2021年2月9日

山上碑/古典としての上野三碑

辛己歳集月三日記
佐野三家定賜健守命孫黒賣刀自此
新川臣児斯多々弥足尼孫大児臣娶生児
長利僧母為記定文也 放光寺僧

2012.07.16 山上碑

辛己歳かのとみのとし集月じゅうがつ三日しる
佐野三家さののみやけ定賜さだめたまはる健守命たけもりのみことの孫、黒賣刀自くろめとじこれ
新川臣にっかはのおみの児、斯多々弥足尼しただみのすくねの孫、大児臣おおごのおみめとむ児
長利僧ながとしのほうし、母の為に記し定むる文也ふみなり 放光寺ほうこうじの僧

山上碑と山上古墳の解説板 山上古墳 山上古墳と覆屋

熊倉浩靖 著「古典としての上野三碑」から… 読んでたら心臓がバクバクばい。以下、引用です (^-^)

「母為に凝縮した山上碑の心情…」辛巳歳を681年と見る見方に異論はなく、山上碑は完全な形で現存する日本最古の碑である。頭から語順のままに読めること、固有名詞の表現に使われている漢字の多くが訓読みの後に組み合わされていることなどから、明らかに日本語で書かれた碑である。したがって、日本最古の日本語の碑である。…漢字を用いて日本語を日本語として表現する木簡・仏像銘なども山上碑とほほ同時代であることを考えれば、日本語誕生を象徴する碑文である。

日本語誕生とは万葉仮名のことかも…「日本語表現定着の象徴的存在としての山上碑」に具体例があります。中から辛巳かのとみ歳の前年(庚辰かのえたつ年 680年)に作った柿本人麻呂の歌を載せときます (°-°;
万葉集 10/2033 此歌一首庚辰年作之 / 右柿本朝臣人麻呂之歌集出
天漢 安川原 定而 神競者磨待無
天の川の川原にさだまりて 神しきほへば麻呂待た無くに
◎「神競者磨待無」定訓なし by 桜井満。神シ競ヘバトキ待タナクニ、ココロ競ヘバトキ待タナクニ、神シ競ヘバマロモ待タナク、などと訓まれているようです (´┬`)

 

立春の2月5日は「春の味覚 ウルイ」をツイート… が、咲いた大葉擬宝珠が見つからず、フォトから落として花をあげたと。いっぱいあるギボシ系が探せないとは困ったこまった。で、画像倉庫を覗いてたら山上碑がありました。2012.07.16 と、もう、十年前ばい。この日は、多胡碑から撮り始め、山上碑、そして金井沢碑と上野三碑を制覇。て、撮っただけだけどね (´┬`)
あっ、あと、PDF「古典としての上野三碑」が手に入りました。これから山上碑あたりを抜き書きします。それとリンクも貼ってあります。タイトルをタップすると、アカウント選択がポップアップ。たら、「OK」をタップです。開きましたか… (^-^)

PDF 古典としての上野三碑 2017.03 熊倉浩靖、タップ → ◎kenunokaze →「ok」 σ(°┰~ )

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