2021年3月30日

オオミヤスミレかも/03.29

昨日は初夏の陽が照りつけ軽々と25℃を突破した暑い日でした。で、染井吉野がそろそろ見頃かもと七輿山古墳までひとっ走り。て、10分ほどなんだけどね…

ここの桜はみんな老木です。染井吉野は50年とかで、心配してた頃もあったけど、花弁が重なり合うようにして咲く、艶やかで元気いっぱいの桜花は健在でした。ふんなで、日本タンポポや立坪スミレ、冠雪の浅間山などを撮りつつ後円部から前方部へと歩きました。

上毛新聞 2020/12/01
ヤマト王権で重要地位 藤岡・七輿山古墳 全長150メートル超 同時期で国内3位の規模
↓ 紙面から引用

継体天皇支えた有力豪族か
 同時期の古墳を比較すると、531年に没した継体天皇の墓とされる全長約190メートルの「今城塚古墳」(大阪府高槻市)が最大。七輿山は継体天皇と姻戚関係にある尾張氏の墓とされる151メートルの断夫山だんぷさん古墳(名古屋市)と並ぶだけでなく、同じ設計図で造ったと思われるほど形状も相似している。
 歴博の右島和夫特別館長によると、越前(福井県)から皇位に就いた継体天皇の政治的基盤は東国にあり、七輿山の被葬者は新しい王統を支えた有力豪族との見方がある。
 右島さんは「東国の勢力は王権にとって親衛隊的な、軍事的な基盤になったと考えられる。七輿山ができた年代は、ヤマト王権が東国に直轄地屯倉みやけを設け、畿内と東日本の関係が深くなる時期とも近い。この時期になぜ国内有数の古墳があるのか。興味深い」と話す。

↑ ここまで、紙面から引用

日当たり時間の永い前方部の桜たちはもう満開でした。そこにヒヨドリが次々とやってきて桜花を啄んでは飛び去っていきました。長閑な春のひと時でした。

戻りながら竹沼に寄りました。周囲4km、2千本ほどの染井吉野が植えてあります。七輿山の桜よりは若木です。こっちは蕾が多めでまだ7部咲きくらいだったかも…
陰っちゃったけど撮っとこうか、と歩きました。たら、2輪、1輪、また2輪とスミレに逢えました。まっ、こんなもんでよか…、と再び歩き始めました。たらね、8輪咲きで蕾を3つ持っている大株がいました。スミレにしては緩んだ姿だし、ノジにしては華やか過ぎるし… あれ、これが、オオミヤスミレ(スミレxノジ)… ふんなで何枚か撮ってきてモニターしてるところです。それなりの情報はあるんだけどハッキリしません。物臭狸に訊いてみるか… (´ー`)

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