2019年11月24日

晩秋の多宝塔(金鑚神社)

3枚あげて慌てて日帰り温泉ば行きました。て、いつの頃からだったか22時閉館になってる金井の湯です。晩秋の霧雨に濡れちゃって、正味1時間は欲しいなと…(^-^)

多宝塔は仏教由来です。が、ここに来るまでに鳥居を2つくぐりました。此処、金鑚神社の境内です。でね、室町時代後期の天文三(1534)年に丹党の豪族阿保弾正全隆が子孫の繁栄を祈って多宝塔を建立したとか、神川町のホームページにありました。心柱に「天文三きのえうま八月晦日みそか、大檀那阿保弾正全隆」と墨書があります。右側の写真がそれです。戦国の覇者・織田信長は1534年6月23日生まれです。金鑚神社多宝塔は2ヶ月ほど弟さんですね。(^・^;) ??

で、阿保弾正全隆を調べました。武蔵七党「横山党、猪俣党、児玉党、村山党、野与党、丹党(丹治党)、西党(西野党)、綴党、私市党。これだと九党だけど…」の丹党(丹治党)安保氏の第十二代、安保泰広なのかも… あっ、たぶん ヽ(。_°)ノ ?

もうひとつ、阿保あぼ丹荘たんしょうとはどの辺りなのかと地名から探ってみました。神川町に元阿保もとあぼてぇ大字があります。明治二十二年の合併で元阿保村は丹荘村の一部となり大字元阿保へ… この辺りが阿保郷だったようです。さらに、丹荘はJRに丹荘駅として名が残っています。(^-^)

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