2013年7月28日

タマゴタケ

タマゴタケ

去年は卵茸と香茸をアップしたくらいで、キノコは、ほとんど撮っていません。7月6日と梅雨明けが早かったせいか、このところブラパチに行くたびにキノコと遇います。で、撮ってみると、なかなかのモデルさんのようで、美しいキノコをおおく見ます。ただ、名が判らなくて整理できません。で、まぁ、ブログに貼っておいて、おいおい名を調べていくことにしました。ちゅうても初回は名を知ってるタマゴタケです。もう、金井でも、多比良でも、牛伏山でも見とります。何枚か貼りつつ、同定ポイントなどをメモしときます。

タマゴタケ タマゴタケ(卵茸)はテングタケ科テングタケ属で、夏から秋に雑木林の地上などに発生するようです。同属には猛毒ご三家(毒鶴茸、白卵天狗茸、卵天狗茸)てぇ物騒な輩がいます。がね、タマゴタケに中毒例はなく、安心して食べられるとか。

傘の周縁部には溝状のスジ。裏のヒダは濃い黄色で、茎に離生し、やや密。茎の表面は黄色と橙黄色のだんだら模様で、上部に膜質の黄色いツバがある。根もとは白くて厚い大型のツボで包まれる。中型~大型の食菌 (°・°* ジー

掘り穴の縁に出ていたんで、普段は撮りづらいヒダが、この日はすんなりと撮れました。で、茎に離生、やや密、てぇのを憶えました。写真は表と裏が15日の金井で、ほかは20日の多比良です。去年は大胆に "採集しやすくて美味しいキノコ" と書きました。今も同じ思いです。ですが、じつを云うと、まだ食べたことはありません。始めの一歩が踏み出せない臆病たぬきですだ。 (^-^)

2013年6月9日

クワガタソウ 06.09 御荷鉾山

クワガタソウ クワガタソウ

3時過ぎだったでしょうか、降ってきました、待望の雨です。でね、週間天気予報だと日曜日までずらりと雨マークが並んどります。これだと麦刈りにも支障があるし、なによりパチリに行けません。せめて日曜日は晴れてほしいんですけどね。て、専業リーマンなんで麦刈りは関係ないんです。 (^^; でなんか、台風3号が接近しとるようです。去年は6月19日に台風4号に直撃された狸ん家です。2年連続して梅雨台風なんてぇのは涙もんですだ。で、クワガタソウです。

クワガタソウ クワガタソウ(鍬形草)は本州と四国に分布しているゴマノハグサ科クワガタソウ属の多年草で山地の林下などのすこし湿ったところで普通に見ます。さらに、本州の太平洋側に多く分布するとか。花期は5月-6月のようです

狸ん家だと5月の半ばを過ぎると彼方此方で見る花です。今日のクワガタソウは9日に蝦夷立浪草といっしょに撮りました。以前はよく撮っていたんですが、なんか、撮りたいと思う花が変わってきて今シーズン初でした。

ふんでクワガタソウを撮ってから赤久縄山の登山口まで走り、さらに、最後のすみれを撮るつもりで、ちょっと歩きました。標高が高い(1400mほど?)んで、6月になっても如意菫に会えるんです。

ヤマブキソウとオドリコソウ ふんなで帰ってきたんですが、里ではすっかり見なくなった踊子草が咲いとるのに気づきました。咲く時季がすみれたちと重なるんで撮ったり撮らなかったりしている花です。それに、山吹草も、いち輪咲き残っとりました。で、パチリしてサムネイルにしときました。アマピンはご容赦あれ (^-^)

2026.6.13 旧ブログより抜き書き

2013年5月27日

白花ノアザミ 05.27 緑埜

シロバナノアザミ シロバナノアザミ

なんか早々と梅雨入りしたところもあるようです。で、今日は昨日会った白花のノアザミです。まだ、今年のノアザミを一枚も貼ってませんがいっちゃいました。稀にしか会えないとされている白花のノアザミです。が、狸ん家には毎年咲くところがあるんで観察は連続してやってます。が、写真となると貼れるようなものはなかなか撮れません。

