2024年8月31日

風に雲に青い空/8.26

風に雲に青い空

巻三 夏歌 みな月のつこもりの日よめる

168 夏と秋と行きかふそらの通路かよひぢはかたへすゞしき風やふくらん

凡河内躬恒

 

巻四 秋歌 秋立つ日よめる

169 秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

藤原敏行朝臣

以下、31日:13時のウェザーニュースのリンクです。台風10号は紀伊半島付近へ停滞する可能性 近畿や東海で大雨災害に警戒。最高気温は31℃。最新見解に「強まる雨に注意、一時的に降り方が強まって雷を伴う可能性があり、激しい雨になるおそれもあります」とか。

で、今日は雑節の二百十日です。農家にとって稲が開花する大事な時期です。が、同時に農作物が台風の被害を受けやすい時期です。古来よりの厄日ですね。がね、出撃ばい。└(T_T;)┘

2024年8月30日

芒と藪蔓小豆と大犬蓼と/8.26

ススキとヤブツルアズキ

風待ちしながらススキの青空併せを数ショットしました。で、ヤブツルアズキが絡んでいたんで花を探しました。おっ、いたいたとパチリ。このお方、野小豆とよく似ていて、花だけでは見分けられません。が、実ができれば容易に見分けられます。そん時にまたあげます (^-^)

オオイヌタデ オオイヌタデが群生していました。白花が多いしイヌタデより草丈があるんでヒキなら見分けられます。花穂が短くて真っ直ぐなイヌタデ。花穂が垂れ下がるオオイヌタデ、てな見分け方もあります。

あと、野に逃げたオオケタデも見かけます。鮮やかな花色を頼りに見分けています。もう、イヌタデもオオケタデも始まってますね。で、托葉鞘を視ておこうと湿地に踏み込んだらオオイヌタデの葉でアマガエルが寛いでいました。て、托葉鞘はよく見えません (°_。)ズリ

2024年8月28日

栗に蜻蛉に虫の声/8.26

ショウジョウトンボ

台風10号の影響か降ったり止んだりで最高気温は29℃でした。と言っても粘りつくような湿気です。気温だけは処暑だけど… 26日のパチリから3枚です。

笹川沿いをブラリしてました。芒や蒲を撮ってたら真っ赤なトンボが飛んでました。とまった瞬間をテレ端でパシャリ。やっぱり猩々トンボでした。たらね、虫の音が聴こえてきました。姿は見えないけど音だけ録ってきました。どうもコオロギのようです。

セイバンモロコシ「西蛮蜀黍」は用水路脇です。近くで見ようと水路を跨いだらこのお方が飛び出してきました。殿様ガエルに見えたんだけど達磨ガエルかも知れません (^-^)

2024年8月25日

たまきはる宇智の大野に馬並めて/万葉秀歌

巻一 天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌

3 八隅知之やすみしし 我大王乃わがおほきみの 朝庭あしたには 取撫賜とりなでたまひ 夕庭ゆふへには 伊縁立之いよりたたしし 御執乃みとらしの 梓弓之あづさのゆみの 奈加弭乃なかはずの 音為奈利おとすなり 朝猟尓あさがりに 今立須良思いまたたすらし 暮猟尓ゆふがりに 今他田渚良之いまたたすらし 御執能みとらしの 梓弓之あづさのゆみの 奈加弭乃なかはずの 音為奈里おとすなり

