2020年7月17日

忘れ草

2475わが宿やどのきのしだ草ひたれど
忘草わすれぐさ見るにいまだひず

巻第十一 柿本朝臣人麻呂之歌集出

わが家の軒のシダクサは生えているけれど、恋の苦しみを忘れるという忘れ草は見てもまだ生えていないことだ

そち大伴卿おおとものまえつきみの歌

334わすれぐさわがひもに付く
香具山のりにし里を忘れむがため

植物一日一題「ワスレグサと甘草」より抜粋引用
…これは萱草カンゾウと書かねばその名にはなり得ない。ワスレグサの苗を食ってみると、根元に多少甘味があるから、それで甘草だというのでない。萱は元来忘れるという意味の字で、それでその和名がワスレグサすなわち忘れ草となっている。このワスレグサの名は元来日本にはなかったが、萱草の漢名が伝ってから初めて出来た称呼だ。書物によれば中国の風習では何か心配事があって心が憂鬱なとき、この花に対すれば、その憂いを忘れるというので、この草を萱草と呼んだもんだ。そこでまた一つにこれを忘憂草とも称えまた療愁ともいわれる、すなわち療愁とは憂いを癒やす義である


あっ、3枚ともヤブカンゾウです。青空文庫 牧野富太郎「植物一日一題」をリンクしておきます。

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