筑子の竹は 七寸五分じゃ 長いは袖の かなかいじゃ
窓のサンサもデデレコデン 晴れのサンサもデデレコデン
踊りたか踊れ 泣く子をいこせ ササラは窓の 元にある
窓のサンサもデデレコデン 晴れのサンサもデデレコデン
向かいの山を 担ごとすれば 荷縄が切れて 担がれぬ
窓のサンサもデデレコデン 晴れのサンサもデデレコデン
彼岸明け「こきりこの里」神迎え
烏帽子狩衣ででれこでん
筑子の竹は 七寸五分じゃ 長いは袖の かなかいじゃ
窓のサンサもデデレコデン 晴れのサンサもデデレコデン
踊りたか踊れ 泣く子をいこせ ササラは窓の 元にある
窓のサンサもデデレコデン 晴れのサンサもデデレコデン
向かいの山を 担ごとすれば 荷縄が切れて 担がれぬ
窓のサンサもデデレコデン 晴れのサンサもデデレコデン
彼岸明け「こきりこの里」神迎え
烏帽子狩衣ででれこでん
『楽しき狩こそわが悦び/Was mir behagt, ist nur muntre Jagd! BWV 208』は、J.S.Bach が作曲した世俗カンタータで、通称『狩のカンタータ』Jagdkantate。現存するバッハの世俗カンタータの中では最も古く、1713年2月27日のヴァイセンフェルス公クリスティアン(1682年 - 1736年)の誕生日を祝う作品である。全15曲からなり、第9曲のアリア『羊は安らかに草を食み/Sheep May Safely Graze』の冒頭部は NHK-FM放送の長寿番組「朝のバロック」のオープニング用に編曲され、日本では特に有名のようです。楽しき狩こそわが悦び/Wikipedia (^-^)
陰暦だと月が改まって長月朔日です。新月です。雲はないけど月の姿なしです。で、長月十三日(陽暦10月8日)が十三夜で栗名月です。今年は葉月十五日の月(陽暦9月10日)を観ていません。片観月になっちゃうけど、十三夜の月は観たいなと、、、
万葉集 巻十 黄葉を詠む
2202 黄葉する時になるらし 月人の楓の枝の色づく見れば
黄葉為 時尓成良之 月人 楓枝乃 色付見者
紅葉する時節になったに違いない。月の中の楓の枝が色づいたのを見ると…
湯原王、娘子に贈る歌
632 目には見て手には取らえぬ 月の内の楓のごとき妹をいかにせむ
娘子の報へ贈る歌
633 ここだくに思ひけめかも しきたへの枕片去る夢に見えける
彼岸入は20日で彼岸明は26日です。で、今日はお彼岸の中日で秋分の日ですね。ようやく「おくのほそ道」を書き上げました。文庫本で活字が小さくて視づらかったけど、タブレットなら好みの大きさで読めます。灯火親しむべし、間に合いました。
田んぼ道をとことこと近所のコンビニへ買い出しに出ました。たら、彼岸花がひとかたまりで咲いていました。これからの花も、終りの花もあったけど、盛りの花を狙ってパシャリと。たら、振り始めちゃって、暗めの写りです。晴れたら青空と稲穂と合わせハイコンで撮ってみようかなどと…
万葉集 巻十一 寄物陳思
2480 道の辺の壱師の花の いちしろく 人皆知りぬわが恋妻は
路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀攦
柿本朝臣人麻呂之歌集出
道ばたの壱師の花ではないが、はっきりと世の人は皆知ってしまった。私の恋しい妻は、、、
牧野富太郎は壱師の花は彼岸花だと…
跋
からびたるも、艶なるも、たくましきも、はかなげなるも、おくのほそ道見もてゆくに、おぼえず起ちて手たたき、伏して村肝を刻む。一般は蓑を着る着るかゝる旅せまほしと思ひ立ち、一度は坐してまのあたり奇景を甘んず。かくて百般の情に鮫人が玉を翰にしめしたり。旅なるかな、器なるかな。ただ嘆かしきは、かうやうの人のいとかよわげにて、眉の霜のおきそふぞ。
元禄七年初夏 素竜書
「からびたる」は、枯淡なおもむき。村肝は「深く心に感動をおぼえるさま」と補注にあり、「伏して村肝を刻む」を、「頭を垂れて心肝を切り刻むごとき深い感銘に誘われる」と評釈にありました。でね「村肝」は万葉集だと心にかかる枕詞です。
巻四 大伴宿禰家持贈娘子歌
720
村肝の心砕けてかくばかり
わが恋ふらくを 知らずかあるらむ
村肝之 情揣而 如此許 余戀良苦乎 不知香安類良武
また一冊、ぼろぼろにしちゃいました。書き始める前に撮っとかないとね。が、幸い、ウェブ検索したらいくつかヒットしました。息の長い古典ならではかと… モチパクで表紙だけあげました。でね、カバーは義仲寺蔵の「那須野の図」芭蕉翁絵詞伝からのようです。義仲寺には芭蕉の墓もあるとか。で、奥の細道図から那須野の辺りを貼っといて…
