スミレ講釈/植物記 牧野富太郎
ツボスミレの「ツボ」
昔からツボスミレの名があってよく歌に読み込れている。例えば「山ぶきの咲きたる野辺のつぼすみれこの春の雨に盛りなりけり」あるいは「茅花ぬく浅茅が原のつぼすみれ今盛りなり吾が恋ふらくは」などがこれである。このツボスミレの名は今日植物学界ではある一種の小白花を開くスミレに限り用いられていれど、元来はこの昔からいうツボスミレは紫の花が咲き、庭先きから野辺へかけてのスミレの一種を指した名である。
人に依りてはツボはその花が莟める形ちで、宛かも壺に似ているからツボスミレだと解いていれど、私は既に往時のある識者が言っている様にこれは庭に生えているスミレの意であると思う。つまりツボスミレの場合のツボは庭先きにつづいた野も一緒に含めて言ったものである。
ツボはかの源氏の桐壺のツボと同様まずは庭の事だと思っていればよい。今日では庭の事をツボといっている処は少ないが、私の郷国の土佐では昔の名が遺っていて、なお今日でも庭先きの事をツボと呼んでいる。聞く所によれば名古屋辺でもそうであるそうな。しかし庭といっても樹木を植え込んだ庭園の事では無くて家の前の広場すなわち坪である。例えば「麦をツボへ干す」、「子供がツボへ蓆を敷て遊ぶ」、「ツボで独楽を舞わす」などと言わるるツボである。
ある広さを有するツボすなわち坪もツボスミレのツボも同意義であると言っても別に差支えない。
ツボスミレは昔始めは手近かな庭先きに生えている者を見てそうその名を呼んだものだろうが、しかし後ちに野辺で同様見出されてそれをやはりツボスミレといっても、あえて何んの不都合もありはしない。それは丁度カワホネが川で無い池に生えていてもやはりカワホネでイケホネとはいわぬと同じ事、また山ザクラが野の在てもやはり山ザクラで野ザクラとはいわぬと異ならないのである。
彼の繖形科品のツボクサは坪クサすなわち庭クサの意で、この草も庭先きの地などに生えるからそういうのである。しかるに『大言海』に「其花、形、靫ニ似タレバ名トスト云フ」とあるのはその解の正を得たものではない。そしてツボクサの花は決して靫には似ていない。
〔補〕今日植物学者のいっている小白花のツボスミレは実はその名を間違えている。そしてこれをそういい出したのは田中芳男、小野職慤の両氏で、それは明治七年頃である。またタチツボスミレも不要な和名でこの者は万葉歌にもあるツボスミレで宜しい。すなわち紫花を開く普通なスミレである。このツボスミレの名を今日植物学者は前述の様に小白花品をそういっているのは悪るい。これは如意スミレというものである。
『スミレ講釈/植物記』牧野富太郎、青空文庫ファイルからです (^-^) 投稿:2021.03.14
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