返 歌

4 玉尅春たまきはる 内乃大野尓うちのおほのに
馬數而うまなめて 朝布麻須等六あさふますらむ 其草深野そのくさふかの

たまきはる宇智の大野に
馬並めて朝踏ますらむその草深野

ーー O - O --

 舒明じょめい天皇が、宇智野うちぬすなわち大和宇智うち郡の野(今の五条町の南、阪合部さかあいべ村)に遊猟したもうた時、中皇命なかちすめらみこと間人連老はしびとのむらじおゆをしてたてまつらしめた長歌の反歌である。中皇命は未詳だが、賀茂真淵かものまぶち荷田春満かだのあずままろの説にり、「皇」の下に「女」を補って、「中皇女命なかつひめみこのみこと」とみ、舒明天皇の皇女で、のち、孝徳天皇の后に立ちたもうた間人はしびと皇后だとし、喜田博士は皇后で後天皇になられた御方だとしたから、此処では皇極こうぎょく斉明さいめい)天皇に当らせられる。即ち前説に拠れば舒明の皇女、後説に拠れば舒明の皇后ということになる。間人連老は孝徳天皇紀白雉はくち五年二月遣唐使の判官に「間人連老」とあるその人であろう。次に作者は中皇命か間人連老か両説あるが、これは中皇命の御歌であろう。しんば間人連老の作という仮定をゆるすとしても中皇命の御心を以て作ったということになる。間人連老の作だとする説は、題詞に「御歌」となくしてただ「歌」とあるがためだというのであるが、これは編輯へんしゅう当時既に「御」を脱していたのであろう。こうに、「御字を補ひつ」と云ったのはほしいままに過ぎた観があってもあるいは真相を伝えたものかも知れない。「中大兄三山歌」(巻一・一三)でも「御」の字が無い。然るにこの三山歌は目録には「中大兄三山御歌」と「御」が入っているに就き、代匠記には「中大兄ハ天智天皇ナレバみことトカ皇子みこトカありヌベキニヤ。傍例ニヨルニもっともあるベシ。三山ノ下ニ目録ニハ御ノ字アリ。脱セルカ」と云っている如く、古くから本文に「御」字の無い例がある。そして、「万葉集はその原本のままに伝はり、改刪かいさんを経ざるものなるを思ふべし」(講義)を顧慮すると、目録の方の「御」は目録作製の時につけたものとも取れる。なお、この「御字」につき、「御字なきは転写のとき脱せる。但天皇に献り給ふ故に、献御歌とはかゝざるなるべし」(僻案抄へきあんしょう)、「御歌としるさざるは、此は天皇に対し奉る所なるから、殊更に御ノ字をばかゝざりしならんか」(美夫君志みぶくし)等の説をも参考とすることが出来る。

 それから、攷證こうしょうで、「この歌もし中皇命の御歌ならば、そを奉らせ給ふを取次せし人の名を、ことさらにかくべきよしなきをや」と云って、間人連老の作だという説に賛成しているが、これも、おゆが普通の使者でなくもっと中皇命との関係の深いことを示すので、特にその名を書いたと見れば解釈がつき、必ずしも作者とせずとも済むのである。考の別記に、「御歌を奉らせ給ふも老は御乳母の子などにて御むつまじき故としらる」とあるのは、事実は問わずとも、その思考の方嚮ほうこうには間違は無かろうとおもう。諸注のうち、二説の分布状態は次の如くである。中皇命作説(僻案抄・考・略解りゃくげともしび檜嬬手ひのつまで・美夫君志・左千夫新釈・講義)、間人連老作説(拾穂抄しゅうすいしょう・代匠記・古義・攷證こうしょう・新講・新解・評釈)。「たまきはる」はいのちうち等にかかる枕詞であるが諸説があって未詳である。仙覚・契沖けいちゅう・真淵らの霊極たまきはるの説、即ち、「タマシヒノキハマル内の命」の意とする説は余り有力でないようだが、つまりは其処に落着くのではなかろうか。なお宣長のりながの「あら玉来経きふる」説、即ち年月の経過するうつという意。久老ひさおいの「たま来経きふる」説。雅澄まさずみの「手纏たまく」説等がある。宇智うちうちと同音だからそう用いた。

 一首の意は、今ごろは、〔たまきはる〕(枕詞)宇智の大きい野に沢山の馬をならべて朝の御猟をしたまい、その朝草を踏み走らせあそばすでしょう。露の一ぱいおいた草深い野が目に見えるようでございます、という程の御歌である。代匠記に、「草深キ野ニハ鹿ヤ鳥ナドノ多ケレバ、宇智野ヲホメテふたたび云也いふなり」。古義に、「けふの御かり御獲物えもの多くして御興つきざるべしとおぼしやりたるよしなり」とある。

 作者が皇女でも皇后でも、天皇のうえをおもいたもうて、その遊猟の有様に聯想れんそうし、それを祝福する御心持が一首の響に滲透しんとうしている。決して代作態度のよそよそしいものではない。そこで代作説に賛成する古義でも、「此題詞ハシツクリのこゝろは、契沖も云るごとく、中皇女のおほせによりて間人連老がヨミてたてまつれるなるべし。されど意はなほ皇女の御意を承りて、天皇に聞えあげたるなるべし」と云っているのは、この歌の調べに云うに云われぬ愛情の響があるためで、古義は理論の上では間人連老の作だとしても、鑑賞の上では、皇女の御意云々を否定し得ないのである。此一事軽々に看過してはならない。それから、この歌はどういう形式によって献られたかというに、「皇女のよみ給ひし御歌をオユ口誦クジユして父天皇の御前にて歌はしめ給ふ也」(檜嬬手)というのが真に近いであろう。

