辛己歳集月三日記
佐野三家定賜健守命孫黒賣刀自此
新川臣児斯多々弥足尼孫大児臣娶生児
長利僧母為記定文也 放光寺僧
辛己歳集月三日記す
佐野三家を定賜はる健守命の孫、黒賣刀自、此を
新川臣の児、斯多々弥足尼の孫、大児臣、娶し生む児
長利僧、母の為に記し定むる文也 放光寺の僧
熊倉浩靖 著「古典としての上野三碑」から… 読んでたら心臓がバクバクばい。以下、引用です (^-^)
「母為に凝縮した山上碑の心情…」辛巳歳を681年と見る見方に異論はなく、山上碑は完全な形で現存する日本最古の碑である。頭から語順のままに読めること、固有名詞の表現に使われている漢字の多くが訓読みの後に組み合わされていることなどから、明らかに日本語で書かれた碑である。したがって、日本最古の日本語の碑である。…漢字を用いて日本語を日本語として表現する木簡・仏像銘なども山上碑とほほ同時代であることを考えれば、日本語誕生を象徴する碑文である。
日本語誕生とは万葉仮名のことかも…「日本語表現定着の象徴的存在としての山上碑」に具体例があります。中から辛巳歳の前年(庚辰年 680年)に作った柿本人麻呂の歌を載せときます (°-°;
万葉集 10/2033 此歌一首庚辰年作之 / 右柿本朝臣人麻呂之歌集出
天漢 安川原 定而 神競者磨待無
天の川安の川原に定まりて 神し競へば麻呂待た無くに
◎「神競者磨待無」定訓なし by 桜井満。神シ競ヘバトキ待タナクニ、ココロ競ヘバトキ待タナクニ、神シ競ヘバマロモ待タナク、などと訓まれているようです (´┬`)
立春の2月5日は「春の味覚 ウルイ」をツイート… が、咲いた大葉擬宝珠が見つからず、フォトから落として花をあげたと。いっぱいあるギボシ系が探せないとは困ったこまった。で、画像倉庫を覗いてたら山上碑がありました。2012.07.16 と、もう、十年前ばい。この日は、多胡碑から撮り始め、山上碑、そして金井沢碑と上野三碑を制覇。て、撮っただけだけどね (´┬`)
あっ、あと、PDF「古典としての上野三碑」が手に入りました。これから山上碑あたりを抜き書きします。それとリンクも貼ってあります。タイトルをタップすると、アカウント選択がポップアップ。たら、「OK」をタップです。開きましたか… (^-^)
PDF 古典としての上野三碑 2017.03 熊倉浩靖、タップ → ◎kenunokaze →「ok」 σ(°┰~ )
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