季節がすすむと野原薊をはじめとして、数種のあざみたちが咲きます。よく似ていて同定ができずに倉庫に入りっぱなしになっちゃってる花が数種あります。ですが、ノアザミなら総苞に粘りがあります。この白花ノアザミもすぐに貼るつもりだったんで、総苞をつまんで粘りを確認してきました。でね、あざみたちは縦撮りのほうが、すわりがいい感じがしますとさ (^-^)

2026.5.8 旧ブログより抜き書き

2012年8月20日

イワタバコ/山ヂサ新考

イワタバコ「岩煙草」2012.08.20 上州吉井谷不動尊 イワタバコ「岩煙草」2012.08.20 上州吉井谷不動尊 イワタバコ「岩煙草」2012.08.20 上州吉井谷不動尊 イワタバコ「岩煙草」2012.08.20 上州吉井谷不動尊

青空文庫テキスト:万葉歌の山ヂサ新考『植物記』牧野富太郎。縦書き、横スクロール (^-^)

『万葉集』巻七 1360 に左の歌がある。

氣緒尓いきのをに 念有吾乎おもへるわれを 山治左能やまぢさの 花尓香公之はなにかきみが 移奴良武うつろひぬらむ

また、同じ巻十一 2469 には次の歌がある。

山萵苣やまぢさの 白露重しらつゆおもみ 浦經うらぶれて 心深こころもふかく 吾戀不止あがこひやまず

 右二首の歌に在る山治左ならびに山萵苣すなわちヤマヂサという植物につき、まず仙覚せんがく律師の『万葉集註釈』すなわちいわゆる『仙覚しょう』の解釈を見ると

山チサトハ木也田舎人ツサキトイフコレ也

とある。このツサキはズサノキかあるいはチサノキかならんと思う。もしそれがズサノキであればこれはエゴノキ科のチサノキ(すなわちエゴノキ)を指し、もしそれがチサノキなれば同じくエゴノキのチサノキかあるいはムラサキ科のチサノキかを指しているならん。しかしクスノキ科のアブラチャンにもズサならびにヂシャの名があるから考え様によってはこの植物ではなかろうかとも想像の出来ん事はない。

 釈契沖しゃくけいちゅうの『万葉代匠記だいしょうき』には

山チサは今もちさのきと云物なり。和名集〔牧野いう、集は抄〕云、本草云、売子木(和名賀波知佐乃木)此も此木の事にや

と解し、また

山萵苣は木なるを此処に置は萵苣の名に依てか、例せば和名集〔牧野いう、集は抄〕に蕣を蓮類に入れたるが如し

とも述べている。

 橘千蔭たちばなちかげの『万葉集|略解《りゃくげ》』には

山ちさといふは木にて其葉彼ちさに似たれば山ちさといふならむ、此木花は梨のごとくて秋咲りとぞ豊後の人の言へる是なり、又和名抄本草云、売子木(賀波知佐乃木)字鏡じきょう売子木(河知左)と有りこれも相似たるものなるべし

と解釈している。

『万葉集目安補正』には

治左ヂサ 売子バイシ木といへど花の色違へり斉墩セイトンと云物当れりといへり

と記してある。この時代では斉墩をチサノキすなわちエゴノキであると信じていたからこの書の斉墩はエゴノキを指したものである。

 また売子木を『倭名類聚鈔』すなわち所謂『和名抄』に和名賀波知佐乃木(カワヂサノキ)とあるので、これを山ヂサではないかと契沖も千蔭も書いていれど、これは無論同物ではない。上に引ける『万葉集目安補正』では売子木は山ヂサとは花色が違っていると書いて山ヂサは売子木ではないとしているのは正しいのである。元来売子木とはアカネ科に属するサンダンカ(学名 Ixora chinensis Lam.)の事で一名山丹とも称し、サンダンカはこの山丹に基きそれに花を加えてそう呼んだものである。赤色の美花を攅簇して開く(故に紅繍毬あるいは珊瑚毬の名もある)熱国の常緑灌木で我が内地にはもとより産しない。この売子木を『新撰字鏡《しんせんじきょう》』で河知左(カワヂサ)とし『和名抄』で賀波知佐乃木(カワヂサノキ)としたのは無論サンダンカをいったものではなく何か別の邦産植物をててかく称えたものだろうが、それが果して何を指したものだかその的物は今日一向に捕捉が出来ない。また現代ではカワヂサもしくはカワヂサノキと称える何んの木をも見出し得ない。

