宇智野ヲホメテ再云也」。古義に、「けふの御かり御獲物多くして御興尽ざるべしとおぼしやりたるよしなり」とある。
作者が皇女でも皇后でも、天皇のうえをおもいたもうて、その遊猟の有様に聯想し、それを祝福する御心持が一首の響に滲透している。決して代作態度のよそよそしいものではない。そこで代作説に賛成する古義でも、「此題詞のこゝろは、契沖も云るごとく、中皇女のおほせによりて間人連老が作てたてまつれるなるべし。されど意はなほ皇女の御意を承りて、天皇に聞えあげたるなるべし」と云っているのは、この歌の調べに云うに云われぬ愛情の響があるためで、古義は理論の上では間人連老の作だとしても、鑑賞の上では、皇女の御意云々を否定し得ないのである。此一事軽々に看過してはならない。それから、この歌はどういう形式によって献られたかというに、「皇女のよみ給ひし御歌を老に口誦して父天皇の御前にて歌はしめ給ふ也」(檜嬬手)というのが真に近いであろう。
一首は、豊腴にして荘潔、些の渋滞なくその歌調を完うして、日本古語の優秀な特色が隈なくこの一首に出ているとおもわれるほどである。句割れなどいうものは一つもなく、第三句で「て」を置いたかとおもうと、第四句で、「朝踏ますらむ」と流動的に据えて、小休止となり、結句で二たび起して重厚荘潔なる名詞止にしている。この名詞の結句にふかい感情がこもり余響が長いのである。作歌当時は言語が極めて容易に自然にこだわりなく運ばれたとおもうが、後代の私等には驚くべき力量として迫って来るし、「その」などという続けざまでも言語の妙いうべからざるものがある。長歌といいこの反歌といい、万葉集中最高峰の一つとして敬うべく尊むべきものだとおもうのである。
この長歌は、「やすみしし吾大王の、朝にはとり撫でたまひ、夕にはい倚り立たしし、御執らしの梓弓の、長弭(中弭)の音すなり、朝猟に今立たすらし、暮猟に今立たすらし、御執らしの梓弓の、長弭(中弭)の音すなり」(巻一・三)というのである。これも流動声調で、繰返しによって進行せしめている点は驚くべきほど優秀である。朝猟夕猟と云ったのは、声調のためであるが、実は、朝猟も夕猟もその時なされたと解することも出来るし、支那の古詩にもこの朝猟夕猟と続けた例がある。梓弓はアヅサユミノと六音で読む説が有力だが、「安都佐能由美乃」(巻十四・三五六七)によって、アヅサノユミノと訓んだ。その方が口調がよいからである。なお参考歌には、天武天皇御製に、「その雪の時なきが如、その雨の間なきが如、隈もおちず思ひつつぞ来る、その山道を」(巻一・二五)がある。なお山部赤人の歌に、「朝猟に鹿猪履み起し、夕狩に鳥ふみ立て、馬並めて御猟ぞ立たす、春の茂野に」(巻六・九二六)がある。赤人のには此歌の影響があるらしい。「馬なめて」もよい句で、「友なめて遊ばむものを、馬なめて往かまし里を」(巻六・九四八)という用例もある。
2024年8月20日
2024年8月16日
赤とんぼ/08.15
昨日(8.15)です。盛りの狐の剃刀を撮ろうと小串に往きました。がね、実に変った花が多くて花盛りは過ぎていました。
姥百合も殆どが果実に変わっていたけど果実の先に赤とんぼが止まっています。チャンスとテレ端でパシャリ。アキアカネか、ナツアカネか、どちらかだと思います。
で、いきもの通信 vol,425 アキアカネとナツアカネの判別方法を熟読しました。でね、たぶんだけどナツアカネかと思いました。
書き忘れたけど猛暑日でした。小串から葛花を見ながら関越高速道の側道を往きました。荒船山の見える木陰でひと休み。たら、積乱雲が湧いてましたとさ。暑い、暑い (;´・`)> ふぅ
2024年8月15日
2024年8月12日
月にヒマワリ積乱雲/08.12
陰暦七月九日の月 08.12 17:31 上州藤岡本郷
休日ですが38℃と厳しい残暑でした。17時ころに風を感じ、それに陽射しも弱くなりました。で、夕涼みに出ました…
