多野山地に沈む太陽 冬至/12.21 上州高崎鏑川
上毛新聞:冬至の幻想 赤城小沼の輝く樹氷 遠くに富士山の姿… σ(°┰~ )
軽皇子の安騎の野に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂の作る歌
45やすみしし わが大王 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて 隠口の 泊瀬の山は 真木立つ 荒き山道を 岩が根 禁樹押しなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉かぎる 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に 旗薄 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて
46安騎の野に宿る旅人 うち靡き寐も寝らめやもいにしへ思ふに
47ま草刈る荒野にはあれど 黄葉の過ぎにし君が形見とぞ来し
48東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば月かたぶきぬ
49日並皇子の命の 馬並めて御狩立たしし時は来向ふ
PDF「人麻呂が見た炎(かぎろひ)」に触発されて阿騎野の冬猟の歌を書き直しました。で、タップで読めるように GoogleDrive に保存しました。アカウントの選択がポップアップしたら「OK」をタップです。
人麻呂が見た炎(かぎろひ)
PDFには ”軽皇子が阿騎野(現在の奈良県大宇陀町の一帯)で猟を行ったとき、お供をした人麻呂が詠んだ歌”とあり、”「み雪降る」から冬の猟と考えられる” とし、”「夕さりくれば」、「旅宿りせす」から、夜を明かした朝の情景が詠まれている” としています。さらに ”狩りの様子はあまり描かれずに荒道厳しい阿騎野の地に対する愛着と草壁皇子を偲ぶ気持ちが散りばめられている” と、、、
東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡
原文と賀茂真淵の読みです。さて、この万葉歌はいつごろ詠まれたのでしょうか、、、
PDFには”12月30日の朝6時ころ、東の空に暁光が現れ、そのとき西の空では十六夜の月が沈もうとしている”と… う〜ん、説得力あるばい。(^-^)
あっ、西暦692年12月30日は、陰暦だと朱鳥六年十一月十七日です。
日本の暦「第一章」暦の歴史に ”持統三(689)年、この年の暦が現存最古の元嘉暦(奈良県明日香村石神遺跡出土の木簡)” とあり、太陰太陽暦が使われていたことが分かります。
PDFをもうひとつリンクしときます。
和田萃 ”かぎろひ”考
…「かぎろひ」は厳寒の夜明け前に、東の空が紅に染まり、さらにオーロラの如く様々の色の筋が舞う現象である…
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