小さき者ふたり、馬の跡慕ひて走る。ひとりは小姫にて、名を「かさね」といふ。聞きなれぬ名のやさしかりければ、
かさねとは八重撫子の名なるべし 曾良

福井
福井は三里ばかりなれば、夕飯したためて出づるに、黄昏の道たどたどし。ここに等栽といふ古き隠士あり。いづれの年にや江戸に来たりて予を尋ぬ。遥か十年余りなり。いかに老いさらばひてあるにや、はた死にけるにやと、人に尋ねはべれば、いまだ存命してそこそこと教ふ。市中ひそかに引き入りて、あやしの小家に夕顔・へちまの延へかかりて、鶏頭・箒木に戸ぼそを隠す。さてはこの内にこそと、門をたたけば、侘しげなる女の出でて、「いづくよりわたりたまふ道心の御坊にや。あるじはこのあたり何某といふ者のかたに行きぬ。もし用あらば尋ねたまへ」といふ。かれが妻なるべしと知しらる。昔物語にこそかかる風情ははべれと、やがて尋ね会ひて、その家に二夜泊まりて、名月は敦賀の港にと旅立つ。等栽もともに送らんと、裾をかしうからげて、道の枝折と浮かれ立つ。
敦賀
やうやう白根が岳隠れて、比那が嵩現る。あさむづの橋を渡りて、玉江の蘆は穂に出でにけり。鴬の関を過ぎて、湯尾峠を越ゆれば、燧が城、帰山に初鴈を聞きて、十四日の夕暮れ、敦賀の津に宿を求む。
その夜、月殊に晴れたり。「明日の夜もかくあるべきにや」といへば、「越路の習ひ、なほ明夜の陰晴はかりがたし」と、あるじに酒勧められて、気比の明神に夜参す。仲哀天皇の御廟なり。社頭神さびて、松の木の間に月の漏り入りたる。御前の白砂、霜を敷けるがごとし。往昔、遊行二世の上人、大願発起のことありて、自ら草を刈り、土石を荷ひ、泥渟をかわかせて、参詣往来の煩ひなし。古例今に絶えず。神前に真砂を荷ひたまふ。「これを遊行の砂持ちと申しはべる」と、亭主の語りける。
月清し遊行の持てる砂の上
十五日、亭主のことばにたがはず雨降る。
名月や北国日和定めなき
種の浜
十六日、空霽れたれば、ますほの小貝拾はんと、種の浜に舟を走す。海上七里あり。天屋何某といふ者、破籠・小竹筒などこまやかにしたためさせ、僕あまた舟にとり乗せて、追ひ風、時の間に吹き着きぬ。浜はわづかなる海士の小家にて、侘しき法華寺あり。ここに茶を飲み、酒を暖めて、夕暮れの寂しさ、感に堪へたり。
寂しさや須磨に勝ちたる浜の秋
波の間や小貝にまじる萩の塵
その日のあらまし、等栽に筆をとらせて寺に残す。
大垣
露通もこの港まで出で迎ひて、美濃の国へと伴ふ。駒に助けられて大垣の庄に入れば、曽良も伊勢より来たり合ひ、越人も馬を飛ばせて、如行が家に入り集まる。前川子・荊口父子、その外親しき人々、日夜訪ひて、蘇生の者に会ふがごとく、かつ喜び、かついたはる。旅のものうさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮拝まんと、また舟に乗りて、
蛤の
ふたみに
別れ行く秋ぞ
別離
曽良は腹を病みて、伊勢の国長島といふ所にゆかりあれば、先立ちて行くに、
行き行きて倒れ伏すとも萩の原 曽良
と書き置きたり。行くものの悲しみ、残るものの憾み、隻鳧の別れて雲にまよふがごとし。予もまた、
今日よりや書付消さん笠の露
全昌寺
大聖寺の城外、全昌寺といふ寺に泊まる。なほ加賀の地なり。曽良も前の夜この寺に泊まりて、
よもすがら秋風聞くや裏の山
と残す。一夜の隔て、千里に同じ。われも秋風を聞きて衆寮に臥せば、あけぼのの空近う、読経声澄むままに、鐘板鳴りて食堂に入る。今日は越前の国へと、心早卒にして堂下に下るを、若き僧ども紙硯をかかへて、階の下まで追ひ来たる。をりふし庭中の柳散れば、
庭掃きて出でばや寺に散る柳
とりあへぬさまして、草鞋ながら書き捨つ。
汐越の松
越前の境、吉崎の入江を舟に棹して汐越の松を尋ぬ。
よもすがら嵐に波を運ばせて
月を垂れたる汐越の松 西行
この一首にて数景尽きたり。もし一辧を加ふるものは、無用の指を立つるがごとし。
天龍寺・永平寺
丸岡天龍寺の長老、古き因あれば尋ぬ。また、金沢の北枝といふもの、かりそめに見送りて、この所まで慕ひ来る。ところどころの風景過ぐさず思ひ続けて、をりふしあはれなる作意など聞こゆ。今すでに別れに臨みて、
物書きて扇引きさくなごりかな
五十町山に入りて永平寺を礼す。道元禅師の御寺なり。邦機千里を避けて、かかる山陰に跡を残したまふも、貴きゆゑありとかや。