2475わが宿の軒のしだ草生ひたれど
恋忘草見るにいまだ生ひず
巻第十一 柿本朝臣人麻呂之歌集出
わが家の軒のシダクサは生えているけれど、恋の苦しみを忘れるという忘れ草は見てもまだ生えていないことだ
帥大伴卿の歌
334わすれ草わが紐に付く
香具山の古りにし里を忘れむがため
植物一日一題「ワスレグサと甘草」より抜粋引用
…これは萱草と書かねばその名にはなり得ない。ワスレグサの苗を食ってみると、根元に多少甘味があるから、それで甘草だというのでない。萱は元来忘れるという意味の字で、それでその和名がワスレグサすなわち忘れ草となっている。このワスレグサの名は元来日本にはなかったが、萱草の漢名が伝ってから初めて出来た称呼だ。書物によれば中国の風習では何か心配事があって心が憂鬱なとき、この花に対すれば、その憂いを忘れるというので、この草を萱草と呼んだもんだ。そこでまた一つにこれを忘憂草とも称えまた療愁ともいわれる、すなわち療愁とは憂いを癒やす義である
あっ、3枚ともヤブカンゾウです。青空文庫 牧野富太郎「植物一日一題」をリンクしておきます。
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