 次に鹿持雅澄かもちまさずみの『万葉集古義』には

山治左ヤマヂサは契沖、常も〔牧野いう、活版本にかくあるが、これは「今も」なり〕ちさの木と云ものなり、十一にも山ぢさの白露おもみとよみ、十人長歌にもちさの花さけるさかりになどよめり、和名抄に本草ニ云、売子木、和名賀波知佐乃木とあるものたゞ知佐ヂサの木のことにやと云り、なほ品物解に委ク云り

と記しまた、なお

山萵苣は契沖、常に〔牧野いう、ここも「今も」でなければならない〕ちさのきといひならへるもの是なりといへり

とも記している。そして前記の「品物解」すなわち『万葉集品物解』には山治左と山萵苣とを

未ダつまびらかならず仙覚抄ニ云山ちさとは木也田舎人は、つさの木といふこれなりといへり、いかゞあらむ、但し此は

マツ山松ヤママツサクラ山桜ヤマザクラなどいふ如く山に生たるつねの知左〔牧野いう、知左の解に拠ればムラサキ科のチサノキを指している。しかし品物図のチサの図は曖昧至極である〕を云か又一種かく云があるか云々

と述べていて、雅澄の山ヂサに対する知識の程度は「未だ詳ならず」であった。

 サテ上に列記した万葉諸学者の文句で観ると、大体万葉歌の山ヂサはチサノキという樹木の名であると解している。しかしチサノキすなわちチシャノキには三種あって、単にチサノキでは実はその中のいずれを指しているのかそこにその樹の解説が無い限りは、果してそれが何れであるのか明瞭では無いという事になる。

 右のチサノキの三種というのは、一はエゴノキ科のチサノキ(一名チシャノキ、ズサ、ヂサ、コヤスノキ、ロクロギ、チョウメン、サボン、学名は Styrax japonica Sieb. et Zucc.であり、二はムラサキ科のチザノキ(チシャノキ、トウビワ、カキノキダマシ、学名は Ehretia thyrsiflor Nakai)であり、三はクスノキ科のヂシャ(一名ズサ、アブラチャン、コヤスノキ、フキダマノキ、ムラダチ、学名は Lindera praecox Blume)である。つまり万葉歌の山ヂサをしてこの三樹木の何れかに帰着せしめ様とせんとて、昔から現代に至る万葉学者をヤキモキさせているのである。

 私の考えでは、もしも仮りに万葉歌の山ヂサを上の三種の何れかに当てはめて見るとしたならば、それはエゴノキ科のチサノキすなわちエゴノキであらねばならないであろう。何んとならばこの樹は諸州に最も普通に見られ、かつその花は白色で無数に枝から葉下に下垂して咲きその姿はすこぶる趣きがあって諸人の眼に着き易いからである。そしてムラサキ科のチサノキと、クスノキ科のヂシャとは何等万葉歌とは関係の無いものだと私は信ずる。何ぜならばこの二品はその花状が万葉歌とはシックリ合わないからである。このムラサキ科のチサノキは何等風情のきくすべき樹ではなく、樹は喬木で高く、葉は粗大で硬く、砕白花が高く枝梢に集って咲き観るに足る程のものではない。そしてこの樹は暖国でなくては生じていなく、内地では稀れに植えたものを除くの外は僅かに四国の南部と九州とに野生があるのみで、そう普通に見られる樹ではない。こんな無風流な姿で、かつ九州四国を除いた外は滅多に見られない樹が数首の歌に読み込まれる訳はあるまい。またクスノキ科のヂシャすなわちアブラチャンは山地に生ずる落葉灌木で砕小な黄花が春、葉のまだ出ない前に枝上に集り咲くのだが、茶人の好む花位なもので一向人の心を惹く様なものではない。『万葉集目安補正』ならびに『万葉集古義』以前の万葉学者は万葉歌の山ヂサにチサノキを充てていれど、それが何のチサノキだか判然しない憾みがあるが、しかし同書以後の万葉学者はこれにあるいはムラサキ科のチサノキを充てている学者もあれば、またエゴノキ科のチサノキ(エゴノキ)を当てている学者もある。中には勇敢にもその図まで入れそれを鼓吹している近代の書物もあって中々努めたりというべしである。が、しかし右二種のチサノキにヤマヂサという名は無い。