 一首は、豊腴ほうゆにして荘潔、いささかの渋滞なくその歌調をまっとうして、日本古語の優秀な特色がくまなくこの一首に出ているとおもわれるほどである。句割れなどいうものは一つもなく、第三句で「て」を置いたかとおもうと、第四句で、「朝踏ますらむ」と流動的に据えて、小休止となり、結句で二たび起して重厚荘潔なる名詞止にしている。この名詞の結句にふかい感情がこもり余響が長いのである。作歌当時は言語がきわめて容易に自然にこだわりなく運ばれたとおもうが、後代の私等には驚くべき力量として迫って来るし、「その」などという続けざまでも言語の妙いうべからざるものがある。長歌といいこの反歌といい、万葉集中最高峰の一つとして敬うべく尊むべきものだとおもうのである。

 この長歌は、「やすみししわが大王おほきみの、あしたにはとりでたまひ、ゆふべにはいり立たしし、御執みとらしの梓弓あずさのゆみの、長弭ながはず中弭なかはず)の音すなり、朝猟あさかりに今立たすらし、暮猟ゆふかりに今立たすらし、御執みとらしの梓弓の、長弭(中弭)の音すなり」(巻一・三)というのである。これも流動声調で、繰返しによって進行せしめている点は驚くべきほど優秀である。朝猟夕猟と云ったのは、声調のためであるが、実は、朝猟も夕猟もその時なされたと解することも出来るし、支那の古詩にもこの朝猟夕猟と続けた例がある。梓弓はアヅサユミノと六音で読む説が有力だが、「安都佐能由美乃アヅサユミノ」(巻十四・三五六七)によって、アヅサノユミノと訓んだ。その方が口調がよいからである。なお参考歌には、天武天皇御製に、「oo雪の時なきがごとoo雨の間なきがごとくまもおちず思ひつつぞ来る、oo山道を」(巻一・二五)がある。なお山部赤人の歌に、「朝猟に鹿猪ししみ起し、夕狩に鳥ふみ立て、馬めて御猟ぞ立たす、春の茂野しげぬに」(巻六・九二六)がある。赤人のには此歌の影響があるらしい。「馬なめて」もよい句で、「友なめて遊ばむものを、馬なめてかまし里を」(巻六・九四八)という用例もある。

カバー万葉秀歌

2024年8月20日

十四日の月と花火大会/08.17

花火大会 08.17/2024 上州藤岡

花火大会 08.17 上州藤岡神流川河川敷

今夕は神流川河川敷で打ち上げ花火です。会場近くは人、人、人です。たぶん (^-^)。で、混雑を避け水道山に上りました。霊園駐車場に車を置き北東方向が開けている処まで歩きました

たら、なんと、雲の隙間に小望月が輝いてました。この8月7日が立秋でした。秋の月ですよね。で、近くの雲は写したくないと、ちょい待ちしてたら風が雲を除けてくれましたとさ

2024年8月16日

赤とんぼ/08.15

赤とんぼ 昨日(8.15)です。盛りの狐の剃刀を撮ろうと小串に往きました。がね、実に変った花が多くて花盛りは過ぎていました。

姥百合も殆どが果実に変わっていたけど果実の先に赤とんぼが止まっています。チャンスとテレ端でパシャリ。アキアカネか、ナツアカネか、どちらかだと思います。
で、いきもの通信 vol,425 アキアカネとナツアカネの判別方法を熟読しました。でね、たぶんだけどナツアカネかと思いました。

入道雲

書き忘れたけど猛暑日でした。小串から葛花を見ながら関越高速道の側道を往きました。荒船山の見える木陰でひと休み。たら、積乱雲が湧いてましたとさ。暑い、暑い (;´・`)> ふぅ

2024年8月15日

狐の剃刀と蝉しぐれ

キツネノカミソリ

たちかへり
思ふこそ
 なほかなしけれ
名はのこるなる
こけのゆくへよ

定家

暑い8月15日でした。隣町まで走って狐の剃刀を見てきました。ちと遅かったんで花は終わって実に変っていました。ミーンミンミンミンミンミーと鳴いてます。動画撮りすれば蝉しぐれも録れるかと。で、お盆です。藤原定家の夏の歌も貼りました。歌意は、思い返すと悲しいことだ、名は残せても死んでしまう… てなことのようです。違うかな、、、(^-^)

