2022年2月20日

死んだ妾を悼んで作った歌/巻三 462-474 家持

天平十一年六月 大伴家持 死んだオミナメを悼んで作った歌

 462 今よりは秋風さむく吹きなむを、如何イカにか、ヒトり長きを寝む

これからは、秋の風が冷たく吹いてくるだらうのに、タダ獨りうして、寝ようか。

イロトの大伴書持フミモチが、それにアハせた歌

 463 長き夜を獨りか寝むと君が言へば、過ぎにし人のおもほゆらくに

秋の長い夜を獨り寝なければならぬか、とあなたが仰つしやるにつけて、亡くなつた人が、思はれる事です。「唯 死んだ人も、淋しく思うてゐるでせう。」

其後、家持 雨落アマオイシの邊に咲いてゐる撫子ナデシコの花を見て作った歌

 464 秋さらば見つゝシノべとイモが植ゑし、宿ヤドの撫子きにけるかも

秋が来たら、これを見て大事に可愛がって下さい、といとしい人が植ゑて置いた、屋敷内の撫子が咲いた事だ。「それが、今では、ほんとにかたみになつてしまうた。」

七月朔日ツイタチになって、秋風の吹くのを悲しんで、家持が作った歌

 465 現身ウツソミの世は、ツネなしと知るものを。秋風さむみ、シヌびつるかも

人間の世間は何物もぢつとしてゐない、不變なものでない、と云う事は、訣つてゐるのだが、秋風の冷たさに、死んだ人の事を思い出して焦れる事だ。

マタ、家持の作つた歌。並びに短歌。三首

 466 我が宿に花ぞ咲きたる。を見れど、心もゆかす。はしきやしイモがありせば水鴨ミカモなす二人竝び手折タヲりても見せましものを。現身ウツソミれる身なれば、露霜ツユジモぬるが如く、足引アシヒきの山路ヤマジを指して、入日イリヒなすカクりにしかば、ソコふに胸こそ痛め。言ひもに名づけも知らに、跡もなき世の中なれば、せむスベもなし

自分の屋敷内に花が咲いた。それを見てゐるが心も晴れない。可愛いあの人が生きて居たなら、水に住む鴨の様に、二人ナラんで居て、其花を折つて見せようものを。人間の肉身ニクタイと云うものは、ほんのりの身體カラダであるから、秋の末の水霜が消えてしまう様に、墓場のある山の方へ向いて行つて、まるで入り口の様に隠れてしまうたので、其事を思ふと、胸が痛くなる。言ひアラはさうと思うても、言ふ事も出来ず、名状メイジヨウするにも、名状する事が出来ない程、何の痕跡も残らない、はかない世の中であるから、何とも爲方セムカタがない

反歌

 467 時はしも何時イツもあらなむを。心くい行く吾妹ワギモか。若兒ワクゴを置きて

死なうと思へば、何も今に限つた事はないのに、悲しくも、可愛い子どもをうつちやつておいて、つてシモうた人である事よ。

 468 出でゝ行く道知らませば、あらかじめイモを止めむセキもおかましを

いとしい人の出向いていく道が訣つてゐたら、前々からその人を引き止める關所セキシヨウでもゑて置いたのに。

 469 妹が見し宿に、花咲き、時はぬ。我が泣く涙 イマダなくに

死んだいとしい人が眺めてゐた、自分の屋敷内に花は咲いて、あゝ死んで後、時が經つた。自分の泣いて、こぼす涙は、だ干かないでゐる。

其後、イマだ悲しみの心が止まなかったので作った歌。五首

 470 かくのみにありけるものを。イモも、千年チトセの如くタノみたりけり

僅かこればかりの果敢ない命であったのに、あの人も、自分も、千年もいきてゐるものゝ様に信じてゐた事だ。

 471サカりいます吾妹ワギモを、トゞめえに山 ゴモりつれ、心どもなし

家を遠のいてお行きになる、いとしい人よ。自分が止める事の出来なかった爲に、山の中に籠つて、出て入らつしやらないので、元氣もなくなつた。

 472 世の中しツネかくのみと、かつ知れど、痛き心は忍びかねつも

人間世界は、何時もかう云ふ風になるに、きまつてゐるとは、うすく知つてゐるが、ソレでもつらい心は、辛抱しかねる事だ。

 473 佐保山にたなびくカスミ、見る毎にイモで、泣かぬ日はなし

佐保山にかゝつてゐる霞、それを見る度毎タビゴトに、其處に埋めてあるいとしい人を思い出して、泣かない日はない。

 474 昔こそ餘所ヨソにも見しか。吾妹子ワギモコが奥つ城とヘば、しき佐保山

以前は何とも思はず、餘處の様に思うて眺めてゐた事だつた。併し今では、其處が可愛い人の墓場だと思ふと、懐かしい佐保山よ。

表紙 折口 万葉集

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