 古往今来万葉学者が唱うる様に、万葉歌の山ヂサをあるいはエゴノキ科のチサノキ(すなわちエゴノキ)、あるいはムラサキ科のチサノキとして観た時、またあるいは畔田翠山くろだすいざんの『古名録』に在る様に知佐木チサノキ(『延喜式えんぎしき』)、知佐(『万葉集』)、加波知佐乃岐(『本草和名ほんぞうわみょう』)、賀波知佐乃木(『倭名類聚鈔』)、賀波知佐乃木(天文写本『和名抄』)、加和知佐乃支(『本草類編』)、奈佐乃支(同上)、河知左(『新撰字鏡』)、山萵苣(『万葉集』)、つさのき(仙覚『万葉集註釈』)、山治左(『万葉集』)を一切斉墩樹のチサノキ(今名)、すなわちエゴノキりの一種とした時、果してそれが上の二首の万葉歌とピッタリ合ってあえて不都合な事は無いかというと、私は今これをノーと返答する事に躊躇しない。以下そのしかる所以ゆえんを説明する。

 上に掲げた第一の歌には「山ぢさの花にか君が移ろひぬらむ」とある。今これをエゴノキ科のチサノキ(エゴノキ)あるいはムラサキ科のチサノキの花だとすると、元来これらの樹の花は純白色であるので、「移ろひぬらむ」が一向に利かない。もしこれらの花色が紫か藍でもであったら、それは移ろう色、すなわち変り易い色、め易い色であるから「移ろひ」がよく利く。白色には「移ろふ」色は無く、咲き初めから散り果つるまで白色で何時までたっても白花である。ゆえにこの歌の山ヂサは決して白花のらくエゴノキ科のチサノキでもなければ、またムラサキ科のチサノキでも無いという結論に達する。

 それから上の第二の歌には「白露重み」とある。それはチサノキすなわちエゴノキの下垂している花に露が宿れば無論重たげになるのは必定ではあれど、仮令たといこの樹の花が露に湿うていても、これを望んで見るに一向に露を帯びている様な感じのせぬ花である。全くこれはサラサラとした花で、かつ始めから吊垂ちょうすいして咲いているから、仮りに露を帯びたとしても、それがために重た気に見ゆる事はない。ゆえにこの花は露を帯びていてもまた帯びていなくても一向そこに見さかいのない花である。歌には「白露重み」とあるから、もっと露を帯びたら帯びたらしい姿を呈あらわし、これを見る人にもそれがはっきりと判かる様でなければならない理窟ではないか。ゆえにエゴノキのチサノキを同じくこの歌に充てるのは私は不賛成であり、殊にムラサキ科のチサノキに至っては全く顧るに足らない論外者である。ウソと思えばその樹を実際に観て見るがよい。必ず成る程と感ずるのであろう。

 上の二つの歌の山ヂサがエゴノキ科のチサノキ、またはムラサキ科のチサノキその品であるという旧来の説、それが今日でも万葉学者に信ぜられているその説を否定するとせば、しからばその歌の山ヂサとは果してんな植物であってよろしかろうか。

イワタバコ「岩煙草」2012.08.20 上州吉井谷不動尊

 つらつかんがうるに、私はその山ヂサは樹ではなく草であって、それはイワタバコ科のイワタバコ(岩烟草)一名イワヂシャ(岩萵苣)一名タキヂシャ(崖萵苣)一名イワナ(岩菜)、そして我邦従来の学者が支那の書物の『典籍便覧てんせきびんらん』に在る苦苣苔に充てし(実はあたっていないけれど)この品、すなわち Conandron ramondioides Sieb. et Zucc.)でなければならぬと鑑定する。しかし今私の知っている限りでは、まだこれにヤマヂサの方言のあるのを見ないけれど、これはこの植物に対して必ずあり得べき名であるから、試みに諸国の方言を調査して見たなら多分どこかでこれを見出す事がありはせぬかと期待している。