向日葵の近くに車を停めました。カメラを首から吊り下げぶらぶらと… で、下りてきた月を見つけました。まだ、高すぎるか… 向日葵に近づいて見上げ構図でパシャリと。が、小さすぎて月だか雲だか見分けがつきません
ならと、テレ端で月を狙いました。オートじゃ合焦しません。かと言って三脚なしのマニュアルでは無謀です。結局、アマピンの月をあげちゃいました。朔望表には明日(8.13 0:18)なら上弦の月とありました
神流川のカジノキを見ておこうとふり返ったら住宅の上に積乱雲が湧いてます。テレ端でパシャリ。ワイド端でもパシャリ。ふんで、藤武橋を渡って武州上里へ…(続く)
夕陽が雲に/08.12
夕陽が雲に 08.12 立秋 武州上里神流川
カジノキを照らしていた夕陽が雲に沈みました。秋の夕暮れてな感じでした。で、穀雨にカジノキの雌花をパチった河川敷に往きました。
雄花が遠いせいか梶の木の実はまだ未熟で青々としていました。文月九日の月と併せて数ショット。たら、つくつく法師が鳴きだしました。で、動画にしてみたんだけど…
しょうがないんで動画から音を取り出しブラウザで再生することにしました。なんか、それっぽい音がしてますだ。
2024年8月11日
言挙げせぬ国/巻13 3253, 3254
柿本朝臣人麻呂歌集歌曰 3253, 3254
葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国しかれども…
柿本朝臣人麻呂歌集の歌に曰はく
3253 葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙せぬ国 然れども 言挙ぞ吾がする 事幸く 真幸くませと 恙なく 幸くいまさば 荒礒波 ありても見むと 百重波 千重波しきに 言挙すわれは 言挙すわれは
葦原 水穂國者 神在随 事擧不為國 雖然 辞擧叙吾為 言幸 真福座跡 恙無 福座者 荒礒浪 有毛見登 百重波 千重浪尓敷 言上為吾 言上為吾
反 歌
3254 磯城島の大和の国は 言霊の助くる国ぞ ま幸くありこそ
志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具
2024年8月10日
立秋の竹沼/08.07
雲の切れ間 08.07/2024 立秋 上州藤岡
古今集 巻四 秋上 169 秋立つ日よめる 藤原敏行朝臣
あききぬと めにはさやかに 見えねとも
風のおとにそ おとろかれぬる
秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞ驚かれぬる
秋が来たということは目に見える景色からは分からないが風の音には、はっとせずにいられなかった。
二十四節気は立秋です。風の音を聞こうと下日野まで往き山萩を見てきました。が、山萩も筑紫萩もまだまだでした。ふんでも名しらずの萩の花や薄羽黄トンボなどと逢えたんで、たぬき垢へポストしました。
コンビニに寄ったら雨雲で呑まれそうな空でした。が、降ってこないさ、と竹沼まで走りました。7月31日に転落事故が…
立秋の夕暮れどきです。猫、黄葉の桜、油蝉、夕菅をパチリ。最後は夕焼雲でした。
夏と秋と 行きかふ空の 通ひ路は かたへ涼しき 風やふくらむ by 凡河内窮恒
2024年7月22日
キハギ/2022.09.03
キハギ「木萩」09.03/2022 処暑 上州藤岡緑埜
山萩、筑紫萩、丸葉萩とUPしました。木萩もいきます。 植物図鑑:ハギ属に、ヤマハギ節植物は8種「ヤマハギ、マルバハギ、クロバナキハギ、ツクシハギ、ビッチュウヤマハギ、ケハギ、キハギ、チョウセンキハギ」が野生する。ほかに栽培品種のミヤギノハギ、ニシキハギ、シラハギなどがある、とあります。黒花木萩、備中山萩、毛萩はまだ逢えてません。朝鮮木萩らしき花はよく見ています。宮城野萩、錦萩、白萩などの栽培品種も見ています、たぶん(^┬^;
キハギ「木萩」は本州、四国、九州に分布するマメ科ハギ属の落葉低木で花期は6月~9月のようです。
