ムクゲとアサガオ『植物一日一題』牧野富太郎
ムクゲすなわち木槿をアサガオと呼びはじめたのはそもそもいつ頃であって、そしてなぜまたそういったのであろうか。しかしこの名は正しいとはいえないのみならず、それは確かに間違っているのである。
一体ムクゲの花は早朝に開き一日咲き通し、やがて晩に凋んで落ちる一日花で、朝から晩まで開き通しである。この点からみても朝顔の名は不穏当なものであるといえる。槿花一朝の栄とはいうけれど、この花は朝ばかりの栄ではなくて終日の栄である。すなわち槿花一日の栄だといわなければその花の実際とは合致しない。かくムクゲの花は前記の通り一日咲き通しで一日顔だから、これを朝顔というのはすこぶる当を得ていない。
人によっては『万葉集』にある「朝顔は朝露負ひて咲くといへど、暮陰にこそ咲益りけり」の歌によって、秋の七種の歌の朝顔をムクゲだと考えたので、それでムクゲに初めてアサガオの名を負わせたのだ。それ以前からムクゲにアサガオの名があった訳ではない。つまり一つの誤認からアサガオの名が現われたのはちょうど蜃気楼のようなもんだ。
私はここに断案を下してムクゲをアサガオというのは大間違いであると裁決する。不服なれば異議を申し立てよだ。不満があれば控訴でもせよだ。もしも私が敗北したら罰金を出すくらいの雅量はある。もしも金が足りなきゃ七ツ屋へ行き七、八おいて拵える。
このムクゲは落葉灌木で元来日本の固有産ではないが、今はあまねく人家に花木として栽えられ、また生籬に利用せられ挿木が容易であるからまことに調法である。紀州の熊野川に沿った両岸には長い間、まるで野生になったムクゲがかの名物のプロペラ船で遡り行くとき下り行くとき見られる。人家にあるムクゲの常品は紅紫花一重咲のものだが、なおほかに純白花品、白花紅心品、紅紫八重咲品、白八重咲品等種々な変わり品があるが、こんな異品をひとところに蒐めて作りその花を賞翫しつつ槿花亭の風雅な主人となった人をまだ見たことがない。
ムクゲは木槿の音転である。なおこれにはモクゲ、モッキ、ハチス、キハチス、キバチ、ボンテンカなどの方言がある。
蕣の字音はシュンである。世間往々よくこの字をかの花を賞する Pharbitis Nil Choisy のアサガオだとして用いる人があるが、それはもとより間違いで、この蕣は木槿すなわちムクゲの一名であり、かの『詩経』には「顔如蕣華」とある。面白いのはムクゲの一名として朝開暮落花の漢名のあることである。今これを和名に訳せばアサザキクレオチバナである。また藩籬草の一名もあるが、これはムクゲがよく生籬になっているからである。
万葉の歌に唐棣花という植物が詠みこまれてある。すなわち『万葉集』巻四の「念はじと曰ひてしものを唐棣花色の、変ひやすきわが心かも」、同巻八の「夏まけて咲きたる唐棣花久方の、雨うち降らば移ろひなむか」、同巻十一の「山吹のにほへる妹が唐棣花色の、赤裳のすがた夢に見えつつ」、同巻十二の「唐棣花色の移ろひ易き情あれば、年をぞ来経る言は絶えずて」などがこれであって、このハネズをニワザクラ(イバラ科)だという歌人もあれば、またそれはニワウメ(イバラ科)だと称える歌人もある。またそれはモンレン(モクレン科)だと異説を唱える歌人もいるが、今はまずニワウメ説が通っているようである。しかしこれをそうして取り極めねばならんなんらの確証は無論そこに何もなく、ただ空想でそういっているに過ぎない。そしてハネズなる名称はとっくに既にこの世から逸し去って今日に存していないのである。ところが或る昔の学者の一人は、それは木槿のムクゲすなわちハチス(アオイ科)だと唱えている。すなわちそれは正しいか否か分らんが、これはハネズの語をムクゲのハチスの語とが似ているので、そんな説を立てているのであろう。またハナズオウ(紫荊)だと主張する人もある。私は今このハネズの実物についてはなんら考えあたるところもないので、まずまずここにその当否を論ずることは見合わせておくよりほか途がない。しかしそのうちさらに考えてなんとかこの問題を解決してみたいとも思っている。
ムクゲの葉は粘汁質である。私の子供の時分によくこれを小桶の中の水に揉んでその粘汁を水に出し、油屋の真似をして遊んだもんだ。
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