 この植物は山地の湿った岩壁、あるいは渓流の傍の岩側面、あるいは林下の湿った岩の側面等に生じているもので、国によりこれを岩ヂシャもしくは岩崖タキヂシャと称うる所を以てせば、前にもいった様にあるいはこれを山ヂシャ(山ヂサ)と呼んでいる処がありそうに思える。山路を行く時その路傍の岩側に咲いている美麗な紫花に逢着し、行人の眼をしてこれに向けしむるのはよくある事である。これをイワタバコというのは岩に生えてその葉が烟草葉に似ているから、そうなづけられたものである。

 そこでこの植物、すなわちイワヂシャ一名タキヂシャのイワタバコなる草を捉え来って上の二つの万葉歌と比べて見る。

 第一の歌の中の「山ぢさの花にか君が移ろひぬらむ」は、右のイワヂシャなれば何の問題もなくよくその歌の詞と合致するのを見るのである。このイワヂシャの花はその色が紫でいわゆる移ろう色であるから、君の心の変る事を言い現わすには相応ふさわしい植物である。

 次に第二の歌の「白露重み」もこのイワヂシャなれば最もよい。イワヂシャは通常蔭になって湿っている岩壁に着生しその葉(大なるものは長さ一尺に余り幅も五、六寸に達する)は皆下に垂れて重たげに見え、質厚く極めて柔軟でややもろく、かつ往々闊大でノッペリとしているので、これを見る者は誰れでも直ちに萵苣チシャ(チサ)の葉を想起せずにはかない葉状を呈わしている。陰湿な場処に在るのでその葉に露も置き易く、またその葉はボットリと下に垂れているから露に潤えば一層重たげに見え、かつ花も点頭して下向きに咲いているのでこれまた露を帯ぶれば同じく重たげに見ゆるので「白露重み」の歌詞が充分よくその実際を発揮せしめている。また歌中に山萵苣の字が用いてあるのも決して偶然ではなく、そしてここにその字を特に使用した理由もよく呑み込めるのである。

 このイワヂシャすなわちイワタバコは、あえて普通の草であるとは言わんが、しかし決して稀品ではなく、往々山地ではこれに邂逅かいこうするのである。山家やまがでは家近かにこれを見る事が普通である処が往々あって、特に紫色の美花を開くので人をしてこれを認め易からしめまた覚え易からしむるのである。試みに山里やまざとの人に聴けば、ンー、その草なら内の家の裏の岩に幾らも着いていらーと言う処もあろう。すなわちこんな草なのであるから自然に歌を詠む人にその名物の材料となっても何にも別に不思議はないはずだ。

 右の様な訳なのであるから、私は上の万葉歌の山治左(ヤマヂサ)もまた山萵苣(ヤマヂサ)も共にいわゆるイワタバコのイワヂシャその物である事を確信するのであるが、これは従来万葉歌人のなお未だ説破しない所であった。

 しかるに私は今この稿を草する際、かの曾槃そうはんの著である『国史草木昆虫攷』の書物がある事を思い出し、早速これを書架より抽き出して繙閲はんえつして見たところ、はからずもその巻の八に左の記事のあるのを見出した。すなわち参考のため今ここにその全文を転載して見よう。

やまぢさ 万葉巻十一に、「山萵菜のしら露重く浦経る心を深くわが恋やまず」巻七に、山治佐の花にか君がうつろひぬらん、巻十八に、よの人のたつることだて知左の花、六帖に「我が如く人めまれらにおもふらし白雲ふかき山ぢさの花」或はいふ今山野の俗にチシヤノキ、、、、、といふものこれ成るべし、槃あんずるに、集中に木によみたるはしるしなし、ましてチサノキ、、、、の花は色白きものなればうつろひぬといへる詞によしなし、萵苣の字を借用ひたればけだしは草なるべし、さて武蔵国相模国山中にイハチサ、、、、一名イハナ、、、とて葉はげにも菜蔬のチサ、、の葉に似て石転イワワの苔むしたる所におふものあり、その葉は春のすゑにもえいで夏のきて一二茎をぬき桔梗の花に似たる小なるが七ふさ八ふさつどひて咲く也その色はむらさきなり、箱根山かまくら山などにいとおほし、このヤマヂサ、、、、は応まさにこれにやあらんか、順抄に本草を引て売子木を賀波治佐乃木と注したり、これ山萵苣にむかへたる名なるべし