6月には毛萩系の園芸種や唐駒繋に混じって持ち込まれたと想っている朝鮮木萩らしき萩の花も咲く狸ん家です。唐駒繋を見ると、そろそろキハギが咲くかなと林縁を注視して歩いてます。
花は色違いの筑紫萩のような感じで狸好みのキハギです。いっぱい撮ってるんだけど、なぜか初ブロク… (^-^)
08.11/2024:ヤマハギ節を読み直しました。16 ツクシハギ —ハギ属(マメ科)の分類—
2024年7月21日
マルバハギ/2013.09.14
マルバハギ「丸葉萩」09.14/2013 白露 上州藤岡緑埜
また晴れのち曇りと午後になって陰ってきました。ただ、昼過ぎに28.7℃を記録していて暑いですだ。で、昨日は筑紫萩をアップしました。今日はマルバハギでいきます。パチリは9月14日の緑埜です。狸ん家だと山萩やマルバハギはもう終わっちゃってますだ。(ρ_;) シクシク
マルバハギ「丸葉萩」は本州、四国、九州に分布しているマメ科ハギ属の落葉低木で、里山や日あたりのよい尾根筋などで見かける山の花です。花期は8月-10月のようです。
花序があまり伸びないので葉の上に花が乗っているかのように見えるマルバハギです。旗弁と側弁が同色なのは山萩と同じですが、花の感じはだいぶ違います。おにぎり型に見える旗弁が竜骨弁よりも目立っていて、側弁が旗弁よりも長い花が普通です。サムネイルにそんなのを貼っときました (=^_^=) ヘヘヘ
ツクシハギ/2012.09.08
ツクシハギ「筑紫萩」09.08/2012 白露 上州藤岡
秋めいてきました。早起きしたんですが雨だったんで二度寝しちゃいました。が、なんとか10時頃に目覚めてパチリに出ました。もち、萩の花狙いです。て、雨の日曜日に撮った萩のなかに、山萩かツクシハギか、はっきりしない花が混ざっとりました。山萩だと9月初旬から咲いて、ツクシハギだと中旬から咲く、と憶えとる狸です。もし、ツクシハギなら山萩と同じ時季から咲くことになります。野の花暦を意図してペッタンしとるんで影響大です。ふんなことだったんですが、その花、やっぱり山萩でした。がね、ちょっぴり移動したら咲き始めのツクシハギに会えましたよ。 ( ̄^ ̄)えっへん
ツクシハギ(筑紫萩)は本州、四国、九州に分布しているマメ科ハギ属の落葉低木で日当たりのよい山地などで見かけます。花期は7月-10月で秋の花です。山萩とよく似ています。以下に同定ポイントをメモしときます。
葉は3出複葉で互生し縁は全縁です。先がわずかに凹んでいるのをよく見ます。葉よりやや長い総状花序をだして花をまばらにつけ、翼弁は赤紫色で旗弁の色は翼弁より淡いのが普通です。同色が普通な山萩と見分けるポイントのひとつです。竜骨弁の先端は濃紫色で翼弁よりやや長いようです。
萩の花は萼の形が見分けのポイントと物臭狸から教わりました。ツクシハギだと浅く5裂して先端は尖りません。ここだけでも山萩と見分けられます。日曜日は雨で撮ってなかったんで今日は萼を観察してきて山萩としました。そのうちにアップします (^-^)
2024年7月19日
ヤマハギ/2010.09.05
ヤマハギ「山萩」09.05/2010 処暑 上州藤岡下日野箕輪
2010/09/06日はまた猛暑日でした。土曜・日曜と萩の花をパチリしてきました。山萩の後ろに陽射しがありバックライトを使ったかのように写っているのをトップに単貼りしました。あっ、日曜日に箕輪の林縁で咲いてたヤマハギです (^-^)
狸ん家にはヤマハギも筑紫萩も普通に生えているようです。が、30年ほど前に書かれた植物分布リストに筑紫萩は載っていません。で、考えられるのは山萩と筑紫萩は同一種とされていたのかもしれません。なんてぇふうに思うくらいよく似ています。花序の長さや、竜骨弁と翼弁の長さなんかが違うようなんですが、よく判りません。もっとも、載っていないのは、単純な記載漏れだったのかもしれませんけどね。まっ、どっちにしても小さい花です。切り抜いたのをサムネイルにし裏に原寸サイズを貼っときました。ヤマハギってこんな感じでしたよね (^-^)