ツバキ『植物記』牧野富太郎
巻一 大行天皇幸于難波宮時歌 長皇子
73我妹子を早見浜風大和なる
吾を松椿吹かざるなゆめ
吾妹子乎 早見濱風 倭有 吾松椿 不吹有勿勤
ツバキは椿である。この木は春盛んに花が咲くから木偏に春を書いてツバキと訓ませたものである。すなわちツバキの椿は和字(日本で製した字)である。ゆえにその字に字音というものはない。強て字音で呼びたければシュンというより外に途がない。多くの学者はこれを支那の椿(字音チン)と同字だと勘違いして日本のツバキを椿と書いては悪るいと言う人もあるが、その人の頭には少しも順序が立っていない。この支那の椿は昔、隠元禅師が帰化した時分に日本へ渡り来って今諸処にこれを見得るが、吾人はそれをチャンチンと呼んでいる。椿は『荘子』に八千歳を春となし八千歳を秋となすと出ているのでこの椿を日本人が日本の椿と継ぎ合せて文学者が八千代椿などの語を作ったもので、これはいわゆる竹に木を継いだようなものである。
ツバキは我邦到る処に見る常緑の小喬木で、山地に自生するものもあればまた庭園に栽えてあるものもある。山に在るものは一重の赤花を開きこれをヤマツバキともヤブツバキとも称する。庭に在るものには八重咲花が多く、かつ花色も種々あって一様ではない。
幹はかなり太くなり繁く枝を分ち密に葉を着ける。葉は葉柄を具え、枝に互生して左右の二列に排び厚くして光沢があり広い橢円形を成して葉縁に細鋸歯を有する。ツバキの名はこの葉が厚いから厚葉木の意でその首めのアが略せられたものだといい、また光沢があるに基いた名ともいわれている。
花は小枝端に着き無柄で形ち大きく下に緑色の芽鱗と萼片とがあって花冠を擁している。花冠は一重咲のものは六、五片の花弁より成って基部は互に合体し謝する時はボタリと地に落ちる。花中に在る多雄蕊は本は相連合して筒の様に成り花冠と合体し葯は黄色の花粉を吐く。中央に一子房があって三つに岐れた花柱を頂き、子房の辺に蜜汁が分泌せらるるのでよく目白の鳥がそれを吸いに来り、その際に花粉を柱頭に伝え媒助してくれる。ゆえにツバキは鳥媒花であるといえる。
花の後にはその子房が日増しに生長して大きな円い実と成り、秋になって熟すれば、その厚い果皮が開裂して中から黒褐色の大きな種子が出ずる。この種子から搾り採ったのが椿油で伊豆の大島はその名産地の一である。 ツバキの漢名は山茶である。その葉が茗の実に類し、製すれば飲料となるのでそれで山茶の名があると支那の学者はいっている。
0 件のコメント:
コメントを投稿