 右の書物は今から百二十一年前の文政四年〔一八二一〕に出来たものであるから、この時代に既に曾槃は『万葉集』のヤマヂサはあるいはイワヂサ(すなわちイワタバコ)ではなかろうかと思っていたのであった。しかし私は全くこれを知らなかったが、今これを知って見ると曾槃は百年以上も昔に既にくこれに気附いていたのであった。そして今日私の観る所と全く符節を合しているのは、この説をしてますます真ならしむる上に大いに貢献する所があるといってよかろう。

 前文中にエゴノキについて述べた事はあるが、なおこの樹に関してのイキサツを次に少々書いて読者の一条に供して見よう。

 エゴノキには既に上に書いた通り種々な一名があるが、その中にチシャノキというのがある。しかしそれにヤマヂサという名はない。これは山に生えているチサノキだと言えば通ぜんでもないが、チサノキは何も山ばかりに生えているのではなく随分と平地にもあるから、殊更ことさらこれに山の字を加えて山ヂサと呼ぶ必要もないほどのものである。

 従来我邦の学者は、このエゴノキを支那の斉墩果に充てて疑わない。小野蘭山の『本草綱目啓蒙』を始めとして皆そう書いているが、これはトンデモナイ間違いで、斉墩果は決してエゴノキではない。しからばそれは何んの樹であるかというと、これはかのオリーブ(Olive 即ち Olea europaea L.)の事である。

 この斉墩果はすなわち斉墩樹の事で、それが始めて唐の段成式だんせいしきの『酉陽雑俎ゆうようざっそ』という書物に出て居り、その書には

斉墩樹ハ波斯及ビ払林国〔牧野いう、小亜細亜のシリア〕ニ生ズ、高サ二三丈、皮ハ青白、花ハ柚ニ似テ極メテ芳香、子ハ楊桃ニ似テ五六月ニ熟シ、西域ノ人圧シテ油ト為シ以テ餅果ヲ煎ズルコト中国ノ巨勝〔牧野いう、胡麻の事〕ヲ用ウルガ如キナリ〔漢文〕

と記してある。しかしこの書の記事は遠い他国の樹を伝聞して書いたものであるから、文中にはマズイ点がないでもない。

 日本の学者がまずこれを取り上げてその斉墩樹をみだりに我がエゴノキだと考定したのはかの小野蘭山で、すなわち彼れの著『本草綱目啓蒙』にそう書いてある。何を言え偉くてもろもろの学者が宗と崇むる蘭山大先生がこれをエゴノキと書いたもんだから、学者仲間に何んの異存があろうはずなくたちまちソレジャソレジャとなってその誤りが現代にまで伝わり、今日でもほとんど百人が九十七、八人位まではその妄執に取りつかれてあえて醒覚する事を知らない有様である。

 それならオリーブをどうして斉墩樹というかと言うと、この斉墩樹は元来が音訳字であって、それは波斯ペルシャ国でのオリーブの土言ゼイツン(Zeitun)に基いたものに外ならないのである。すなわち斉墩樹はオリーブの音訳漢名なのである。そしてこの事実は我邦では比較的近代に明瞭になったもので、徳川時代ならびに明治時代の学者にはそれは夢想だも出来なかったものである。

 芝居の千代萩の千松の唄った歌の中にチサノキがあるが、これはエゴノキ科のチサノキであろう。ムラサキ科のチサノキは関東地には無いから無論この品にあらざる事はすぐに推想が出来るが、しかし時とするとそれを間違えている人もある。

最後に、今年「西暦二千二十一年」の岩烟草イワタバコを一枚
イワタバコ 処暑/08.20 上州吉井谷不動尊

2012年7月15日

ギンバイソウ 07.15 上日野

ギンバイソウ 2012-07-15 東御荷鉾林道

小雨が降っていたんですが昨日撮った花の再確認に朝から出かけました。あっ、いつもの日野谷ですが2つの花を同定してくるつもりでした。最初の花は葉と花の大きさを確認して上州鴎蔓と決め、次の花は葉裏の黒点が確認できたんで弟切草としました。近いうちに両方ともアゲます。今日は戻ってくる途中で撮ったギンバイソウにしました。これ、待ち焦がれていた花なんです。

