2021年3月2日

子等を思う歌/山上憶良

睦月十九日の月 雨水/03.02 21:55 上州藤岡

昨夜です。朧月を観てたらなぜか心がおだやかに… 序と長歌、短歌をどう配置するか… 悪戦苦闘したけど、どうにか形になったとさ。あっ、横スクロール版です (^-^)

筑前守だった神亀五年七月二十一日に嘉摩郡で撰定されたようです。金井沢碑は神亀三年、長屋王の変は神亀六年…
 体感する万葉集/上野誠 

巻第五 802803 子等を思ふ歌 序を併せたり


釋迦如来金口正説 等思衆生如羅睺羅 又説愛無過子 至極大聖尚有愛子之心 況乎世間蒼生誰不愛子乎

釈迦如来、金口こんくまさきたまはく、ひとしく衆生しゅしやうを思ふこと、羅睺羅らごらの如しとのたまへり。又説きたまはく、愛は子に過ぎたりといふこと無しとのたまへり。至極しごくの大聖すら、なほし子をうつくしぶる心あり。いはむや世間よのなか蒼生あをひとくさ、誰か子を愛しびざらめや

お釈迦さまがその尊い口で正しくお説きになったことには、「平等に衆生を思うことは、わが子羅睺羅を思うのとおなじだ」と。またお説きになったことには、「愛は子に優るものはない」と。こんな無上の大聖人でさえ、やはり子を愛する心があるのだ。ましてこの世間一般の人々で誰が子を愛さずにおられようか

長 歌
宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆
麻斯提斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽
麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農

うりめば 子ども思ほゆ
くりめば ましてしぬはゆ
何処いづくより きたりしものぞ
眼交まなかひに もとなかかりて
安眠やすいさぬ

瓜を食べると子供のことが思われる。栗を食べると、いっそう子供が偲ばれることだ。いったい子供というものはどこから来たものであろうか。こうしていても目の前にしきりにちらついて、私に安眠させないことよ

返 歌
銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良
古尓斯迦米夜母

しろかねくがねも玉も
何せむにまされる宝
子にかめやも

銀も金も玉も、どうして優れた宝であろうか…
子に及ぶ宝があろうか

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