2024年8月12日

月にヒマワリ積乱雲/08.12

陰暦七月九日の月

陰暦七月九日の月 08.12 17:31 上州藤岡本郷

ヒマワリ 休日ですが38℃と厳しい残暑でした。17時ころに風を感じ、それに陽射しも弱くなりました。で、夕涼みに出ました…

向日葵の近くに車を停めました。カメラを首から吊り下げぶらぶらと… で、下りてきた月を見つけました。まだ、高すぎるか… 向日葵に近づいて見上げ構図でパシャリと。が、小さすぎて月だか雲だか見分けがつきません

ならと、テレ端で月を狙いました。オートじゃ合焦しません。かと言って三脚なしのマニュアルでは無謀です。結局、アマピンの月をあげちゃいました。朔望表には明日(8.13 0:18)なら上弦の月とありました

神流川のカジノキを見ておこうとふり返ったら住宅の上に積乱雲が湧いてます。テレ端でパシャリ。ワイド端でもパシャリ。ふんで、藤武橋を渡って武州上里へ…(続く)

積乱雲 積乱雲

雲に沈む陽とカジノキ/08.12

雲に沈む陽

雲に沈む陽 08.12 立秋 武州上里神流川

梨畑や桃畑を視つつ堰堤を往きました。たらね、雲の隙間から落陽の光が漏れてます。よしパチろうと車外に出たら夕暮れの涼風を感じました。秋の風だったかも…

カジノキ 先週見ていたカジノキの下まで往きました。西日に照ったカジノキの実がいい感じです。テレ端でも撮ったけど、ちとバッチイ感じが… チョイヨリだけ貼っときました。

カジノキは雌雄異株、雌雄異花です。雌花はよく見ているんですが、今季は雄花も撮れました。写りが悪いんで撮り直すつもりだったけど、そのまんまになっちゃいました。て、いつものことですね(^┬^)

夕陽が雲に/08.12

落陽

夕陽が雲に 08.12 立秋 武州上里神流川

カジノキを照らしていた夕陽が雲に沈みました。秋の夕暮れてな感じでした。で、穀雨にカジノキの雌花をパチった河川敷に往きました。

梶の木と文月九日の月 雄花が遠いせいか梶の木の実はまだ未熟で青々としていました。文月九日の月と併せて数ショット。たら、つくつく法師が鳴きだしました。で、動画にしてみたんだけど…

しょうがないんで動画から音を取り出しブラウザで再生することにしました。なんか、それっぽい音がしてますだ。

2024年8月11日

言挙げせぬ国/巻13 3253, 3254

言挙げせぬ国

柿本朝臣人麻呂歌集歌曰 3253, 3254
葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国しかれども…

柿本朝臣人麻呂歌集の歌に曰はく

3253 葦原あしはら瑞穂みづほの国は かむながら 言挙ことあげせぬ国 しかれども 言挙ぞがする 事幸ことさき真幸まさきくませと つつみなく さきくいまさば 荒礒波ありそなみ ありても見むと 百重波ももへなみ 千重波ちへなみしきに 言挙ことあげすわれは 言挙すわれは

葦原 水穂國者 神在随 事擧不為國 雖然 辞擧叙吾為 言幸 真福座跡 恙無 福座者 荒礒浪 有毛見登 百重波 千重浪尓敷 言上為吾 言上為吾

反 歌

3254 磯城島しきしま大和やまとの国は 言霊ことだまの助くる国ぞ まさきくありこそ

志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具

2024年8月10日

立秋の竹沼/08.07

雲の切れ間

雲の切れ間 08.07/2024 立秋 上州藤岡

古今集 巻四 秋上 169 秋立つ日よめる 藤原敏行朝臣

あききぬと めにはさやかに 見えねとも
風のおとにそ おとろかれぬる

ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる

秋が来たということは目に見える景色からは分からないが風の音には、はっとせずにいられなかった。

二十四節気は立秋です。風の音を聞こうと下日野まで往き山萩ヤマハギを見てきました。が、山萩も筑紫萩ツクシハギもまだまだでした。ふんでも名しらずの萩の花や薄羽黄ウスバキトンボなどと逢えたんで、たぬき垢へポストしました。

コンビニに寄ったら雨雲で呑まれそうな空でした。が、降ってこないさ、と竹沼まで走りました。7月31日に転落事故が…

立秋の夕暮れどきです。猫、黄葉の桜、油蝉、夕菅をパチリ。最後は夕焼雲でした。

夏と秋と 行きかふ空の 通ひ路は かたへ涼しき 風やふくらむ by 凡河内窮恒

ネコ サクラ アブラゼミ ユウスゲ 夕焼け雲