ギンバイソウ 2012-07-15 東御荷鉾林道 ギンバイソウ「銀梅草」は関東以西の本州、四国、九州に分布しているユキノシタ科ギンバイソウ属の多年草で、谷沿いの湿った斜面などでよく見かけます。花期は7月ー8月と夏の花です。狸ん家だと、梅雨明け頃になると咲きだし、日野谷のあちこちで見かけます。ただ、撮り頃の花に会うのは稀です。で、撮ったり撮らなかったりしとります。2026.06.16 裂けた葉

今日のギンバイソウは小柏の沢で撮ってきました。て、数年前までは、よく通っていた姫さまの裏山なんですけどね。ここ、景色は大きく変わっていましたが、純白に輝くギンバイソウに会えるとは...。嬉しかったです。 \(@^o^)/ <キャッホー!!

伊勢塚古墳・玄門 伊勢塚古墳・奥壁 また、雨が強く降ってきました。で、黄釣船や乳茸刺なんてぇ時季の花を撮らずに県道に戻りました。たしか10時くらいでした。でね、伊勢塚古墳なら濡れずにすむぞと狸君が云いました。うんじゃうんじゃと頷いて鮎川をずんずん下って行きました。あっ、伊勢塚古墳は鮎川と鏑川の合流地点にあります。で、墳丘上に咲いている露草、紫片喰、野芥子などを撮ってから石室に入りました。でね、ここ数年だと思うんですが玄門付近は雨漏りします。それと、梅雨時だと側壁も湿っていて黒っぽくしか写りません。フラッシュを焚くほうがいいんかなぁ (^・^;) ??

2026.6.15 Blog Broach ギンバイソウ 7.15/2012

2011年3月11日

日本たんぽぽ/七輿山古墳

日本たんぽぽ 啓蟄/03.11 上州七輿山古墳 日本たんぽぽ 啓蟄/03.11 上州七輿山古墳 日本たんぽぽ 啓蟄/03.11 上州七輿山古墳

総苞の感じは関東タンポポだけど、これ、東日本大震災のときのパチリです。撮っただけで観察などしていません。おだやかに日本たんぽぽと呼んでおきます (°-°;   投稿:2021.03.13

2010年9月1日

マキエハギ「蒔絵萩」/高山

マキエハギ「蒔絵萩」

マキエハギ「蒔絵萩」08.29/2010 処暑 上州藤岡高山

月が改まり九月となりました。ちゅうても、旧暦では七月二十三日です。ふんじゃが、月齢は22.0なんで、明日が下弦の月となるようです。で、まぁ、またしても猛暑日でしたが、とにかく秋です。虫の音も涼やかに聴こえますとさ (^-^)

万葉集 8/1537,1538 秋の野の花を詠む歌ニ首 山上臣憶良
秋の野に咲きたる花を 指折およびをりかき数ふれば 七種ななくさの花
萩の花 尾花葛花瞿麦の花 女郎花また藤袴朝顔の花

万葉集から二首コピペしました。1300年ほど前の秋の花が詠われています。ハギ、ススキ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウとしておけば無難のようです。ちゅうても、自然に咲いている藤袴なんてぇのは見ることができないんですけどね。で、昨日は葛花でした。今日は萩の花を貼ります。

マキエハギ マキエハギ「蒔絵萩」は本州以西に分布しているマメ科ハギ属の半低木で丘陵地や低山地などで見ることができます。全国のレッドデータを検索したら17の府県で絶滅危惧種になっていて、関東地方に限ると東京都と栃木県では絶滅危惧Ⅱ類に載っているようです。狸ん家には毎年咲く場所があるんですが草刈り部隊が出没する処なんで8月中に撮っておきました。日曜日のパチリです。て、すでにカキコしてましたね。(=^_^=) ヘヘヘ

Blog Broach マキエハギ 09.01/2010